他人から見た、わたしの見え方
最近感じている、他人からの見え方とわたし自身のわたしへの評価のズレを綴っていこうと思います。
最近言われたことばで引っかかっていることがあります。
わたしはあまり口数も多いわけではなく、誰とでも「イェーイ」って感じでもなく。
場の中心にいることはそんなに得意じゃないけど、中心にいた方がことが進むだろうなってときは、話を回す方になったり盛り上げたりしようとします。いや、しようと試みているだけかもしれません。実際は盛りあがっているのか…(笑)
まあ、最近は全人類そうなんじゃないかって思うので、別に悪いことじゃないかと思っています。別に普通。
そんなわたしは、わたしの持っているいろんなスキルを見比べたときに共感力・傾聴力が1番高いんじゃないかなって思います。
目を見て話を聞くのが好きで、「うんうん」とか相づちは意識せずとも勝手にうなづいて、勝手にのめり込んでシーンを想像しちゃいます。相手の立場でそうなってたら、わたしはどうしてるんだろう?って想像して、必要であれば「わたしは〜〜〜するかも」と言います。
でも仕事をするようになってからでしょうか…。
仕事だからなのでしょうか…。
意見を求められることが増えたし、責任を持つことも増えました。
自分の意見が大事にされるんだ、と気づいて、ことばの重みが変わりました。
これまでは、自分の意見なんて…という思いがどこかに潜んでいて、どうせという気持ちが消えないまま。
でも、いまでは、自分のことばにも責任が乗り、ひとり歩きしたり。そんなに深く考えてなかったのに!なんてこともあったり。
共感力・傾聴力というとプラスのように聞こえますが、その裏側には、自分がただの空気としていたかっただけなんだと思います。
何かを求められることも、何かの責任を負いたくないだけかもしれない。
ことばは人を救うし、人を傷つける武器にもなる。
このことを、社会人になってやっと理解できた気がします。
個人として認められているときは、自分の意見を、気持ちを、考えたことを、拙いながらも伝えたい。
そう思うようになり、冒頭の発言につながったのだと思います。
話に切り込んでいくのは得意じゃないと思っていました。
でも、伝えようとする姿勢と、実際にことばにして伝えられているんだと実感できるようになりました。
相変わらず、自分をごまかすのに精一杯で、着飾るのに一生懸命。
それがわたしの共感力・傾聴力につながっている。
それでも、変化しようと意識していると、その変化に自分では気づけてなくても、相手が見てくれているんですね。
まだまだ上手には切り込めないし、ことばを使えば使うだけ傷つけてしまうこともあるかもしれない。
でも、使えば使うだけ救える人も出てくるかもしれない。
淡い期待を抱きながら、これからもことばと向き合いたい。
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