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キューちゃん

 キューちゃんは、わたしのものでも、妹のものでもない「おともだち」だった。
 布でできたおともだち、「ぬいぐるみ」は家にたくさんあった。わたしはキューちゃんより、ほかのおともだち、つまりムクちゃんやうさちゃんの方が大切で、自分に近しいおともだちだと思っていたので、妹がキューちゃんを抱っこしたり、耳をつかんでふりまわしたりしていても、特に何も感じなかった。キューちゃんは今でいうところの「モブ」。遊びの中で発生する物語の中で、大きな役は与えられず、その他大勢の中の傍観者だった。ずいぶん幼い時だったのに、わたしも妹も、すでに「中心の人(この場合はぬいぐるみだが)」と、「それ以外の、あまり重要でない人」の概念があった。
 キューちゃんに執着はなかったものの、かわいいとは思っていたので、妹がいない時には、わたしのムクちゃんの親しいおともだちにしたり、「ムクちゃんがいなくなったら、キューちゃんをわたしのおともだちにするからね」と言い聞かせたりしていた。結局、ムクちゃんもうさちゃんもいなくならなかったので、キューちゃんが親しいおともだちになることはなかったのだけれど。

 妹は自分のモモちゃんやアポちゃんを大事にしていて、キューちゃんは「その次」だった。キューちゃんはわたしたち姉妹に、一番にはしてもらえなかったけれど、その分ぼろぼろになるのが遅くて、長い間きれいでぴんとした形を保っていた。キューちゃんはもともと、タオルかけにくっついていたウサギのぬいぐるみで、それを母が切り離してくれたものだった。体は白いタオル地で、耳は赤と白のこまかいギンガムチェック、目は黒いフェルト、口は赤い三角形のフェルトでできていた。ニコッと笑ったように見える目と口の形がかわいい、でも「ちょっと物足りないな」と思わせる表情をしている。体にはみっしりと綿がつまっているのに、長い耳はぺらぺらだったので、わたしはよく耳を持ってぶら下げていた。ほかのぬいぐるみ達がふわふわしていたり、やわらかな毛におおわれているのに比べ、キューちゃんは簡易な体だった。遊ぶ目的で作られたぬいぐるみと違って、タオルかけの付属品、「おまけ」のぬいぐるみだったからかもしれない。

 ムクちゃんやうさちゃん、妹のモモちゃんやアポちゃんは、遊ぶ時間とともに、ぼろぼろになり、あちこちが破けて、破けたお腹や手足からは、茶色のスポンジや綿がはみ出てきた。おともだちだったのがただのぬいぐるみになり、ぬいぐるみが布のかたまりに変わる。その変化の中で、わたしたちも成長し、だんだんぬいぐるみで遊ばなくなった。遊ばなくなったぬいぐるみが、いつの間にかどこかに行ってしまって、「おともだち」にして大事にしていた気持ちもどこかに消えた。ぬいぐるみで遊んだ時間も、その時間に流れていた物語も、いつの間にか終わる。「じゃあ続きは、また今度!」と言って、ぬいぐるみ遊びを終えたのはいつだろうか? 小学生の頃、高学年だった頃か、それとも、もっとあと、もっと前のこと? 途中で終わったままの「続き」、お話のその先は、いつかの午後の夕暮れで止まったままだ。はじまったのがいつかわからないのと同様「終わり」がいつか、はっきりしたことはわからない。そばにいた「おともだち」もいなくなったので、もう続きもできなくなった。

