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読書記録24『ポケットに名言を』寺山修司 -名言の背景を探る‐

こんにちは、だるまです。連日の読書三昧を満喫しております。

今日の本

今日ご紹介する本はこちら、『ポケットに名言を』寺山修司です。

角川文庫の「かまわぬ」コラボカバーになっていて、夏のムックで読みたかった本です。

寺山修司が収集した名言が、人生、孤独、恋などジャンルごとにバラバラと並んでいます。特に解説もなく、読者一人ひとりが勝手に感じて想像できる本です。

気になった言葉たちを紹介するにあたり、その名言の原作や背景について深堀りしてみたいと思います。

気になった言葉たち

人生を考える

この世は一つの劇場にすぎぬ。人間のなすところは一場の演劇なり。-クリソストムス

本書の人生パートの名言には、「人生=劇場」を主張するものが多く登場します。筆者はそう思っていたのでしょうか。

この名言は古代ギリシャの司教ヨハネス・クリソストムス(347~407)の言葉だそうです。アガサ・クリスティの名言としても紹介されています。同じようなことを述べた人がほかにも大勢いるようです。

この言葉読んだとき、だるまは高いところから見た都心の景色を思い出しました。例えば、スカイツリーから眺めた地上はまるでジオラマ。動く車はミニカーの様です。ひしめくマンションには一戸ずつ人間が住み、それぞれ生活をしています。
高いところ=神の視点とすれば、人間のしていることは何とちっぽけなことかと思えるのでしょう。

なにかうまくいかない時、絶望にひしがれた時、自分を俯瞰できる言葉です。

人生は何物に値しない。-だが人生に値する何物も存しない。-アンドレ・マルオロ『征服者』より

アンドレ・マルオロ/マルロー(1901~1976)はフランスの作家・政治家です。破産したり、逮捕されたり、かと思えば兵士になったり、最後には政治家として文化相になったりと忙しい人生を送った人物。

人生の意味論争に曖昧な決着をつけそうな言葉です。大事なのか大事でないのかわからないくらい短い一生の中で、最後に幸せならそれでいいのではないかと思います。

恋愛を考える

ひとりの男だけをみつめている女と、ひとりの男からいつも眼をそらす女とは、結局、似たようなものである。-ラ・ブリュイエール

ラ・ブリュイエール(1645-1696)はフランスのモラリスト。モラリストとは人間探究家のことだそうですが、なにをすることなのでしょう。モンテーニュやパスカルなどフランス文学作家の一部を指すようです。
ともかく貴族社会の観察と思考を積み重ね『人さまざま』を著します。

ラ・ブリュイエールは他にも名言が伝えられています。恋愛の物が多いです。例えば、

私達には、恋の始まる時と、終わる時というのは、二人だけになった時に感ずる、あの何とも言えない、一種異様の気恥ずかしさというか、とまどいによって分かるのである。
醜い女なんていない。ただ、美しく見せるすべを知らない女がいるだけだ。

日本でいう江戸時代に生きた人物の言葉は、現代の恋愛にも通じるものがあります。人のこころはそれほど変わらないようです。

心を考える

精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ。-三島由紀夫『美徳のよろめき』

本書には日本の作家も登場します。中でも数多く紹介されているのが三島由紀夫(1925-1970)です。

どのような文脈で出てきた言葉なのか気になるのでこの本を読んでみたいのですが、ひとまず額面通り受け取ります。
精神、つまり自分の心の赴くままに何かをすることを止められるのは、習慣である。習慣とは無意識にすることです。精神=意識を超えるものは習慣=無意識であると述べている様に思えます。

確かに、Twitterはいらないものだと思っていても無意識に青い鳥をタップしスクロールしている毎日です。習慣にはよいものとよろしくないものがありそうですね。

世界を考える

もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。-ゲオルグ・ゲオルギウ

この言葉を初めて知ったのは本書ではなく、RADWIMPSの「アイアンバイブル」です。そのサビの歌詞が、

たとえ世界が 明日滅ぶとしてもね
ある人は言う 僕は今日リンゴの樹を植えよう

で非常に印象的でした。

2回目にこの名言と出逢ったのは、受験生時代の模試。国語の現代文の最後の一文がこれで、震えたのを覚えています。

ということでこの言葉とは3回目のご対面です。

調べてみると、この言葉をゲオルグ・ゲオルギウが言ったと裏付ける文献はなく、マルティン・ルターの言葉として紹介されることもあるようです。
ここでは誰が言ったかは少し置いておきます。

林檎の種子は、聖書の香りがします。禁断の果実は林檎でした。その種子というのは人間の子どもという意味にも捉えられそうです。

人間は未来の誰かに向けて何かよいことをするよりも、今を生きる自分のためや近い将来に向けて何かすることを選びがちです。「結局自分は死んでしまうから、そのあとの世界なんてどうでもいい」という考えも全面的に否定できません。

それでもこの言葉は、世界がなくなったとしても未来に向けて希望を託したいと述べています。明日世界が終わるとは言っていないところも気になります。終わるかもしれない、ギリギリを保ちながら自転公転を続ける地球に、自分たちの遺志を残したいという意味なのでしょうか。

とりとめないエッセイみなくなってしまいました。この名言はいろいろな意味にとれて、だからこそ今も語り継がれているのでしょう。


おわりに

『ポケットに名言を』から名言を取り上げ、深堀りしてみました。

だるまも自分で出逢った言葉をメモして残していきたいと思います。名言単体だけでなく、それが出てくる映画や小説を一度読んでみたいです。

かしこ


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