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訂正する力のない日本ーー東浩紀著『訂正する力』を読んで

 東浩紀著 朝日新書 2023年出版

 近所の本屋さんでランキングに入っていたので、購入した。東浩紀さんは最近、読みやすい新書で本を出版することが多いので、割と手に取りやすい。

 今回のこの書籍は、辻田真佐憲さんが聞き手・構成をしたらしい。前の『ゲンロン戦記』のときはライターが誰なんだろうと疑問に思ったが、今回の書籍はなぜかこんなふうに明確に書かれていた。あとがきでもそのことに触れられていたが、こういう本ってどうなんだろう、とちょっと個人的には疑問に思ったが、問題なく読めました。

 この書籍はタイトルの通り、訂正する力について書かれている。日本社会では訂正する力が著しくかけているらしい。それはごもっともなことだ。間違えても、謝って、こういうふうに訂正して今後やっていくというスタンスが、日本の政治家および、経営者には欠けている、という話。でも、そもそも「訂正する力はヨーロッパの哲学から導き出した概念です。」p. 234 だそうである。でもそのあとに、こう続く。「しかしそれは日本の文化的なダイナミズムを表現する言葉でもある。」そこんところをもうちょっと議論してほしいと思った。

 訂正して前に進んでいく技術のようなものは、日本は断然遅れているように私は思う。スポーツ選手とかはそういうマインドを持っているが、日本人は個人的なレベルでみて、そういう立て直しのような、過去にとらわれないような、スキルがいたって遅れている。もちろん、東さんも、日本の親鸞とかからの話から、日本の訂正する力について述べているけど、私には理解できなかった。

 「リセットすることもぶれないことも幼稚な発想です。日本ではそんな幼稚さばかりがもてはやされている。」p. 9 というのは確かな発言で、日本では会社が失敗をするとそういうことしか社長はメディアで言わない。どうなっているんだろうか、こういう社会は。アメリカでは、たとえばジョンソンエンドジョンソンなんかは、売り出した商品にクレームがあっても受け入れることによって、訂正して、さらにまた企業がうまくやっていけるようになった事例がある。日本ではないケースだよな、と思って、こういう情報を他の本から読んだこともあるが、ようするに、日本では全く訂正する力が日本の会社全般にないことは事実である。

 「歴史修正主義は過去を忘却するので、訂正もしなければ謝罪もしません。この違いはしっかりと意識するようにしましょう。」p. 60 この発言は東さんらしいと思ったけど、その通りです。でも、これだけ取り出して、引用すると、東さんに、クソリベラリストと言われそうなので、訂正しておきます。

 最後に、「平和とは戦争の欠如です。それは政治の欠如でもあります。」p. 238 ということが、この本のなかでしばしば書かれているのだが、当たり前のことだが、そもそも戦争がある世界とは平和の欠如なのであって、それは政治的軋轢のようなものが戦争を招いているのある。なんで、こんな言葉が繰り返し、述べられているのだろうとちょっと思った。誰もが、戦争があることが平和である、とは言わない。戦争の国もあるだろうし、かたやそんなことが起こってもいない平和の国もある。そんなの当然だろう。だから平和と戦争は切り離せないし、あまりにも一般的だけど、この世から戦争はなくならない。そういう世界だろ。

 東さんは、希望をもってこの世界を眺めている人なんだか、絶望的な見解を持ってこの世を生きている人なんだか分からん。


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