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好きなことをするのも勇気

人生の恩師はこう言った。
やりたいことは昔から変わってないじゃん。
1日1行でもいいから毎日なにかを書いてみて。
何も心配しないで、好きなことして笑って過ごしていいんだよ。

好きだったけど、わたしには無理と諦めていたこと。それは
無邪気に心惹かれて飛びついた、写真を撮ること。
自分の気持ちを、世界観を文章で表現すること。

浮かんでくるのは
物語を書こうと専用のノートを買って、書きはじめたけど冒頭部分で終わってしまった内気な小学生の記憶。
水槽の中のカラフルで様々なかたちをした魚たちのシャッターチャンスを狙って「写ルンです」を握りしめていた小さな女の子。

胸にある想いを言葉に変換するのに時間がかかりすぎるため、いつしか書くことから遠のいていってしまった東京に暮らす社会人のわたしは写真を撮ることからも離れていた。
夢中になってひとつのことを極めているひとに憧れて「旅」や「ボランティア」や「農業」や「マッサージ」やら気になったものはなんでも味見し仕事にしてみようとしたがどれもかっちりとハマることはなく
結構長い年月をかけて同じところを行ったり来たり紆余曲折な20代を過ごした。

好きだと思って仕事にしようとしていたことは、実は本音ではなく
「自分にできそうなこと」を無意識に選んでやっていたことに気づかされたのだった。既に挙げた職業を舐めているのでは決してなく、自分の性質に合っていると思っていただけだった。
合っていることとやりたいことは必ずしも一致しない。
好きなことに限らず、進路、彼氏、買うもの、食べるもの、日々の小さな選択を「無難」な方を選ぶことが多い人生だった。
「みんなに一目置かれたいから」「この人に好かれている自分が好きだから」「先生がこうしろといったから」「身体にいいから」
周りの目を気にして本心の「好き」にフタをして生きてきたなって、気づいてからすごく虚しくなった。いつから自分の意思を持たなくなってしまったのだろう、と。

それでもこうして、少しずつ自分の「好き」のセンサーに敏感になってきて
これこそが使命だと、これで生計を立てようと、そんなガチガチに固めずに
なるべく軽やかな気持ちで好きな時に自然と動き出すタイミングで、書くことも写真を撮ることもやっていけたらいいなと思う。
どっちも才能があるわけではなくただやっていて心が喜んでいる感覚を持つだけで「できること」ではない。「できない」のになぜかワクワクしちゃう。だからこそ、わたしの場合はやるには勇気が必要になる。ちょっとおかしいけれど。


そろそろ、好きなことをする勇気をもっていいんだよと全方向から応援されているような最近です。




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