 二十年か二十一年、たぶんそのくらい経ったある日のこと、わたしはある家に行くために、役場の保健師と車に乗っていた。目的の家には高齢の母親と、その息子が住んでいる。高齢の母親には認知症があり、症状のため自分の身の回りのこと……排泄や、入浴、きちんと食事することが難しい。息子はアルコール依存で飲酒の量が極端に多い。過度にアルコールを摂って、母親に暴力をふるい、母親が怪我をすることもあったし、今のままでは自分自身の健康を害するおそれもある。役場の保健師とわたしが訪問する目的は、息子の様子と母親の様子を見に行って、状況を把握して自治体の担当者へ報告することだ。虐待の案件として、緊急に隔離しなくてはならないかもしれない。
 自宅へ到着すると、母親は眉間にむっつりとしわをよせて、家の前で座り込んでいた。真夏で気温が高い。汗で髪もぺったりと頭皮にはりついている。母親は(ときどき高齢の女性が着ている)ムームーのようなワンピースを着て、足には「つっかけ」をはいていた。体からは汗のほかに、尿と便のにおいもする。足首から先はずいぶん腫れていて、黒く汚れている。
「息子に『外に出とけ』って、言われてん」
 汚れた顔と、目に見えるところの体をそっと確認しても、怪我や痣はない。
「息子さん、どこにいますか?」
「家の中」
 わたしたちは扉を開いて、家の中に入った。中にも熱気がこもり、排泄物のにおいや、放置された食べ物のにおいが鼻の奥を突きさす。玄関は古い靴でいっぱいで、廊下には新聞やナイロンの袋、食べ残したお弁当、衣類がうず高く積み重なっており、その隙間を大小の虫が走りまわっている。小さな羽虫も飛んでいる。大きないびきが廊下の先にある「息子さん」の部屋から聞こえてくるけれど、その先までたどりつけそうにもない。物があまりに多すぎるし、無理に進むと積み重なった物に押しつぶされそうになる。伸びあがるようにして確認すると、息子さんは物の向こうの空間のまんなか(よく漫画やアニメで見るアリジゴクの巣のような感じだ)で、大の字になって眠っている。その周りにも物が積み重なっていて、食べ残しのお弁当に加え、お酒の入っていたパックやグラス、缶ビールの空き缶が大量にある。ビールの飲み口に残っているしずくに、ハエが止まってぱっと離れる。
「起きて下さい!」
 大きな声をだすけれど、熟睡しているせいで聞こえていない。体を揺さぶって起こそうとしても、物が邪魔で近づけない。保健師は、さっきの母親とそっくりに眉間を皺を寄せて、わたしに言った。
「だめやねー。これじゃ息子さんの近くに行かれへんわ。もっかい呼ぼうか。せーの」
「起きて下さい!」
 一緒に大きな声を出しても、やっぱり息子さんはぴくりともしない。
「こうなったら、これでどうや」
 保健師は、手近にあった白いものをつかんで、息子さんめがけて投げた。白いものは、天井に向かって上がったあと、ぼすんと音を立てて、息子さんのお腹に落ちた。
「なんや? あんたらは」
 息子さんは目を開けたあと、ゆっくり上体を起こしたけれど、わたしは保健師が投げた白いものから目が離せなかった。キューちゃんだ! 昔、わたしの友だちだったウサギのぬいぐるみ、ギンガムチェックの耳、タオルの体のキューちゃんだ! 
 長い年月を経て再会したキューちゃんは、白い体が汚れていて、よれよれになっていたけれど、ニコッと笑ったような顔は変わらなかった。物足りないと思っていた笑った顔は、汚れた部屋の中で、とてもかわいく見えた。

 結局、すこし後になって、息子さんはアルコール依存の治療のために入院、母親は老人の施設へ入所が決まった。居住していた賃貸の家は引き払い、退院後を見越して、息子さんが快適に過ごす住居を別に借りることになる。あの、物でいっぱいだった部屋は専門の業者が入り、不用品は処分されることになる。あの家にいたキューちゃんも一緒に。
 物事が(比較的)スムーズに進んだのは、保健師が優秀だったからで、わたしは何もしていなかったけれど、「おさまるところにおさまり、良かった」という気持ちにはなった。
 そして、わたしはキューちゃんに再開してから、頭のどこかが、静かに興奮しているような感覚から逃れられないままでいた。
 この世の中にある「もの」、商品として流通した「もの」は、もちろんわたしの家だけにあるわけではなくて、あちこちの家にあることは、頭では理解していても、わたしの家にあったキューちゃんが、長い間かけて、あの家に移動したようにも思えるし、途中で止まったままの物語が、どこかで進んでいたようにも思えた。こういうことはただの思いこみで、大きな意味もないこと。大したことはないと自分に言い聞かせてみても、やっぱり不思議な気がする。
 あの瞬間、保健師の手から離れて、ひらっと宙を飛んだキューちゃん、息子さんのお腹に落ちたキューちゃんの体は、同時にわたしの心の中にも落ちて、わたしにしか聞こえない音を立てて沈んだ。わたしにとっては不思議な再会で、その後何度も思い出す出来事だった。