見出し画像

僕の趣味が読書になるまでの話【伊坂幸太郎は蒙古タンメン】


「周りの目を気にして、本が読めなくなってしまった」

「本を読みたいけれど、どんな本を選んだら良いのか分からない」

もしこんな方がいれば、是非読んでほしい。


これは、僕の趣味が読書になるまでの話だ。


ちなみに、小学生の時から現在までの読書の変遷を書いているので、割と長い。余談も多め。
(4000文字くらいある)(原稿用紙約10枚分)


小学生の頃

小学生の頃、僕は勉強ができない子どもだった。
全部の教科が苦手だったが、一番嫌いだったのは漢字だった。

どのくらい苦手だったかというと、

初め始めの使い分け方は?
の違いは何?
復習?複習?

みたいに、分からないことだらけだった。
漢字を覚えることも、漢字の意味を覚えることも苦手だった。

小学校5年生の時には、放課後の居残りテストで「桜」って漢字が書けず、困っていたら友達がこっそり教えてくれた思い出がある。
その後先生に見つかって2人ともゲンコツくらったけど。

余談だけど、大学生の時の授業で平方完成ができず、周りの全員から驚かれた記憶がある。
なろう系主人公よろしく「またオレなんかやっちゃいました?」状態だった。
それ以来、大学の友達の一人が僕のLINEの名前を平方完成にし続けている。


そんな僕だったが、なぜか文章を書く力に関しては自信があった。
小学校6年生の時の「小学校6年間を振り返ろう」というテーマの作文では、「小学校6年生の僕がタイムスリップをして、自身の1年生から6年生までを振り返る物語」を書いた。
話のオチまで完璧な作文になるはずだった。

けれど、作文を書き終えたみんながドッチボールをしに校庭に走っていく姿が羨ましすぎて、無理やり終わらせた記憶がある。
作文の中のタイムスリップは、小学校2年生で終わっていた。


読む力はもっと自信があった。
朝の会での朝読書の時間では、クラスの中で一番多く本を読んでいたので、周りと比べても本を読む力があったんだと思う。

夏休みの宿題も、読書感想文だけは毎年欠かさずやっていた。
枯らしてしまった朝顔の観察や、くしゃくしゃの画用紙に書く絵の課題とは違った。
31日にならないと何もやらなかった僕だったが、唯一読書感想文だけは必ずやっていた。


余談だけど、小学生の僕は、青い鳥文庫がとにかく好きだった。
パスワードシリーズ』や『怪盗クイーンシリーズ』、『名探偵 夢水清志郎シリーズ』。
読んだことある人も沢山いると思う。これらは本当に傑作揃いだった。
青い鳥文庫は、たまに思い返してはエモい気分になる。
小学校の階段の途中にあった大きい鏡や、組体操の時の「いきものがかり」みたいに、ふとした瞬間に思い出しては懐かしくなる思い出の一つだ。


こんな風に、勉強はできなかったが、本を読むことは得意な小学生だった。
読書が趣味の小学生だった。



中学生の頃

そして、中学生になった僕に転機が訪れる。
伊坂幸太郎との出会いだ。

きっかけは中学校の学級文庫に、伊坂幸太郎の『フィッシュストーリー』があったことだった。
『フィッシュストーリー』を読み終わった後に「世の中にはこんなに面白い本があるのか」と、涙が出るくらい感銘を受けたことを覚えている。

驚くべきことに、伊坂幸太郎の本はどれもこれも面白かった。
小洒落た言い回しと胸を打つような格言が点在し、話の落ちも完璧。
中学生の僕は、最後の一行の為だけにそれまでの何万文字がある伊坂幸太郎の小説にどんどんハマっていった。


しかし一つ問題があった。
それは、伊坂幸太郎の小説が蒙古タンメンだったことだ。

早い話、伊坂幸太郎の小説が面白すぎて、その他の小説に心が動かなくなってしまった。
蒙古タンメンを食べた後に他の辛口グルメを食べても何か物足りないのと同じく、伊坂幸太郎を読んだ後に他の小説や文庫を読んでも、何か物足りない体になってしまったのだ。

そのせいで、当時流行っていた山田悠介やラノベを読んでいる同級生を見下すようになってしまった。
偏文学の中二病の完成だ。

こうなってしまったのは、周りで伊坂幸太郎を読んでいる人が少なかったことも原因かもしれない。
偏文学の中二病になってしまった僕は(僕は山田悠介とかラノベじゃなくて、ちょっと良い本読んでますよ…お前らより先行ってますよ……)と大人ぶっていた。
読書が趣味で、読書が武器の、中学生だった。


