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廉恥心から考える"プライド"と"自信"の違いについて

廉恥心という言葉をご存知でしょうか。

"シャーロックホームズ"の一節に、主人公シャーロックホームズにとある貴族が依頼する際、
「あなたの友人はそれだけの廉恥心と分別を持ち合わせておられるのかと?」
と質問した場面があります。

…いや何ですか。その言葉は生まれてこの方、一度も聞いたことがない言葉でした。
調べてみると廉恥心とは「清らかで恥を知る心」という意味であり、もっと噛み砕くと誠実であること、間違いを犯した際に恥ずかしがる心、素直に認める心のことです。

上記の場面では、貴族が依頼する際に友人を信頼できるかどうかを確認したくて、廉恥心を持っているかを確かめたのです。

貴族の依頼は秘密が多く、信頼に足る人でないと依頼できないのは確かだなあ、なるほどだから廉恥心が必要なのか。
と思いながら廉恥心について少し興味が出て、より調べている際に、以前言葉の捉え方が分からなかった”プライド”と”自信”の違いについて、これは廉恥心のある無しが違いなのではと気づきました。

昔プライドを持つことと自信を持つことの違いがわからなかった。こだわって頑張ってきた仕事や行動に対して、プライドがあることも自信があることも同じだと思っていました。

だが、正確には違う言葉だと思います。
”プライド”には廉恥心がなく、”自信”には廉恥心がある、ということです。

ここからは個人的な持論ですが、プライドとは、自信があると思い込んでいる考えです。他とあまり比較せず、ただできると思い込んでいます。間違ったことも正しいと自分の中で思わせている、そんな井の中の蛙の状態なのかなと捉えています。

一方、自信は自分の仕事、行動に対して、色々と言われ、時に壁にぶつかりつつ、誤っていたことを認め、上手く自分の中で昇華させて、その結果得た物です。しなやかさがあるイメージです。

プライドを翻訳すれば自信があることになるし、言葉の字面だけはほとんど同一です。けど、実情は異なり自信には廉恥心があり、様々な過ちを素直に認め、改善していった結果なのです。

廉恥心。自分にありますとはまだ自信持って言い切れないので、
これから周りの人に廉恥心があるね、と言われるように励んでいきたいと思います。

その前に、廉恥心という言葉を知ってもらわないと…。

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