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窮屈な言語ーー温又柔著『台湾生まれ日本語育ち』を読んで

 温又柔著 白水社 2018年出版

 温又柔のエッセイ。白水社より出版されているのだが、私が読んだのは、ヤドカリがプラスチックの家を背負っているアート作品が撮影されたハードカバーの表紙のもの。この写真のヤドカリの作品のことが気になっていたのと、温さんの言語感覚についた文章をどこかで読んだのが気になって、この本を読むことにした。

 温さんは3歳の時に台湾より日本に移住。母国語がない、ということ、このエッセイ読むまで考えていなかったかも。どちらかというと、両親が外国人と日本人である子どもなどと接すると、両親が話す日本語ともう一つの言語の狭間で、どちらか一方が得意な方ができて、そんなバイリンガルだったら、翻訳の仕事でもやればいいのに、と、うらやましい半分で言うと、翻訳となると難しい、といった声を聴いたりしていたので、温又柔さんみたいに、母が「ママ語」台湾語と中国語と日本語のミックスしたのをしゃべって、自分は日本語が得意で、というのは不思議なことだし、親との意思の疎通はどうなるんだろう、とか考えてしまったがそこはしょせん言語だけの問題なんだろうとも思った。「日本語に住んでいる」という言い方をしていたが、とても興味深かった。日本に住んでいるから日本語が得意というのは、当たり前のことだが、彼女は日本語という言語に住んでいるという。そして、彼女にとって中国語を日本で学びなおすというのも不思議な体験だろうな、と思う。

 私が、「親との意思の疎通で言語は問題にならないんだろうか」、と温さんの家族の話を読んでいて思ったが、そんなことは問題になっていない家族がいて、なんなんだろう、このよくわからないその家族にとっては当たり前の事実のことが、私にとっても、なぜか共通点のようなものに感じた。

 やはり語学って不思議で、言葉なんて何でもないことなようだけど、言葉が自分を作っているようで、日本語という言語に縛られて私は生きてるんじゃないか、という疑問が常に私の中にある。そういうふうに私が思うのが、私が小さいころから変わらなくて、私も、結構不思議な自分の言語体験を持っているように感じた。私の両親二人とも日本語話者の日本人だけど。割と言語というものが、自分を作っていると考えると同時に、日本語というものに身体的窮屈さを感じて生きてきたようにも思う。

 また選挙権の話や外国人登録の話などは、今まで実際苦労している人の話を聴くことがなかったので、ほんとに日本の制度って終わってるな、と思ったし、温さんの家族は「国の制度だから」と簡単に受け入れてて、そういうのはちょっと切ないと思ったし、そんな日本に住んでいる日本人の私は、同じ日本にいる人がそう感じているのは、なんかやりきれない。

国とか言語の問題ってなんなんだろう、と思ってしまう。


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