予感について2-01-01

「予感」についてー最果ての向こうの風景

以前、「最果て」という自分が初めて大理石で制作した作品について、前編/後編と分けて記事を書いた。

その後の話として、「予感」という作品について書いてみようかと思う。

「最果て」はわたしにとって、一言で言えば祖父の死と向き合うことだった。

そんな「最果て」を彫っていた学部3年のころ、見に行った展示で非常に印象に残るものがあった。東京都写真美術館でやっていた「マリオ・ジャコメッリ展」だ。

その中にあった「死がやってきてお前の目を奪うだろう」というシリーズのうちの一枚の前で、わたしはしばらく動けなくなった。

そこには、柔らかなベッドの上に沈み込む老婆の頭が写っていた。
まるで、体がなく頭だけがそこに転がっているように。
老婆は目を瞑り、顔の半分は布で覆われている。そのずっしりと重そうな頭部が、どんどんと深く沈みこみ、真っ白なベッドに飲み込まれてしまうのではないだろうかと思わせるような写真だった。

病院に漂うあの独特の死の匂い。
死の足音が近づいてくるあの空気。

その写真を見た時わたしは祖父の死を思い出していた。
日の出前の真っ暗な病室で、わたしが気がついた時にはもうそこにはいなかった祖父の白い顔。口がぽかっと開いていたのを覚えている。まるでそこから祖父が抜け出てしまったかのように。抜け殻のようだ、と思った。

展覧会を見てから、月日がたってもその写真のインパクトがずっと頭に残って離れなかった。

………………………


「最果て」を作り終え、祖父の死と向き合うというテーマに一区切りついた時、次に考えなければならないのはもう卒業制作だった。
何を作ろうか全くアイデアもなく、ぼやぼやしていた春休み、ふとあの写真のことを思い出した。

もう一度あの写真を見て見たくて、展覧会から半年以上たってから図録を買った。そういえばあの時わたしは最初、老婆を作ろうとしていたんじゃなかっただろうか。カミーユ・クローデルのクロトの写真も同時期に図書館で探してコピーしたような記憶がある。

だがどういうわけだか、わたしは最終的に赤ん坊を作ったのだ。

注文していた図録が届いて、その写真を見つけて、もっとその写真を深く観察するために写真をスケッチした。

画像3

描いてみると、布の隙間にわずかに見えるその顔に深く刻みこまれた皺と、柔らかに広がる真っ白なシーツのコントラストをより強く感じた。

そして描いているうちに、大きな山あいの中に、老婆の頭が転がっているように見えてきた。
どうしてだろう、「最果て」を作った時も、亡くなった祖父が柔らかな布団に覆われて眠っている姿が、なんだか大きな山のように見えたのだ。
布の表情を何かに見立てる、というのは芸術表現の中では珍しくもない気がするけれど、わたしにはそれが山のある風景に見えるのだ。

ああ、これは作品になるかもしれない。

そう思って卒業制作のためのドローイングを始めたけれど、わたしが見ていたのはもう死の匂いのする老婆の顔ではなかった。
わたしはYouTubeで見知らぬ新生児たちの顔を見まくっていた。
見知らぬ新生児が産声をあげ、体をふかれ、母親のもとに運ばれる動画を。

見知らぬ人の子供が産まれるのを見るのはなかなか変な気分だ。知り合いの子供じゃないので「かわいい〜!」という気持ちにもなれず、結構ギョッとする。生まれたてでまだ血がついたまま顔を歪めて泣いている赤ん坊たちは得体のしれなさがあり、正直ちょっとこわい。

画像4

山あいに転がっているのは、老婆ではなく赤ん坊の顔になった。

どうしてかはわからなかった。説明はできないけれど、でもその方がいいと思った。

そうして、まるで石の中に赤ん坊の頭が埋まっているのを発掘するように彫りすすめてできたのが「予感」という作品だった。

画像1

タイトルっていうのはいつもギリギリまで決められない。
この時も相当、提出ギリギリまでタイトルが決まらなかった記憶がある。

でももう今は他にどんなタイトルの候補があったのか思い出せない。

これはまだ生まれていない、生まれる前の赤ん坊の頭だ。
産声を上げる前の、まだこの世の空気に触れたことのない胎児。これはだから、母親のおなかの中の、内側の風景なんだと思う。

山あいに沈み込むようなこの頭が、もっともっと深く沈み込んで、飲み込まれた時ーこの風景の中から消えた時ー赤ん坊は産声をあげるのだと思う。

小さいサイズ02

もしあの時、(そんな候補はなかったと思うけど)タイトルを「記憶」とかにしていたら、全く違う意味になっただろうな。そのタイトルだと過去を見つめる視点になってしまう。その風景は過去のものになってしまう。
そうじゃなくて「予感」にしたのは、今現在、まだ「何か」が生まれていない状態にあって、でもこれから生まれるのだ、というそういう視点に当時の自分があったのだと思う。

………………………


あれから大学院へ進学し、その大学院も卒業し、働きつつ作品を作っている今、振り返ってじゃああれからその「何か」は生まれただろうか、とか考える。

赤ん坊が母親の内側の風景から出てきて「オギャー」と産声をあげるような、0から1になるような、単純でわかりやすい何か変化があったかと言われると、それはない。

ただ、ちょっと面白かったのは、これを作っている時に仲の良い友人が妊娠し、これを作り終えた後数ヶ月後に子供を産んだことだ。当時まだ23歳で、近しい友人で子供を産んだ人は他にいなかったので、それはわたしにとって重要な、新しい経験となった。

彼女とその子供が入院する病院に見舞いに行き、生まれたばかりの信じられないくらいに小さなその顔を、手を、足を見て、ブワッといろんな感情が押し寄せた。
YouTubeで知らない人の子供が生まれる動画を見ていた時とは、全く違う気持ちだった。

身近な人の死を知り、死を思い、そしてそれから生について、生まれてくることに対して思いを馳せていたら、本当に身近で小さな命が誕生した。不思議な気持ちだった。

その彼女の息子ももう4歳で、あんなに小さくて何もかもが儚かったのに、今はもうその健康的な自分の脚で、どこまでも走っていけそうなくらい元気に暴れまわっている。

子供の成長は早い。大人になるとなかなか成長しないどころが、2歩進んで3歩下がるみたいなこともしょっちゅうで、同じところをぐるぐるぐるぐる回っているような、そんな気分にもなったりする。

わたしがぐるぐるともがいている間にも、彼はグングンと脚を伸ばしていく。

今はまだ小さい彼に、しかしその健脚であっというまに追い抜かされていくのではないだろうか。彼が大きくなった時、わたしはどうしているだろう。ぐるぐるしながらも、まだ走れているだろうか。

自分の遠い将来に思いを馳せるのはちょっと怖い。でも彼の成長は楽しみだ。

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【お知らせ】

株式会社平成建設さんのWEBマガジンにインタビューが掲載されました。
受け入れて自由になる 彫刻家 諸岡亜侑未

実は、この「予感」という作品は平成建設さんより平成藝術賞という賞をいただいたのです。そのご縁で、今回このようなインタビュー記事を書いていただくことになりました。
誰かにこうした記事を書いていただくというのは初めての経験だったので、なんだかちょっと恥ずかしい気持ちなのですが、よろしければご覧ください。

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諸岡亜侑未

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普段は石を彫ったり、箱庭を作ったりしています。 最近はちゃんと自分の制作についての話を書くようになりました。 作品など→https://moro-oka.jimdo.com ご連絡→morooka.aym@gmail.com