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読書記録37 他人になりえない自分【0107追記】

こんにちは、だるまです。色々ありまして授業が全面オンラインになり、久々にZoom議論の疲れを感じています。

新年二冊目

新年一冊目は『華氏451度』で、読書記録をつくろうと下書きをせっせと書いているのですが、名言がありすぎてなかなか投稿できません。

ということで、二冊目から先に紹介することになりました。
田中泰延『会って、話すこと。』です。

図書館にぽつんと置いてあり、Zoomで疲れて今日はレポートやらんぞ!と決めたので読み終えました。

内容

内容の前に、めちゃくちゃ字が大きいです。
ああ、巷にあふれるビジネス書かと思ったら、大体そんな感じですが、書いてあることは面白い。ハウツー本ではなかったです。

一言でいえば、

「人間自分の話をしたい」でも「他人の話を聞きたいわけじゃない」でも「会話術には相手の話を共感して聞けと書いてある」
いやいや、どちらの話もしないで外部の話でボケたおせ!会話はボケてなんぼじゃ!

という内容です。三言になってしまいました。

12月に『人を動かす』を読んで、「自分の話はしないで、他人の話をよく聞きましょうね!」という強烈なメッセージが頭に叩き込まれ、1月には「自分の話も他人の話もなしにしましょうね!」という本を読み、混乱です。

矛盾していますが、どちらの言うこともわかる。

禁欲的に、「人の話を聞きだしてやろう」とするのは幸せかわからないし、会話の上手な人は意識せずともやっているから話しやすいんだろうと思ってはいました。

本筋で刺さった部分

この本は田中さんの執筆部分と、編集者今野良介さんとの会話と、コラムの3つに大きく分かれています。

今さっき読んで、田中さんの執筆部分で心に刺さった言葉があったのですが、見当たりません。おかしいな、幻想だったのでしょうか。

会話で刺さった部分

ということで今野さんとの会話部分で刺さった部分を紹介します。

ダイアローグ6、最後の会話です。

田中 会話というのは本当は、絶望してから始まるんじゃないかなと思っているんです。
今野 ほう。
田中 会って、うまく言葉を交わせは、相手を思い通りに動かせる。仲良くなれる。いつか心は通じ合う。わかり合える。そう願うことが悪いことだと言いたいわけではないです。でも、違う(中略)。やっぱり自分はひとりで、どこまで近づけた気になっても違う人間で、いくら言葉を交わしてもわかり合えない。(中略)他人と関わることに絶望して、それでも他人と関わりながら生きていくことを引き受けた後で見えてくるものが、わたしとあなたの間にある風景だと思うんです。
p.248-9

今野さん「ほう。」しか言ってない部分でした。

星野源の『不思議』で一番好きな歌詞でも同じことを歌っていました。

幼いころの記憶 今夜食べたいもの
なにもかもが違う
なのになぜ側にいたいの
他人だけにあるもの

他人はどこまでいっても他人であるし、それは絶望かもしれないけれど、だからこそ関わるし生きていけるのだと思いました。

ずれたところで刺さった部分

この本を読んで何よりよかったのが、「Zoom会議がなぜ疲れるか」の答えを発見したことです!

対面の会話とは決定的に違う部分を、だるまは今まで気が付いていませんでした。

それは、話をしている自分の姿が見えること

会話では自分の姿は見えないのに、Zoomは自分も画面にいます。こんな変なことを何故今まで気が付かなかったのでしょう。
自分が見えたらどうしても気になってしまうし、話している自分はいったい誰?ドッペルゲンガー?と違和感だらけです。

0107追記
Zoomの設定で「セルフビュー非表示」を発見し、解決しました。

おわりに

会話の本を読んで一番印象に残ったことがZoomの疲れる原因だったのは、筆者からすれば邪道でしょうが、本書でボケ倒している田中さんなら笑ってくれそうです。

会話のよくあるハウツー本ではなく、
「自分のことをわかってもらおうとして苦しんでいる人」
「他人のことをわかろうとして苦しんでいる人」
のために書かれたそうです。

何の話してたんでしたっけ?

かしこ

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