『遅いインターネット』を自分にどう落とし込むか
先日、宇野常寛さんが書かれた『遅いインターネット』を読み終わりました。話題になっている本なので、手に取られた方も多いかもしれません。
すぐに役立つ具体的なノウハウが得られる本ではなく、「問い」を投げかけられながらしっかり考えて読む、読みごたえのある本でした。
今回の記事は、僕の思考の整理として書きたいと思います。読み終わって、こうして自分ゴトとして考えることも、なんだか求められているような気がしたので、、、
本の内容をさくっと知りたい方は、こんな動画もありました。(僕の記事よりもはるかに分かりやすいです)
キーワードは「日常×自分の物語」
宇野さんは文化の四象限として、以下のようなフレームを提起されています。
(作:森本直樹)
僕なりにものすごく乱暴に一言で解釈すると、
「日常×自分の物語」をどう考えるかが大事だよ!
ということなのかなと思うのですが、もう少し自分の理解を深める意味でも整理してみます。
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映画のように「他人の物語」を「非日常」で味わうものだったものから、映像技術と情報技術の進歩でテレビが生まれました。
テレビの登場によって、「他人の物語」を「日常」の中で体験できるようになりました。
さらに21世紀になり、インターネットが登場します。
これでますます「他人の物語」に誰でも簡単にアクセスできるようになるわけですが、SNSの登場で私たちは「他人の物語」よりも、「自分のことを発信するほうが楽しいんじゃね!?」ということに気づきます。
動画や音楽にも無料で簡単にアクセスできるようになり、「他人の物語」から「自分の物語」へ価値が移行していきます。
SNSで発信することで、みんな「いいね」が欲しい。だからこそ「自分の物語」を発信できるようなコンテンツ(フェスやイベント)に人気が出ているわけです。
つまり「モノ」よりも「コト」。「体験」することに価値が発生しています。
今はココです。
SNSは「日常」を発信するツールなのですが、ともすれば「非日常」に動員されるツールになるため、いかに「日常」にとどまり続けることが大事で、一方でそれが途方もなく難しいかということにも触れられています。
確かに難しい、、、
その上で残っているのは「日常×自分の物語」で、ここをいかに豊かにするかが重要になってきます。
宇野さんは著書の中で、
「いま必要なのは媒介なく個人と世界とを直接つなぎ、それに素手で触れているという実感を、自分の物語を、日常で成立させることなのだ。」
と書かれています。
そして、この「日常×自分の物語」を豊かにすることにおいて、インターネットの「速さ」と距離を置くこと。
宇野さんのお言葉を借りれば、「自由に情報に、世界に対する距離感と進入角度を決定すること」が大切なのではないか、という問いです。
さて、僕はどうしようか、、、?
本題はここです。「日常×自分の物語」を豊かにするという問いには共感できました。
ただ、その問いをどう自分のレベルで落とし込んでいくかはまだ考え続けています。
というか、ずっと考え続けることになるんじゃないかなと思います。
技術が進んでいく中、その便利さをただ放棄するのは違うと思っていて、いかに時代に抗うことなく、一方でSNSのプラットフォームに支配権を渡すことなく「日常×自分の物語」を豊かにするかを考えたいです。
僕の中での現時点でのキーワードは、、、
・「自分の物語」と「他人の物語」の往復
・「オンライン」と「オフライン」の往復
といったところかなと思っています。
次回の記事でこのあたりのことをもう少し深掘りして考えてみたいと思います。
うーん、上手に書くのって難しいですね、、、
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主旨とはまったく違いますが、僕も「自分の物語」について書いてみています。
僕の今の「自分の物語」は「家族」が軸になっていきそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
では、また!
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