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アートとビジネスをデザインする〜アートと承認欲求の関係〜

「アートとビジネスをデザインする」というテーマについて数回に渡って綴って行こうと思います。初回はアートと承認欲求の関係について深考していきます。

近年、アートの定義は複雑化され、用いられるシーンによって意味が異なる場合が多くなりました。今回ここで取り上げたいアートとは、所有するアートではなく自己発信的なアート。人によってはアートではなく「哲学」「宗教」「信念」「エゴ」「理念」などの言葉の方がしっくり感じる方もいるかもしれません。つまり文系的な思想を思い浮かべながら読み進んで頂ければと思います。

まず初めに、私が思うアートとは「自己に蓄積された経験と情報を因数分解して、それをモチーフに自己展開したモノ」だと思っています。


アートとは自己の深い部分にあるモノ

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アートの本質を考えた時に、私が思う本当のアートは人それぞれの感性のようなもので他者には容易に理解されないものだと思っています。なぜならアートそのものは自分だけが持っている「思考」を表現する事だと思っているので、自己のすごく深い部分にある思想や感情を他者が理解出来るはずがありません。

もちろんアーティストとして成功している人はその人のアートが多くの人に認められている証だとは思います。しかしよく耳にするセリフで「自分が本当に作りたかった作品は全く売れなかった」ということもあります。つまり、本当のアート。自己の1番奥深くにある感覚を認めてもらえる事はごく稀な事なのではないでしょうか?

もしもあなたがアウトプットしたアートが認められた。理解された。という経験をお持ちの方がいたら、もう一度思い返してもらいたいのです。そのアートは何からヒントを得た作品だったでしょうか?おそらくその作品に似たものが既に世の中に存在していませんでしたか?もちろんその作品を否定するつもりはありません。

アートというものは無意識のうちに他者のアートから影響を受けるものです。特に昨今の情報が溢れかえった時代において完全なオリジナルなアートを作り上げる事は不可能に近いのではないでしょうか?

そこで冒頭で挙げたアートの定義を「自己に蓄積された経験と情報を因数分解して、それをモチーフに自己展開したモノ」として捉える事ができれば、よりオリジナリティの高いアートを作りあげる事ができるのではないでしょうか?

しかしながら、ここで1つの矛盾が存在します。

仕事としてアートを創造するにあたり社会に認めてもらわなければ利益を出す事はできません。それなのにオリジナルアートの追求を極めたところで社会に認めてもらえないなら経済活動を持続することができないという矛盾です。


アートに承認欲求はない

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まずその矛盾について考えみます。この図を見ていただくとイメージしやすいと思いますが前提としてアートには承認欲求はない!と私は思っています。その理由の一つとして自己が発信するベクトルの方向の違いについて考察していきます。左に向かう矢印は自己のアートを深掘るベクトル。右に向かう矢印はソーシャルへの承認欲求のベクトルです。

さて、先程も申し上げたとおりアートとは自己の深層にあるものなので自分でもそのアートな部分に到達するにはそれなりの試行錯誤が必要になります。そしてその自己深層からもっとも離れた場所に存在するのがソーシャル(社会)だと考えています。自分でも本当の自己アートを深掘りする事が難しいと定義すればそれを他者が理解する事はとても難しいのではないでしょうか?

一方で、ソーシャル(社会)活動を普段行っている状態ではある程度のうわべで人付き合いをしているはずです。見た目や肩書き、職業などです。その状況での活動においてはアウトプットを認めて貰いたい。といった承認欲求は誰にでもあるのではないでしょうか?上の図でいうと右側のソーシャルにベクトルが向いている状態です。

しかし昨今の情報が蔓延した社会において2つの方向にベクトルを向けられている人はごく稀な存在だと思います。多くの人はソーシャル向けのベクトルが強い傾向にあるはずです。

簡単に言うと、日常生活において近しい人たちに自分のアート感や信念、時には宗教観を曝け出さなくてもコミュケーションは取れるのです。逆に突然、自分のアート感を語ったところで煙たがられて終わりです。


アートを深掘りする理由

ではアートを深掘りする事に意味はあるのでしょうか?私はそれこそが今、もっとも大切な事だと考えています。なぜなら、ソーシャルに向いたベクトルだけしかない人は独自性を持たないからです。インターネット以後、さらにスマホをほぼ全ての人が持ち歩くスマホ以後の時代においては情報は常に人々のすぐそばにあります。いつでもどこでも情報にアクセス出来て、バーチャルなコミュニケーションが取れるようになりました。

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この情報環境の変化により私たちは「安心感」を得ることが出来たのです。孤独ではない。いつも誰かに連絡が取れる。誰かの日常を垣間見ることができる。自分の日常を「いいね」によって認めてもらえる。「フォロー」されたら幸福感さえ味わえるようになりました。

しかし本当にそうでしょうか?

新しかったはずの情報環境が当たり前になってしまった現在では、みんな少しの疑問や不安を感じながら情報にアクセスしているのではないでしょうか?プライバシー問題や個人情報もそうだし、金融情報の不安も感じることがあるでしょう。

そして何をするにもまず初めに情報にアクセスするようになったのです。行動を起こす初めの「一歩」の前に足ではなく手を動かすようになってしまいました。そしてそこにある情報は誰でもアクセス可能な情報です。つまり、結果としてみんなと同じ行動しか起こせなくなってしまったのです。

オリジナリティーの無いうわべの情報社会での繋がりによる「安心感」は既に失われ他者と違う思想は認められずにそれぞれの自己の中で小さくなりつつあります。だからこそ今、自分にしかないアートを深掘る事に意味があると思うのです。

アートには承認欲求はありません。誰かに認められる必要は無いのです。そのあなただけのアートは他のみんなとは違うオリジナリティーの高い唯一無二の存在なのです。


これからの未来で活躍するためのアート

最後にお伝えしたい事は、これからの近い未来に向けて私たちが何を考え行動していくべきなのか?という事です。

多くの専門家や経営者が言っています。「これからは思考力がある人に価値が生まれる」または、「答えを導き出す事に意味はなくなり問題を見つけられる人にこそ価値がある」

つまり情報は溢れかえりデータ化されています。データにある「ノウハウ」や「最適解」は機械が提示してくれます。ですので、私たちは機械には出来ない人間らしさのようなモノ。それをより深く考えられるような人間にならなければいけません。別の言い方をすれば、私たちはただ本来の人間らしい思想の下で生きていけばいいのです。

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その為にも、ソーシャルに引かれる強い引力に身を任せるのではなく、自己アートの探求に向かう事が大切だと思うのです。承認欲求に囚われずアートを深掘る思考。この2つのベクトルを自由にコントロール出来るようになればこれからの時代において価値を見いだし、自分らしく人生を楽しむ事が出来るはずです。

自己アートを深掘るにはソーシャルや情報に流されず自分と向き合うと良いと言われています。全世界でのベストセラー「サピエンス全史」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリが現代人に向けた書籍「21 Lessons」では21世紀に向けた21の教訓が書かれていますが。その最終教訓は「瞑想ーただ眺めていればよい」と書かれています。

最後までお読みいただきありがとうございます。今回は「アートとビジネスをデザインする」アートと承認欲求の関係について綴りました。

次回は「アートとビジネスの関係」について書いていこうと思ってます。




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