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【昔話】困難を自分の力で乗り越える

前回の記事では、人間には色々と困難があるからそれを自分の力で乗り越えた方が楽しいよねってことをまとめました。


前回の記事に関連して、私にとっては困難だった経験を振り返ってみたいと思います。
フワフワしていた前回の内容の具体例のような感覚で読んでいただけたらと思います。

人間関係の問題

学生の頃にありそうな話

私は人間関係に悩んで
詰んだとばかり感じていました。

同じコミュニティで仲間として一緒に活動しなければならないのに
その仲間と一緒にいることが辛かった。

辛かったのは、過度のイジリ。
ポンコツなため、いじられ役となっていた私は常に一緒にいる仲間からどんな場面でもいじられる対象でした。

自分も楽しめるノリならいじられ役としても笑えるのですが、時には笑えない無茶ぶりのようなノリもあります。

無茶ぶりに対して「できない!!」と否定して
ノリ悪ぃ〜!と嫌われたくないし。

仮に辛かったコミュニティをAと名付けたとして
別のコミュニティBがめちゃくちゃ楽しかったとしても
頭はAのことばかりを考えてしまって、人生全体が辛い方向に向かっている感覚でした。

楽しいことによる癒しよりも苦しいことによるダメージの方が大きいみたいです。

RPGのゲームでボスの攻撃に回復がおいついていない状態。

当時の私の中での行動選択は以下の通りです。

①苦しみを解消すべく正面から立ち向かう
②苦しみを解消すべく別の策を考える
③苦しみを忘れるために別の楽しいことに没頭する
④苦しみから退散する/環境を変える
⑤時間の経過によって環境や状況が変わるまで待つ
引用:森けー 著「苦しい時に、自分を助けるのは自分しかいない」より


当時の私は
行動選択③(苦しみを忘れるために別の楽しいことに没頭する)を選び
⑤(時間が解決すること)を待ち望んでいました。

私を悩ませる人との人間関係を自力でどうにかしようとは考えておらず
どうにかできるとは思っていませんでした。
ただただ、あいつらが悪い!って

③(苦しみを忘れるために別の楽しいことに没頭する)を選んだ私は
現実逃避をするかの如くオンラインゲームでネットの人と遊んでいました。
3次元から2次元へと自分の生活する次元を一つ切り替えてみたのです。

当時はどハマりして、ずっとパソコンと遊んでいました。orz

余談of余談ですが
オンラインゲームで、全然知らない人になぜか有料のアイテムをプレゼントされた時は
やったー!って思いつつ、え?なんで?こわっ、
ってなったのを覚えています。

とにかく、先のことなんて特に考えず楽しい空間で自分を癒して
いつかみんながいじることに飽きればなんとか解決だ!って考えてました。

忘れることはできた。
でもなにも解決せず心も落ち着かなかった

今思うと③のように現実逃避をしてもいずれは現実で関わるので、なにも問題が解決されず苦しみを延長させているだけでした。

当時③を選んだ私は失敗してたみたいです。

どうにかしないとヤバイ…


笑われていたのではなく笑わせていた

ヤバいと思った時に、時の流れに任せて現実逃避する手段は諦めて
自分自身で現状を打破しようを決めました。

私は、自分が置かれている状況を冷静に

なんで俺はいじられるのか。

なんで俺は嫌なことを嫌だと言えないのか。

と考えれば少しずつ見えてくるものがありました。

「彼らは、純粋に俺に笑いを期待している。
過度にいじってきて、無茶ぶりをされていたのも、森けーなら面白くしてくれるだろうという笑いを期待しているからなんだ。

自分にとって苦しいいじりをされた時は、それを素直に言えばいい。
言わなかった自分にも責任はある。

ただ、それだけだと何も笑いが生まれず楽しくなくなってしまう。
だから、嫌ないじりを我慢して実行するのではなく、ただ否定するのでもなく、別の手段で笑いを生み出せばいい。」

そう考えて、私の行動は
受け身でなんでもするから面白いやつ
から
いじられ役も買ってでて、なんとか笑いを生み出そうとするやつ
を目指すようになりました。

受け身の時は、無茶ぶりに対してただ、言われたことをやっていました。
自分が苦しんでいることも完全に人のせいにしてしまっていたのです。
悪く言うと指示待ち人間です。

それを一転して、無茶ぶりに対しても全力で笑いを取ろうと動いて、友達が想像している以上のこともして、120%の成果を求めて動きました。
良く言うと攻めの姿勢で笑いを取りに行こうとしました。

なぜか当時の私が猿の鳴き真似をモノマネしていたのを覚えています。
ポップな猿ではなく山から下りてきて喚きながら人に襲い掛かってくる鬼気迫った猿。


このスタンスは面白さにおいても大きく差がでます。(多分)

受け身で無茶ぶりを実行していても、表情や声のトーンで
時折、「かわいそう」というネガティブな感情を見ている人に植え付けてしまいます。それだと笑わせようとしているのに損しちゃう。

逆に攻めの姿勢で無茶ぶりに対して、誰よりもわざと嫌そうなリアクションをして、誰よりも実行した時に大きなリアクションで反応すると

「もりけーアホだ!ww」とか「わざとらしいわ!ww」と

私のリアクションに対して注目してもらえるのです。
そのリアクションを全力でしたことで笑いが生まれれば、本来あった無茶ぶりができなかったとしても、笑いの期待には応えられているので無茶ぶりをしなくてもよかったのです。

自分の行動によって自分の嫌なことをすることがなくなっていきました。

苦しい状況を自分の力で打破できたんだ。

不思議なことに、自分の行動(考え方や姿勢)を変えてから
ずっと抱えていた悩みが去っていきました。

しかも、悩みの種であった彼らとはより一層仲良くなり、常に遊ぶような仲になりました。

あれはただの私の思い込みだったのか。と昔を振り返って思いだすときがたまにあります。
でも、本気で私は苦しんでいたのは事実で

なんとか、自分の力で自分の苦しい状況から抜け出す行動ができたのです。

他人任せ・他人の責任にしても変わらない

この経験からの教訓です。

勿論これは私のケースであって、同じような状況の人が同じ行動で同じようにいい結果になるとは言いません。

でも、私の場合、昔の悩んでいた自分は常に他人のせいにして、自分からはなにもしようとはしていませんでした。

人のせいにしてしまうと、自分の行動を改めようと考えなくなります。
その考え方のまま自分の行動を何も変えないで生きていたら
私は今も自分の人生に起きる全ての嫌なことを他人のせいにしていたかもしれません。

自分には何ができるか。どうすればいいのか。考えていこ。

それでは!

おまけ



※上の昔話はフィクションです。


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