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なぜ小説を書いているのか、という悩み

12月末に小説を書き終えた。書き始めたのは恐らく6月だった。半年も、その間ずっと机に向かっていたわけではないけれど、それでも半年もかかってしまっていた。4万文字いけばいいかな、と思っていた文字数はいつの間にか5万を越えていた。

その小説を友人に読んでもらった。その友人と飲みに行った際に、その小説について話した。物語に関する感想を一通り終えた後で、彼女にこんなことを言われた。「あなたが小説を書き終えることが出来た原動力は、なに?」

その言葉を聞きながら、百田尚樹の「夢を売る男」の牛河原の言葉を思い出していた。

「小説を書く奴なんて、たいてい頭がおかしいんだ。嘘だと思うなら、一度三百枚くらいの小説を書いてみたらいい。絶対に最後まで書ききれないから」
「書き出す前は傑作になるかもと思い込んで書き始めたものの、上手く書けなくて、また途中で読み返して、こりゃダメだとなるのが普通の人間だ」
「つまり最後まで書き切るというのは、そのあたりの神経がどこかおかしいんだ」

百田尚樹「夢を売る男」

自分が小説を書き終えられたのは何故だろう。そもそもこの小説を書き始めたのは、地元の友達から「お互いに小説書いて、本を作ろう」と誘われたからだ。彼の小説が完結するのか、同人誌として出版できるのかは置いといて「彼の誘いを承諾したのだから、とりあえず書き終えないとな…」という責任感で書いた。加えて、これを読んで欲しい、と思えるある友人がいたことも大きい。彼が抱える悩みを少しでも解消してあげたくて、この話を書いた。今思えばなんて烏滸がましいのだろう。

彼女に理由を聞かれた時、この2つの理由が思い浮かんで、それをそのまま伝えた。けれどその理由を自分で話しながら「他人任せな奴だな」と我ながら思っていた。5万文字の小説を書いてしまう程どこかおかしい筈なのに、その理由を他人に委ねて自分で自分の人生の責任を取ろうとしていない。中途半端この上ない。

話は変わって、仕事や経済的な面で悩みがある。今の仕事は殆ど家で働くことが出来、都内で一人暮らしができる程度には給料を頂けているが、そこでの業務は自分の人生の経験値に必要ないというか、早い話が「これ何の役に立つねん」という薄っすらとした絶望がある。納得はしてないけど別に最悪でもないからなぁ。と大人になれるほど今の仕事に腹を据える覚悟も無い。まだまだ幼くて自分勝手で自分のことしか考えていないのだ。

こういうことを書くとまた仕事を辞めるのかと思われそうだが、今すぐにでも退職したいという苦しさはない。毎朝、満員電車に乗る必要が無い生活は精神的なストレスが皆無なことを知った。それがまた恐ろしくもある。


話が逸れたが、要は自分でも自分の原動力が何であるのかが不明だ、というそれだけの話だ。なぜ小説を書いているのか、という悩み。これが自分の将来に繋がるとか、これで食っていければいいなとか、そういうことを考えていたわけでもない。おそらく、将来について考えるべき優先度の高い”何か”が大量にあるのに、それを見たくないから逃避として書いているのかもしれない。多分そうだな。なんだかそんな気がしてきた。

話にまとまりが無くなってきたのでもっと脱線させてしまおう。年末は新潟に旅行をして、年越しの瞬間はシェアハウスをしていた友達とモノマネをしていた。初夢で有村架純と会って、初詣と称して近所の神社と亀戸天神と浅草寺に行った。年始に初めてすしざんまいに行った。学生の時から聴き続けていたcreepynutsのラジオが終わるらしい。夏フェスで惚れたDYGLのワンマンに行って、友人に推されたぼっちざろっくを全話観て、人から借りていたホワイトカメリアをようやく読んだ。相変わらず髪は伸ばしていて、電気代が2万円を超えそうで、二月と三月は仕事が忙しくなるらしい。

今は先日noteにあげた「」を完結させるべく小説を書いている。自分で作ったWBSは一週間前で更新が止まってしまっているが。




【お知らせ】5月21日の文学フリマに出ます

5月21日に文学フリマにて本を販売します。「裸」は無事に完成しました。僕が書いた小説が3つ、友人が書いた小説が3つ。それぞれのエッセイ3つを合わせた全300ページの小説です。タイトルは「無自覚デコンストラクション」。著者名は25歳ズです。

表紙です。

TwitterのDMにて取り置き予約を受け付けていますので、是非ご連絡ください。

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