「お金のいらない国」を実現するために必要なこと
以前、長島龍人さんの小説「お金のいらない国」を読んだことがあります。
小説の主人公は、ある日突然「お金のいらない国」に迷い込みます。そこでは、レストランで注文して料理を食べるのもタダですし、家に住むのもタダです。何をするのも全てがタダなのです。
その国に住んでいる人みんなが、自分にできること、自分が得意なことでもってお役に立つことで、あらゆるモノやサービスが生み出され、社会の中で循環しています。そうしてお金のいらない国が成り立っているのです。
主人公は最初、「本当にタダで良いのかな」とドキドキ、ギクシャクしながらも、その国のモノやサービスを享受していきます。とても住み心地の良い国です。
そうしてふと、主人公は考えるのです。
自分も何かお役に立ちたい。自分だけ何もしていないのは申し訳ない。
この思いこそが、「お金のいらない国」を成り立たせているエネルギーです。人間は誰しもが皆、そのようにできています。
そうして主人公はこの国で様々な経験をして、自分の国に帰っていきます。
ベーシックインカムを主張される方々の中には、この小説を読んで「素晴らしい世界だ」「このような世界を実現したい」と思っておられる方も多いと思います。
私もこの小説のような世界が実現したら良いなと思います。
ただ、ベーシックインカムでは、そのような方向には進まないのではとも感じています。
お金のいらない国を実現するためには、私たち一人ひとりの心が変わらないといけません。
小説「お金のいらない国」の主人公は、お金のいらない国で何不自由なく与えられ、「自分も何かお役に立ちたい」との思いを抱きました。
ただ、そのように心が変わったのは、主人公が一人だけお金のいらない国に招かれたからこそ起きたことではないかとも思います。
周りの人がみんなお金のいらない国の人であり、その人たちがみんな「自分が誰かのお役に立てることへの感謝と喜び」に満ちて働いていた。その感謝と喜びのエネルギーに影響を受けて、主人公の心も大きく変わっていったのはないでしょうか。
人は集団の心理に影響されるものです。社会の大多数が感謝と喜びのエネルギーに満ちて働いていれば、そこに誰かが一人加わったとしても、その社会のエネルギーに感化されていくことになります。
私たちの世界をお金のいらない国にしていくためには、私たち自身の集団心理・社会心理が感謝と喜びの方向へと変わっていかないといけません。
ベーシックインカムを導入することで、私たちの心がそのような方向に変わっていくことができるのかどうか。
以前のエントリにも書いた通り、私はむしろベーシックインカムは人間の活力を失わせる方向に働くのではないかと思っています。
今、私たちの心を見ると、感謝と喜びよりも不安や不満の方が大きくなっているように思います。
心がそのような状態のままベーシックインカムを導入したとしても、「ありがたい。この感謝に応えるために、自分のお役に立てることで頑張ろう」と皆が思い始めるかというと、中々そうはいかないように思います。
むしろベーシックインカムを「当たり前のことだ」「当然の権利だ」と思い、さらには「もっとほしい」「もっと寄こせ」と思い始める可能性が大きいのではないでしょうか。
太陽の光、空気、食べ物、健康な体、科学技術。
私たち、特に現代の日本に生まれた人々には既に多くのものが与えられています。でもそのことが当たり前になってしまい、私たちは「足りない」「もっと」という思いを抱いてしまいがちです。
まず私たちの心が変わらないといけません。
「もらう」より先に「与える」ことから始めてみませんか。
自分にできることで、誰かのために。
一人の行動が周りに与える影響はとても大きいと思います。
そのように行動を変えていくことで、結果的にお金がいらない世界は実現していくのだと思います。
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