今考えれば完全に嫌なやつだ。
読んでる本でマウントを取るなんて、僕が一番嫌いなタイプじゃないか……。
人はこうして過去の自分を恥じ、黒歴史を乗り越え、また生きていく。


余談だけど、その『フィッシュストーリー』はまだ僕が持っている。Y先生借りパクしてごめんな。
今思えばあれ私物だったのかな、だとしたらめちゃくちゃセンスが良いな。
Y先生、ジャージとメガネはダサかったし、同じエピソードトークを何回もする先生だったけど、僕はそんな嫌いじゃなかった。
今度会いに行こうかな。


高校生の頃

高校生になると、「趣味は読書です」と言えなくなってしまった。
高校生なんて本を読むことが当たり前の年齢だし、僕より本を読んでる人が沢山いた。
僕は伊坂幸太郎の他に朝井リョウも読むようになっていたが、多くの本を読んでいたわけではなかったので、「趣味は読書です」なんて言うのが恥ずかしくなっていた。

この頃、backnumberやRADWIMPS、FUN.などのバンドにハマり、趣味が「音楽を聴くこと」に変わった。
さっきの理論でいうと、僕より音楽を聴いてる人なんてめちゃくちゃいるんだから、音楽を聴くことだって恥ずかしい趣味になってしまうんだけど。

僕は一体、何にビビってたんだろうな。
きっと周りの目を気にし過ぎていたんだと思う。高校生はそういう時期だ。

そんなこんなで読書が趣味だと周りに言わなくなった。
音楽を聴くことが趣味の、高校生だった。


余談だけど、高校生の時は合唱曲もかなり聴いていた。
「第何回の全国大会での○○高校の演奏がさぁ~」と他の人より合唱曲知っているマウンティングをとっていた。
こいつホント嫌なやつだな。


大学生になって

大学生になると、暇な時間が増えた。
大学の図書館で気になる本を借りたり、バイトで得たお金でブックオフや文教堂で本をたくさん買った。

小説、新書、ビジネス書など、結構いろんな本を読んだ。
大学の課題で読まされた本も合わせると100冊は軽く超えるだろう。


余談だけど、大学生活で読んだ中で一番面白かった本は『砂漠』だ。
結局、伊坂幸太郎だ。


ただ、そんな沢山読んだ本でも、覚えている本は意外と少ない。
本の題名を見て要約をすらすら言えるのなんて半分くらいだと思う。


本を読む上で一番大切なことは?

「折角読んだのに、内容を覚えていなのは意味が無いんじゃないか?」と思うかもしれない。
確かに僕もそう思う。

だけど「別にそれでも良いのかも」と最近思い始めた。

勿論、読んだ内容を完ぺきに理解することや、1冊でも多くの本を読むことも大切だと思う。

けど、それが一番大切なのかな。
多分違う。

一番大切なのは、自分が読みたいと思った本を選ぶことだと思う。


僕はこれまでに、多くの本を読んできた。
小学生の時の青い鳥文庫、偏文学の伊坂幸太郎、こっそり読んでいた朝井リョウ、大学生になってから読んだ小説、新書、ビジネス書……

面白い本に出会えた一方で、そうではない本もあった。難しすぎて途中で読むのを諦めた本もある。
だけど、そのほとんどが「あ、ちょっと面白そう」くらいの気持ちで手に取ったものだ。
自分で本を選んできたからこそ、多くの本を読めたんだろうなと今になって思う。


本を読む習慣が無かったり、一度読書から離れてしまった人からすれば、「そもそもどんな本を選べばいいのか分からない」という意見もあるだろう。

けれど、最初は「なんとなく面白そうだな~」でもいいから、自分が読みたいと思った本を手にとってみてほしい。
その最初の一歩を踏み出すことが、読書をする上で一番大切なことだと思うから。


そして、自分で選んだ本を読み続けていれば、自ずと自分の好きな本がみえてくる。
どんな文章に心が動くのか、どんなジャンルが苦手なのか、どんな本が好きなのか分かってくる。

それが「本を読む」ということだと思う。


どっかの漫画の主人公がこんなセリフを言っていた。

「読まないといけない本なんて、この世に一つもない。」


今は、なにかと周りからの目を気にしてしまう時代だけど、そんなものは無視して、自分が読みたいと思う本を選ぶことから始めてほしい。
そういう人たちが増えて、みんなで自分の好きな本の話題で盛り上がれるようになれば、さぞ楽しいだろうなぁと思う。


最後に

結構長くなってしまいましたが、どうでしたか?
あなたが今、本を読みたい!という気持ちになっていれば、嬉しい限りです。

あなたが自分で選んだ本を読み、この本良かったな~!と笑顔になるその日を待ち望んでいます。



余談だけど、僕の趣味は読書です。


おわり、


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?