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表紙がかっこいい本ーーナオミ・オルダーマン著『パワー』を読んで

 ナオミ・オルダーマン著 安原和見訳 河出書房新社 2023年出版

 すごくおもしろい、と鴻巣さんが言っていたので、原書を買ったが読み切れないまま、気が付いたら翻訳本が出版されており、勤めていた学校の図書館の新刊の棚にあったから、借りてきて直ぐに読んだ。

 書評では、女性が男性に虐待する場面など、なぜこんなに残酷に感じるのか、しかし、実際はあたりまえのように男性が女性に対しておこなってきたことだ、などと書いてあるのを読んだが、確かに、男性が女性にしてきたこととしてみれば、普通の出来事だよな、とは思う。しかし女性がパワーを持っていて、という話で男性をレイプする、などという表現はどこかとてもクレイジーに感じた。実際、男性がクレイジーなことするのは、当たり前だ、この現実世界。まあ、男性と女性をひっくり返しても同じだろう、ということでもあるということを、この書評を書いた人は言いたかったのかもしれない。

 パワーで戦うシーンなど、戦闘ものの試合みたいで、ちょっと滑稽だったが、この小説全体として、設定がかなり飛躍しているので、なかなかぶっとんだ小説だと思う。フェミニストブックとして選ばれてしかり。しかし、フェミニストブックって呼び方、なんか変だよな。なんでこういう本とか文学に「フェミニスト」とか「フェミニズム」とかつくようになったんだろ。良いことだと思う反面、女流文学とか言うように同じ話になるんじゃないか、というような気もする。女流文学は、女性作家が書いた文学だからそういう言い方ができたんだろうが、まあ、読者にとってみれば、どの小説を手に取るかは、作者が男性か女性かは関係はない。そりゃ、作家が女性か男性かは気になるが、山﨑ナオコーラみたいに女性なんだか男性なんだか名前だけで判別できない作家もいるし、人それぞれである。

 でも、フェミニスト小説とかフェミニスム文学とかいうと、誰が、そういうの分けてるんだという話になる。これはフェミ、あれもフェミって言っている奴がどっかにいるんだろうか。こんな言い方で世の中の女性は変わる、と期待を持たせるのはいいが、結構、哀れみを感じる。というのも、私は「フェミニスト文学」という言葉にそんな期待は感じない。

 しかし、まだ日本語訳がでる全然前に紀伊國屋で新刊でこの小説の原書が並んでて、買ってしまった私は、なんなのだろう。表紙がかっこよくて、インパクトがあったからかな。

 とりあえず、翻訳も読み切ったことだし、原書を最後まで読み切ろうと思う。


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