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日々娯楽日記 2024.01.15

 いつもお疲れさまです。

 2024年最初のnote書き初めです。遅ればせながら、ハッピーニューイヤーです。

 もっと文章を書きたいなー、と思いつつもなかなか話題を見つけられずにいる。そんな日々を過ごしています。
 とはいえ、筆不精に甘んじてはいかんよなぁとも思いまして、筆を(正確にはスマホを)手に取った次第です。

 今回の話題は、もはや不定期的すぎて恒例なのかどうかが怪しくなってきた「日々娯楽日記」です。年1の更新は日記とは呼べまいか。

 元々は読書記録として書いていた当日記ですが、今では範囲を広げて文化作品全般にわたって、私なりに感じたことを書くようになりました。

 さて、今回取り上げるのは映画です。それもアニメ作品です。ここ1年間で観た映画は、私にとって大いに思索を深めてくれる作品が多かったように思います。

 そのうちの一つが『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』です。こちらはすでにnoteで感想を書きました。


(実は、これとは別にもう一本「ゲ謎」の記事を書いているのですが、いつ公開できるかは不明です……)

 「ゲ謎」については上記の記事で存分に語りましたので、今回は違う作品について語りたいと思います。

 なお、取り上げる作品については、時系列の逆、最新のものから段々と古い順に並べています。皆さんがご興味ある作品のところだけでもピックアップして読めるようになっていますので、良ければご一読ください。





『傷物語 こよみヴァンプ』(2024.01)


 我が青春が蘇った。

 そんな心持ちで観たのが本作です。今でこそ、型月で評論を云々と言っている私ですが、型月作品よりも前に出会っていたのが西尾維新作品なのです。

 『傷物語』に関しては、原作小説と2016〜2017年に公開された映画を全て観ていました。話の流れは既に知っている状態ではあったのですが、それでも新鮮な気持ちで本作『傷物語 こよみヴァンプ』を観ることができました。

 3部作で3時間半を超える映画をどうやって1本の総集編にまとめるのだろうか、と思っていましたが、場面と場面の繋ぎ目に不自然なところが全くと言っていいほど無く、その巧みな編集さばきに感動しました。

 また、〈物語〉シリーズ特有のモノローグが省略されて、さらにはコメディパートまでもが極力省かれるというストイックさにも目を見張りました。それによって、吸血鬼ハンターの3人やハートアンダーブレードとの対峙を経た阿良々木あららぎが自らの業と向き合っていく過程がより鮮明に映し出されていたように思います。

 命を差し出す覚悟で、ハートアンダーブレードに血を捧げた阿良々木。しかし、その行いは人間社会を危機的状況に追いやるものだとは気づいていませんでした。その身を犠牲にしてでも他者に献身する様は確かに美しいものですが、阿良々木の場合は利他的なようでいて、「自分が助けたいと思うから助ける」という利己的なものでした。そのことを、ハートアンダーブレードは「偽善」と指摘したのでしょう。

 物語の終盤、阿良々木が下した決断は、忍野が言うところの「みんなが不幸になる方法」でした。誰の望みも叶うことがない、と作中で言われていましたが、阿良々木の決断は人間と吸血鬼という二項対立を解体し、誰にとっても最善の選択肢を見つけようと葛藤した現れでしょう。阿良々木が安易な二元論に逃げず、たとえ困難な道だとしても第3の選択肢を選ぼうとしたからこそ、忍野は力を貸したのだと思います。




『劇場版 空の境界』15周年レイトショー(2023.12)


 映画館のスクリーンで観る「らっきょ」がこんなに最高だとは知りませんでした……

 今まで映画館で『空の境界』を観たことが無かったので、この15周年企画のレイトショーでようやく実現しました。

 本作を初めて観たのは私がまだ型月初心者だった頃なので、その頃は十分に作品を理解することができていなかったと思います。レイトショーで改めて観て、ようやく映画版「らっきょ」を深く楽しめることができました。

 私が特に感じたことは、小説では語られていない余白の部分を、映像によって完璧に補完しているということです。東京の日本橋や巫条ビルといった背景であったり、式が搬送された救急外来の描写であったりと、ディテールを追求することで作品世界がより立体的になっています。

 それ以上に、1章冒頭の蝶の映像や、4章での昏睡中の式の心象風景など、原作では詩的に書かれていた文章(ポエム)を映像へと完璧に落とし込んでいると感じました。小説から映像作品への翻訳として、これ以上ないほどの仕上がりです。ここにufotableの真髄を垣間見たように思います。

 あと、映画を観た誰もが思ったことでしょうが、坂本真綾さんの式/織の演じ分けが完璧でした。2章時点の式は女性的な喋り方で、織の方は男性的な喋り方。織を喪った後の式は、織の口調を真似ている喋り方だということがよく伝わってきました。

 これに加えて「両儀式」の声も演じていらっしゃるのですから、坂本さんは本当に素晴らしい声優さんですね。『傷物語』のハートアンダーブレードも、それぞれの肉体年齢に合わせた演じ分けを完璧にこなしていらっしゃったのも踏まえると、その凄さがひしひしと感じられます。




『君たちはどう生きるか』(2023.07)


 人は何を忘れて、どのように生きていくのか。

 本作は宮﨑駿氏の「自伝的ファンタジー」と銘打たれているそうで、映画を観た多くの方が宮﨑氏ないしスタジオジブリの歴史を本作に重ね合わせていらっしゃいました。

 かくいう私は、ジブリ作品を観てきてはいましたが、宮﨑氏やスタジオジブリのことについてはほとんど知らない状態だったため、どうしても「自伝的ファンタジー」として本作を観ることができませんでした。ただ、前提知識が無かったおかげで、純粋にこの映画を楽しむことができたように思います。

