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【読書感想】上書きされた記憶ー岸本佐知子さんのエッセイを読んで

『死ぬまでに行きたい海』 岸本佐知子著 スイッチ・パブリッシング 2020年出版

 翻訳家として尊敬する岸本佐知子さんのエッセイ。場所がテーマになっている。岸本さんは独特な雰囲気がある文章を書く人だなと思っていたが、このエッセイもまさに不思議な雰囲気を漂わせている。

 本を読んでいてしばしば思うのだが、子どもの頃の記憶を人は持ち続けているもんだなと。私はどちらかというと細かいことは覚えていない方だと思う。ただ、このエッセイを読んでいたら、もし、小学校のころの通学路を今歩いてみたら、このように記憶がよみがえってくるのかもしれないと思った。しかし、悲しいかな、今昔の友達に偶然会ったところで、もうお互い声をかけ合えるような中であるような気はしない。子どもの頃から一気に大人になってしまったようで、現在と過去が繋がらない自分がいる。ところが、岸本さんは、不思議と過去の記憶が現在に至るまでに形成された記憶と混ざり合っていて、それが真実なのかどうか分からない、という体験をしている。

 過去を振り返るとなぜか、こんな記憶がよみがえってくるのだが、それが事実である証拠はなく、でも確かに自分はそんなようなことをした記憶がある、というのは誰しもあることなのだろうか。それとも岸本さんの文章の書き方が巧みであるからなのだろうか。エッセイを読んでいると、小説のような不思議な体験だな、と思うと同時にそんなことあるわけない、と突っ込む自分もいて、そして、彼女が本当の過去の思い出として語る部分までもが、ほんとかいな、と思ってしまう。

 記憶を辿っていくと、現実なんだか夢なんだかみたいな現象に遭遇してしまうんだろうか。大人になるまでの時間がそうして上書きされていったのだろうか。

 私の不思議な記憶は、大学生の頃、祖母が亡くなって、祖母の家でみんなで集まっていると、外国人の二人組が表れて、今日、祖母と食事をする予定だったんだが、というのである。祖母は死にました、できません、残念ですが帰ってください、と対応する親戚。大学生の頃の思い出なので、比較的最近の話なのだが、この話が、本当にあったことなのか、なんなのか、至って曖昧である。よく考えると、祖母は死ぬ間際病院に運ばれて病院で亡くなっているので、こんなことはありえない。なんでこんな記憶が鮮明に私の中で思い出として残っているのかわからない。謎だ。

 岸本さんのこのエッセイ読んでて、こういう記憶の上書きされたことあるかな、と考えた時、この話が私の頭の中をよぎった。作り変えているのでもなんでもなく、そういう記憶が私の中に残っているのだ。「記憶違い」とも違う。実際起こったことのようによく覚えている。何がそうさせるんだろ。

 しかし「そもそも私には、本当に行ったかどうか怪しい場所の記憶がいくつかあった。」と岸本佐知子さんは書いているのだが、そこまでのことはない。でもしかし、なんか、こんなところ見たな、という記憶は誰しもがあるものではないだろうか。場所の記憶。不思議である。

 ちなみに、私は横須賀出身で京浜急行沿線に住んでいて、岸本さんが謎だ、といって訪れた「YRP野比」という駅名をよく見慣れていたが、野比は決して銀色の小さい人がわらわら出てくるような場所ではないです。身近な土地だけあって、この文章はとても楽しく読ませていただきました。でも、確かにYRPという文字の並びは無機質だと私も思う。


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