強さについて思う夜。






なんか毎回思うことなんですけど、
ストレス発散でバッティングセンターに行くことって、大体の人が経験あると思うんですけど。
あれって、球当たらないと余計ストレスたまりません?
体を動かすのがストレス発散なのかなと思うけど、
絶対、打てなきゃストレスたまるっしょ。
だから僕は友達とバッティングセンターに行っても打ちません。
これがスルースキルってやつさ。
まあ、バッティングセンターに行ってバッティングしないって、
そば屋に行ってそば食べないみたいなもんですからね。

ね?









「強さ」って「エモい」みたいだなと。

最近、僕が使う「強さ」といえば、推しのアイドルに使うことが多いんですが。

ビジュが美しい
女帝感
ダンスのキレがすさまじい
心に届くメッセージが強烈

みたいな意味合いで使ってます。


ただ、シンプルに「強さ」の意味合いを考えると、
必然的に「弱さ」と比較するのが普通かなと。

弱さがあるから強さがあって、
強いものがいるから、弱い者がいて。
相対的なものだなと。

なんか難しい言葉使ってみちゃったりして。
てへへ。



というのも、僕が尊敬するアイドルが人前で涙を流さない人で。
それはどう考えても「強い」と感じてしまう行動なんですが。
その方が先日、メンバーに感謝をされて、涙を流しておりまして。

僕はその姿を見て、なんだか安心しました。


心というか精神は、いかようにも厚着することはできて。
厚着って表現であってるのかわかりませんが、
時に無痛になり、時にはねのける。
周りから見れば、何重にも羽織ってるようで。


本人からしてみれば、きっとそんなことはないんだなと思うのですよ。




泣かないこと
弱音を吐かないこと
悩まないこと

これが強さと決めつけてはいけませんね。

涙を見せること
弱音に寄り添うこと
悩み続けること

言い方によっちゃ、強さの裏付けというか、
強さの証明でもあるなと、改めて思いました。



僕は「エモい」って言葉が好きです。
まあ、使いやすいって部分もあるんですけど、
人によっちゃ、

「エモい」は日本語文化を侮辱してる!

なんてやべーやつもいるでしょう。


去年、たまたま本屋さんで、
「いとエモし」って本に出会ったんです。
和歌を現代語訳してる本なんですけど、
当時の人も、「をかし」を「エモい」みたいに使ってた的な。


なんか表現できないけど、めっちゃいいわー
ってのをわざわざ既存の言葉にしなくても、
色んな色の、形の、柔らかさの、重さの「エモい」があっていいと思うんですよねー。

言語化しない抽象的な世界もまた、おもしろそう。




ここまで「エモい」を大量に入力しすぎて、
ゲシュタルト崩壊を起こし、今、僕には、
「ニモい」に見えてます。
めっちゃオレンジ色ってことかな。
今度、ジャイアンツのタオル見たら言ってみよっと。









今日もお疲れ様です!
明日も一緒に頑張りましょう!





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