 戦時中に生きる少年・眞人まひとが、幼くして母を亡くし、父親が見知らぬ女性と再婚して子どもをもうけるという序盤からヘビーな展開に見舞われるものの、不思議な世界へと迷い込み、友達を見つけ、悪意に蝕まれる世界を生き抜き、果てには家族のわだかまりが解消されていきます。不思議な世界では、喋るインコや謎の生命体・ワラワラといったファンタジックなキャラクターが登場しますし、最後に眞人は塔の世界の命運みたいなものを託されたりします。これだけを見ても、眞人が凄い冒険をしてきたことが窺えるかと思われます。

 ただし、あれだけの冒険を繰り広げたにも関わらず、アオサギは「忘れた方がいい」と語っていました。塔から脱出し、元の世界へ戻ってきた眞人に対して言った言葉なのですが、それが妙に私の心に引っかかったのです。

 アオサギが眞人に勧めた「忘却」という選択は、過去を無かったことにするという意味ではないように思います。どちらかといえば前向きな「忘却」を指しているのではないでしょうか。

 眞人は亡くなった母親のことが忘れられず、義母のナツコと上手く打ち解けることができないでいました。それが、塔の世界での冒険を経て、眞人はナツコを新しい母として受け入れるようになりました。物語の結末では、眞人は亡くなった母親のことを「忘れて」、新しい家族との生活を受け入れられるようになったと言えるでしょう。

 いつまでも過去に拘泥していては、今を懸命に生きることは難しいと思われます。今ある物事に対して心から向き合っていくためには、過去の記憶をいったん頭の片隅に置くことが必要なのではないでしょうか。

 それは物語を読む/観る際にも当てはまることで、いつまでも同じ物語に執着せず、現実の世界に立ち返らなければならないのです。たとえ物語の内容を忘れたとしても、心には確実に刻み込まれている。それこそが物語体験の在るべき姿なのだと思います。




『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(2023.04)


 マリオシリーズの面白い要素をこれでもかと詰め込んだ“オモチャ箱”のような作品。

 2023年上半期のエンタメ映画として、本作は最高級だったのではないかと思います。
 子どもは純粋にワクワクし、大人は昔のゲーム体験を懐かしめる。そんな作品に仕上がっていたと感じています。

 私はマリオシリーズにそこまで詳しくはなかったのですが、そんな私でもこの映画は観ていて楽しかったです。

 また、作中に散りばめられた小ネタやパロディの数々が、日米両国の文化から用いられていて、お互いの国の文化をリスペクトしていることが窺い知れたのも良かったです。日米合同制作の映画として素晴らしい出来だったと思います。

 一方で、イジワルというか評論的な見方をするならば、この作品は日米合同制作でありながらいかにも洋画らしい映画だとも感じました。

 言い換えれば、「アメリカ的な想像力」を基にして作られた映画なのではないかと思うのです。

 「アメリカ的な想像力」という言葉は、『田尻智 ポケモンを創った男』(太田出版、2004)から引用したものです。本著にて田尻智氏は、『ドラゴンクエスト』や『MOTHER』といった、かつての日本製RPGが「アメリカ的な想像力」を土台として作られていたと指摘していました。その是非までは問うていませんでしたが、その「アメリカ的な想像力」から脱却しようとして田尻氏が制作したのが「ポケモン」だったとのことです。


 「アメリカ的な想像力」という観点で映画「マリオ」を観ると、確かにアメリカらしい要素が見受けられます。

 物語を(ザックリとではありますが)まとめてみると、以下の通りになるでしょう。

 アメリカのブルックリンに住むマリオとルイージの兄弟は、かつて勤めていた配管工の会社を辞めて、独立することになりました。いわゆるベンチャー企業の立ち上げです。
 兄弟が独立して起業することに対して、二人の家族や元同僚のスパイクは「成功なんてしやしない」と言った具合に否定してきます。

 そんな逆境にもめげず、マリオ兄弟はキノコ王国を救い、果てはブルックリンをも救うことになります。その結果、街の人々からは「ブルックリンを救った英雄」として民衆から讃えられます。家族やスパイクも同様に、兄弟へ賞賛の声を上げていました。

 このようにまとめると、映画「マリオ」はベンチャー企業の成り上がりとして捉えられるのではないでしょうか。GAFAMの例と照らし合わせると、いかにもアメリカ的な物語に見えてきます。

 本作は、アメリカらしさ、あるいはマリオらしさは細部にまで感じられますが、その一方で日本らしさはどこまで現れていたのかが気になるところです。

 映画が面白いという意見には全面的に同意しますが、果たしてこの作品を「日本が誇るアニメ、いやゲーム映画だ!」と言い切ってしまって本当に良いのか? という疑問は残ります。

 本作に限った話ではなく、「アニメやゲームは日本の文化だ!」という主張に対して、各個の作品がどこまで日本的な想像力で作られていて、海外的な想像力がどこまで介入しているのか、ということを検討する必要はあるかと思われます。そうした精査を経てこそ、日本が誇るべき文化の姿が見えてくるのではないでしょうか。




 以上、4本のアニメ映画について感想を書いてみました。

 映画を観た後には感想をメモするようにしていて、今回の記事もメモを参照して書きました。身も蓋もない言い方ですが、本稿は感想の在庫一掃セールだったのです。


 2023年は上記に挙げた作品以外にも、『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』とか『PSYCHO-PASS』とか『シン・仮面ライダー』とかがありまして、個人的に豊作な1年だったように思います。


 2024年も、素敵な作品に出会えることを楽しみにしています。あと、感想はなるべく書き溜めずにタイムリーな内に公開した方が良さそうですね……

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