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【短編小説】あこがれのほうき

 わたしは学校の掃除時間、ほうきを使ったことがありませんでした。ずっとずっと、ぞうきん係でした。べつにそれが嫌ってわけではなかったんです。でもやっぱり、ほうきはぞうきんと違ってあまり手が汚れないから、いいなあと思っていました。

 小学校では、どの掃除用具を使えるかは早い者勝ちで決まりました。五時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、クラスのみんなは教室の隅っこにある掃除用具入れに勢いよく群がります。ほうきの取り合いです。わたしはとてもどんくさかったけど、何度かほうきを手にできたことがありました。だけど、わたしがほうきを持つとクラスのみんなは決まって“なんでこいつがほうきなんだよ”という感じの目で見てくるのです。だからなんだか申し訳なくなって、「使っていいよ」と別の誰かにほうきを渡しました。無言の圧力だけでなく、言葉で伝えられたこともありました。四年生のときでしょうか。

「なんで? なんであんたがほうき持っとると? なんで?」

 すごく美人でクラスの中心的存在のリカちゃんは、ほうきを握るわたしに向かってそう言いました。じっと目を見つめながら。リカちゃんは決して「あんたが使うな」とか「わたしに使わせて」とは言いません。「なんで?」とわたしがほうきを使う理由を問うてくるのです。「たまには使ってもいいでしょ」なんて言う勇気もなく、なんだかずるいなあと思いながらも「ごめんね」とリカちゃんにほうきを手渡すのでした。

 中学校では、クラスを五つの班に分けて、日替わりで放課後に掃除をするというシステムでした。

「最初はグー、じゃんけんポン」

「ウチほうきね」

「おれまたぞうきんやん~」

 班のメンバーでじゃんけんをして何を担当するのかを決めます。勝った人はほうきを手にすることができます。ですがこのじゃんけんは、毎回わたしのいないところで行われるのです。わたしにはぞうきん以外の選択肢を手に入れる機会すらないのです。まるで透明人間になったような気分でした。べつに、いじめられていたとか、そういう感じでもなかったんです。「わたしもじゃんけんに参加させて」と言えば、仲間に入れてくれたと思います。だけどなかなか声をかける勇気が持てず、あわよくば誰かが気にかけてくれるんじゃないかという甘えた気持ちのまま、あっという間に時は過ぎていきました。

 高校は、小学校のときと同じように早い者勝ちでした。やはり手の汚れないほうきは大人気で、いつも争奪戦になっていました。一方でわたしは、無邪気にほうきを取り合うクラスメイトを横目に、ぞうきんのもとへ一直線に向かうのです。わたしなんかがほうきを使うなんておこがましい、そう思ってひたすらに床を拭きました。

「いつもぞうきんがけ頑張って偉かね~」

 担任の先生はそう言ってくれました。通知表にも『いつも掃除に一生懸命に取り組んでいます』と書かれていました。わたしだって、できることならほうきを使って楽をしたい。ほうきを使っても許される存在になりたい。その思いを知る者は誰一人としていないのです。


 それから数年が経った今、わたしはずっとあこがれていたほうきを使って仕事をしています。

「あのー、清掃の方すみませーん。もしかしてここまだ掃いてないですか?」

 デスクの下を指さしながらわたしを呼んでいるのは、小学校のクラスメイトだったリカちゃんです。パリッとしたパンツスーツを見事に着こなしています。凛とした顔立ちも健在です。そんなリカちゃんは、きっとわたしのことをまったく覚えていません。わたしなんて記憶するに値しない存在なのでしょう。

 わたしは「すみません」と言って、清掃会社から支給された作業着をシャカシャカと鳴らしながら小走りでリカちゃんのデスクに向かいました。ちゃんと掃いたはずなのですが、そこにはさっきは無かったクッキーか何かのくずが散乱していました。それを見た途端、なんだか自分が情けなくて情けなくて仕方がなくなりました。職業に貴賤はないとは言いますが、この世界の理不尽さを痛感し、心臓が握り潰されるような気分でした。勉強だけは誰にも負けないようにとたくさん努力して、いい大学にも行ったのに。

 それでも、こぼれそうになる涙を堪えながら、いつかきっと心から笑える日が来ると信じて、ぎゅっと握りしめたほうきでリカちゃんのデスクの下を掃くのです。

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