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ラッパーの頭の中ーーダースレイダー著『武器としてのヒップホップ』を読んで

ダースレイダー著 幻冬舎 2021年出版

 昔、宮台真司さんのラジオを聴くのを楽しみにしてて、ある日、宮台さんの代打でダースレイダーさんが担当した。始めは宮台さんだと思ってい聴いていたんだが、早口で溢れるようにしゃべるしゃべり方が両者似ている。ラッパーとしての彼は知らなかったのだが、なかなか頭の回転が速い人で、とにかくしゃべりに乱れがない。興味を持った。それを覚えていて、この本を手に取った。

 コロナ禍に書かれた本で、でも、いろんな媒体で発表された文章を寄せ集めたものらしい。書き下ろしももちろんある。出だしは、ラッパーみたいな口調で書かれていて、これがこのまま続いたらちょっとうざいな、と思ったが、最後の方の日本のクラブシーンが大きな変化を迎えた風営法の話、彼が関わってきたことなどの話はとても読みごたえがあった。現場からの声が直に書かれているように思った。

 ラッパーって音の繋がりがすぐに思いつくんだな、と思ったが、そのことを彼は「言葉の箱が上から降りてくる」といっていたが、なんかそんな感じなんだな、というのは、この本の前半で分かった。というか、英語の韻と日本語の韻ってなんか違くて、日本語になると、全部こじつけのような気がして、それが英語で韻を踏むのとちょっと違った感じがあって、日本語ラップってちょっとうぜえな、と思っていた節が私にはある。なんか、日本語のラップって全部同じに聴こえるんだよね。何が同じなのか、分かんないけど。意味が取れる分だけ、どの曲も個性感じるし、日本のヒップホップも捨てたもんじゃない、というのは当然分かるが、なにかが同じに聴こえる。でも、英語も同じに聴こえるよ、といわれたらそうなんだが、英語のラップは言葉と音楽の関係がいろいろ試行錯誤されている感じはある。

 ダースレイダーさんが言っていたことでふーん、と思ったことがある。「和歌や俳句や漢詩を読み物として教えることに抵抗を感じる。それはそもそも歌われていたもの、発声を前提として作られているにもかかわらず、肝心の音とリズムの部分を教えていないからだ」p. 77 とあったが確かに発声するという教育が日本ではとても劣っているように思う。私の高校では、詩を暗唱してみんなの前で発表する、という授業があったのだが、それはとても大事なことだったように感じる。いや、なんの実用性もないことなんだけどね。だけど、ふと大人になった今から考えると、その授業があったことによって、言葉に対する捉え方がずっと感性豊かになったように思っている。

 ダースレイダーさんが左目を失明し、余命何年で、と宣告され、自分の体と向き合って日々生きていることがとても伝わってくるし、それを公に公開して病気と向き合っているということが、彼自身の制作活動にもなってる。読んでよかったと思った本である。


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