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人生山あり谷ありモハメドアリ

※人生何が起こるか分からない※

本当にその通りだと思う。
大阪で生まれ、すぐに滋賀県に引っ越し20代前半まで滋賀県で過ごした僕にまさか日本から遥か遠い場所「ドイツ」で、しかもロシア人のパートナーと過ごす未来が来るなんて想像だにしなかった。
というのも僕は子供の頃から本当に内気で自主性も無く、運動も苦手で、勉強もダメで友達も少なく、外で遊ぶより家の中でシールで遊んだり絵を描くという事の方を好むタイプだった。
そして何より周りも引くほど泣き虫だった。
一人でいるだけで不安になり泣き、学校で先生に問題を当てられたら泣き、塾で問題が分からなくなれば泣いていた。
それが小6くらいまで続いた。
そんな僕を柔道や空手、子供キャンプなど他者と関わるイベントに無理強いをさせなかった両親には感謝しかない。(提案されてもギャン泣きしていた)
とにかく自分というものがなく、ただ過ごす毎日…山登りのような感覚。
これが僕の中の「」に該当するかもしれない。


これは20代中盤から後半辺りだと思う。
中学、高校を経て少しづつ自分の好きな物、事が分かり始め大学は地元の美大へいった。
そこで自分の色を見つけ探究する日々。しかしそう上手くもいかず卒業し、フリーターをしつつ東京で初めての一人暮らしを始めた(1年だけ)
そして地元に戻りアパレル系の会社に就職し、1年足らずで辞めた。
そこで自分の仕事の出来なさを痛感し精神的にも肉体的にも悲惨な状況だった。
この頃は今後自分はどのように生きていけばいいのかと思いながらダラダラと家で
アニメを見たり部屋の模様替えに勤しんでいた。
これが僕の「谷」にあたる。

家で毎日何もできない、しない日々を送っていた自分に変化が起こったのはこの時期となる。
「そうだ、僕はアート、ファッションが好きだ」となり(後にメイクアップの方が好きと分かる)美容専門学校へ通い、運良くアシスタントの採用もあり再び東京へ行くことになった。
その後数年東京で仕事をし、海外を意識するようになった。
(何故かと言うと当時師事していた方の助言が大きかったからである)
しかし、自分には正統派のメイクアップアーティストは無理だろうと感じていた。
そこでアートの分野でも有名なドイツに白羽の矢が立ったのである。
そしてこれも運良くというか僕の周りに海外経験、またはドイツに関わりのある人がいたのである。
彼らの後押しもありドイツへ旅立ったのである。
この時はワーキングホリデーの制度を使い、1年で根を上げて帰ってくるだろうと思っていた。(英語もドイツ語もほぼ話せない状態だったので)
そして気付けば5年程経っていたわけである。
そんでもってパートナーにも恵まれて現在ドイツで生きている。
メイクとアートの世界に足を踏み入れてから現在までが僕の「モハメドアリ」な期間になるのだと思う。

いつまで続くかは分からないけど、このまま自分のポンコツな部分と向き合って生きていければ御の字だなぁと思っていたりする。

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