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心地よい夢の中で、ねんねんころり こんころり ~鬼滅の刃に学ぶ~

鬼滅の刃に「魘夢(えんむ)」という鬼が出てきます。

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「眠り鬼」とも呼ばれ、相手に心地よい夢を見せ、相手が夢の中で幸せに浸っている間にその魂を破壊してしまう。

相手を眠らせる方法として、相手と目を合わせ、その瞬間に術をかけるというシーンが何度も出てきます。

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目を覚まし、魘夢との間合いを詰め、あと一歩で倒せるというところで、また眠らされてしまう。

そうして目が覚めたと思ったら、またすぐに目を合わせられ・・・。

眠った先には、いつまでも見ていたくなるような心地よい夢、自分にとって都合の良い夢が広がっています。


この魘夢はある意味、「私たち現代人が、最も慣れ親しんでいる鬼」と言えるでしょう。

私たちは日々、この魘夢に眠らされています。

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スマートフォンやパソコンの画面を見つめる現代人。

その目には、いつも様々な刺激・情報が飛び込んできます。

YouTube動画のサムネイル、SNSのお知らせ、広告バナー、ネットニュース、等々・・・。

それらは、私たちの欲求を刺激し、満たしてくれたり、不安を解消してくれたりします。

魘夢は言います。

幸せな夢や都合のいい夢を見ていたいっていう人間の欲求は凄まじい

何か大事なこと、やらなければいけないことがあったはずなのに、目に入ってきたものに心を奪われてしまう。

そうして、ふと気づいたら多くの時間が過ぎ去ってしまっている。


魘夢は私たちに囁きます。

さぁ、お眠り。どうして起きようとするの?せっかく良い夢を見せてやっているでしょう?
誰にも迷惑をかけていないなら、それで良いでしょう?

人生の時間をなるべく心地よい夢を見て過ごしていく。そのために必要な刺激や情報は、今、あふれるほどにあります。

夢に浸っていく私たちの姿を見て、魘夢はほくそ笑みます。

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幸せな夢を見せた後で悪夢を見せてやるのが好きなんだ


悪夢。

私たちは、いつ悪夢を見せられることになるのでしょう。


その答えは、煉獄さんと魘夢、それぞれの最期のシーンに込められているように感じます。

煉獄さんは自らの生を終えるにあたり、以下のように問いかけました。

母上、俺はちゃんとやれただろうか
やるべきこと 果たすべきことを全うできましたか?

その応えは、「立派にできましたよ」という母の言葉と優しい笑顔でした。

ボロボロになりながらも、煉獄さんが最期、笑って旅立つことができたのは、自らのやるべきこと、果たすべきことをやりきったからでした。


一方、魘夢は自身の死の間際、自分の一生のことを「悪夢だ」と言います。

俺は全力を出せていない!!
ああああ やり直したい やり直したい
何という惨めな悪夢だ・・・


この二人の最期、とても対照的に描かれていると思いませんか。

私たちは誰もが皆、死ぬ時に自分の一生を振り返り、「これで良かったのか?」と心に問いかけることになります。

どうすれば、煉獄さんのように笑うことができるのでしょう。


何度甘い夢を見させられても、自分に打ち勝ち、目を覚まして鬼に向かっていく。

そんな炭治郎の姿に、私たちは学ぶことがあるように思います。

目覚めろ!!
起きて戦え!!

魘夢の術で夢を見ている炭治郎に必死で呼びかける、もう一人の炭治郎の言葉です。


ねんねんころり こんころり

鬼は今日も、私たちの耳元で囁いています。

生きている限り、五感を通して様々な誘惑が飛び込んでくる。そうして心が奪われそうになる。

その瞬間瞬間に断ち切っていく。

魘夢という鬼との戦い。そこには「夢から目を覚まして戦え」という、私たちへのメッセージが込められているように感じます。


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