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『チグハグ』で『ツバメ』な生き方。

昨日と今日は息子たちの通う保育園での発表会でした。
コロナ対策のため、各学年ごとに1日ずつ。

『チグハグ』

年中さんの次男。
年中さんはJ-POPでお遊戯するのが恒例のようで、
次男の踊る曲目は、なにわ男子「初心LOVE(うぶらぶ)」。
別の男児グループが踊る曲目は、THE SUPER FRUIT『チグハグ』。

踊るのが好きな次男くん。
自分の担当ではないけど、別グループの『チグハグ』もすっかりマスターし、家でも練習していました。

この曲のことを全く知らなかったわたし。
一度Youtubeを観ると、
以前、たまたま観た某TV番組で「今年(2022年)もっともダンス動画が真似されてバズった曲」として紹介されていた、あれか!

これまたなんという可愛い男の子たちでしょうか!

そんな男の子たちが歌って踊る『チグハグ』の内容。
次男が何度もYoutubeを流せというので、一緒に観ていると、
観れば観るほど、聴けば聴くほど、染み入ってくる歌詞。

あのね、あのね、気が付いたんだ
人はなぜか揃えたがる
男らしく 女らしく
そんな偏見いらないのに
だから、だから、枠にはまらない
それは とても 尊いこと
僕は僕で 君は君で
他の誰でもないさ

昨日の次男の発表会で、我が子は踊っていないのに、
『チグハグ』の発表を観て、涙があふれ…。

『チグハグ』を謳うのは、可愛い男の子のユニット。
もし50年前だったら「男のくせに女々しい」とののしられてもおかしくないようなキャラ設定。

時は流れ、
可愛い男の子をコンセプトとして世に排出する人々が現れ、可愛い男の子を受け入れる人々や社会になった、ということなのでしょう…。

自分の息子が立っている舞台にもいないのに…と自分でツッコミつつ、
涙をぬぐいながら、
なぜこんなにも心揺さぶられるのか、考えていました。

揃えたがって、枠にはまっていた10代

平凡な中流家庭育ちらしく
長女らしく
真面目らしく
学力そこそこらしく

「○○らしく」ふるまうことに、命かけていました。

みんなと一緒であることが、褒められるに値すること。
みんなと違うことは、ダメなこと。

その時は、「枠の中」の世界しか知らず、疑いもしませんでした。
「枠の中」でそれなりに楽しくやっていたけど、今思えば、なにか圧迫されていた気もします。

その圧迫に気づいたのか、大学生になると、
日本独特の年功序列的な慣習や、世間の目を気にしたり「空気を読む」風潮に徐々に違和感を感じ始めました。
大学3年生になると、みんな黒髪・黒スーツに身を包み、集団就活。
その光景に異様さを感じたわたしは、新卒を捨てて、イギリス留学を選びました。

それが、「日本の悪しき慣習」から抜け出したいというパンク精神と自己実験であったことは、今でも記憶しています。

海外生活で気づいた多様性

さて、イギリスで1年間生活してみると、どうでしょう。
多様な人種、価値観、生活スタイル。
見た目も中身も、日本のそれとは「幅」がまったく違いました。
そして、日本の外から見る日本も、日本の中から見た日本とは違ったものでした。

1年間の海外生活で、見方が変わり、環境が変わり、価値観が変わり、わたしは「多様性」を体得しました。

『ツバメ』

年長さんの長男が踊るのは、YOASOBI『ツバメ』.。
NHKのSDGs推進テーマソングとなっているので、以前からよく知っていたし、歌詞も「良い内容だなぁ」とは漠然と思っていましたが、
これも、長男の練習のためにYoutubeで流している中で、何度も観て、聴いてみると…

僕らは色とりどりの命と
この場所で共に生きている
それぞれ人も草木も花も鳥も
肩寄せ合いながら

僕らは求めるものも
描いてる未来も違うけれど
手と手を取り合えたなら
きっと笑い合える日が来るから
僕にはいま何ができるかな

みんな色とりどり違うけれど、
そんなみんなが片寄せ合いながら、一緒に起きている。

次男と真逆で、人前で踊ったりするのが決して得意ではない長男くん。

それでも、お友達についていけるように一生懸命フリを覚えて、練習して踊る長男くんを、「みんなとおなじでなければ…!」と枠にはまっていたいつかの自分と重ね合わせて
・・・号泣。

まだまだ、みんなと一緒がいいお年頃だよね。
そんな気持ちもくみ取りつつ、彼も生きていく中で様々な「多様性」にぶつかりながら、大きくなっていくんだなぁ…と思います。

「sameness」vs.「diversity」


子どもたちが踊りを練習するのを観ながら「多様性」を考えさせられていた最中。

来月から次男くんが、発達支援の療育に週1回通うことが決まりました。
小学校での集団生活が始まる前に、つまづくことをできるだけ軽減しておくことを目的にした支援です。

そして、ちょうど
イギリスと日本を比較しながら、「sameness(同一・均質)」という言葉をキーワードに「多様性(diversity)」について深く考えさせられる本をちょうど読み終わったところでした。

療育は「sameness」なのか?
それとも、「diversity」なのか?

何度もその部分を読み返しながら、堂々巡り。

結局、腑に落ちる答えは自分では見いだせなかったけど、
「sameness」か「diversity」か?ということはどーでもよく、

療育での一番大切な目的は、
次男本人が苦痛なく、笑顔で毎日が送れること。

それを実現するための手助けなら、今できる範囲でやっておこう、
というスタンスを定め、通ってもらうことにしました。

そんなわけで、ここ最近『sameness』と『diversity』の間で、思考をフル回転させることが多かったのです。

『チグハグ』で『ツバメ』な生き方


でもね、でもね、みんなと違う
それは それは 愛しいこと
不揃いでも 凸凹でも
気にしなくていい

悲しい気持ちに飲み込まれて
心が黒く染まりかけても
許すことで認めることで
僕らは繋がり合える

僕らに今できること
それだけで全てが変わらなくたって
誰かの一日にほら
少しだけ鮮やかな彩りを

ひとりひとりは違う。それでいい。

ひとりひとりの力は小さくても、
許しあい、認めあうことで、
少しだけ、だれかの今日が鮮やかになる。

そんなささやかな希望を抱いて、今日も
『チグハグ』な子どもたちの未来を見守りながら、
『チグハグ』な自分を生きていきたい。

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

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