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ダメ人間の零細ライターが育児エッセイ「そして、父になりつつある」を書き始めます

20代の大半を年収100万円程度の状態で過ごし、実家を出たのは30歳を過ぎてから。職業は零細フリーライター…と、なかなかに穀潰しアウトサイダー気味な生活をしていたので、20代後半にさしかかるまでは自分が結婚をしたり、ましてや子どもを持ったりという想像をしていなかった。

自分の食いぶちを稼ぐので精一杯な人生だったため、誰かを養うなど、微塵も考えたことがなかった。妻の妊娠が発覚してから出産までの間も、その事実に現実味を感じることがなく、いいようのない不安のせいなのか、つねに自分の体だけ重力が1.2倍になったかのような、若干体が重い気がしていた。

そんな状態から、現在は子どもが生まれてから2年以上が経過。固定観念やバイアスをまったく持たないひとりの人間が、ゼロから世界の理を学習していく過程とその姿勢がすさまじく興味深く、愛おしい。

こういうことで喜ぶのか、こういうことで怒るのか。その一挙手一投足がかわいく感じるため、人並みに、スマホは子どもの写真と動画で容量がいっぱいになりつつある生活を送っている。

また、実家ぐらしが長く、唯一ひとり暮らしを経験した海外では、済んでいた建物にメイドがついていたため、これまで家事スキルがゼロだった自分が、子育てを通して、徐々に文明を使い始めることで、家事を妻と分担するようになってきた。

●社会不適合者が子どもという社会との接点を持った

正直に白状すると、出産から保育園に通い始めるまでの約10か月はろくに家事、子育てに参加せず、のうのうと暮らしていたのだけれど、ある時期に、過去の悪事がバレたことで、その日のうちに離婚届を用意され、家を追い出され、離婚寸前までいってしまったため、平身低頭謝って、父親としての役割を担うよう誓った。

その後は家事は半分に分担を目標にしつつ、結局は3:7で妻の負担が大きい現状だが、なんとか父という役割をこなすように奮闘中。そして、その生活を送る中で、3:7しか担当できていなくても、周囲の人々から「イクメンですね」「奥さんが助かってるでしょうね〜」と褒められて、困惑する機会が非常に多い。いわゆる「子育て」が、女性が担うことが標準化されすぎていると感じる。

その他にも、年配の人から「自分の時代は、子育てなんてまったく参加しなかったよ〜ガッハッハ」となぜか誇らしげに語りかけられたり(なんなら、そんなことせずにもっと仕事に励め的なニュアンスだった)、保護者会的なイベントが男性ひとりだととても気まずかったり、いろんなイベントが日々発生する。

家事能力ゼロの社会不適合者が、どのように家事・育児に参加しているのかというレポートから、ただの子どものかわいいエピソードまで、日々のメモをもとに、そして、父になりつつある自分の感じたことをエッセイを書いていきます。

社会不適合者の零細フリーライターが、子どもという社会との接点を持ち、家族のなかで、「父」という役割を負うために、奮闘する日々をつづります。

次回、第1回めは、子どもの生後3週間頃に書かれたと思われる、ほぼエッセイに近いメモです。



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