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「最果て」によせて(後編)ー受け入れる

※前編はこちら→「最果て」によせて(前編)ー石は割れる

制作していた石が真っ二つに割れてしまった。
その時、わたしは自分が何を彫ろうとしていたのか、もう一度見つめ直さなければならなかった。

話は石を彫り始める前に遡る。

………………

3月に、春からは石を彫るぞということだけ決めて、一体どんな形を彫るのかは全く決まっていないのに、「ザラメみたいにキラキラして素敵」というだけで一目惚れの勢いで石を選んで買ってしまった。(先生には「女子はすぐキラキラしてて可愛いとか言うよなぁ、わかんねえなぁ」と言われたっけ。)

石を買った後だった。その1年ほど、寝たきりだった母方の祖父が、入院することになった。おそらく、これが最後の入院だろうと言われ、わたしは黒いカーディガンと黒いズボンを持って大阪へ帰った。

あの頃、介護へ見せた母のど根性はすさまじかった。祖父が一日でも長く家にいられるように、介護ベッドをレンタルして、透析は毎回介護タクシーで通って、本当にギリギリまで家で看ていた。でも、とうとう入院してしまった。母と叔母さんと姉とわたしで、24時間常に誰かが祖父の隣にいられるように、ローテーションで当番を組んだ。祖父は、とても寂しがりやだった。


祖父が亡くなったのは、わたしが泊まりの当番の日の真夜中のことだった。


淋しがりやの祖父の最期は、きっとドラマみたいに、明るい病室で家族みんなに囲まれみんなから声をかけられながら、あたたかく見守られながら逝くのだと、勝手に思っていた。

しかし現実は、あまりにも寂しく、虚しかった。

夜中に看護師達がバタバタと病室へ駆け込んで来る音でわたしが目を覚ました時には、おそらく、もう祖父はそこにはいなかった。その血の気の引いて青くなった別人のような祖父の顔が目に入った時、わたしはゾッとして頭も体も完全に固まってしまった。

看護師達が懸命に祖父の名前を呼び、声をかける中、わたしは簡易ベッドの上で石のように固まって一歩も動けず、声もでなかった。

一人の看護師に声をかけられ、やっとハッとして母親に電話をかけた。夜中の4時すぎ。電話はなかなか繋がらなかった。
やっとの思いで電話が繋がり、急いで病院に来て欲しいと伝えて電話を切った直後だった。遅れてやってきた先生が静かに、死亡時刻を告げた。

彼らはやるべきことを終わらせると、皆静かに病室を出て行った。
病室にはもうそこにはいない、祖父の抜け殻と、固まったまま動けないわたしの二人きりだった。


母と姉と叔母の3人が到着するまでの30分は、まるで時が止まったように長かった。重たい暗闇の中で、わたしは悲しみと後悔と罪悪感とで、押しつぶされそうだった。


何もできなかった。名前を呼ぶことも、手を握ることも。そばにいたのに、わたしはきちんと見送ることができなかった。人の死に目がこんなに虚しくて寂しいものだとは思わなかった。いや、そうしてしまったのはわたしせいなのだ。
自分はなんて無力で、なんて薄情なんだろう。祖父に合わせる顔も、家族に合わせる顔もないと思った。

母と姉と叔母の三人が到着して、布がかかったその姿を見てベッドに駆け寄ったその時も、わたしはまだ顔を上げれないまま固くうずくまっていた。

最後まで家で介護に当たっていたこの3人こそ、その別れに立ち会いたかったはずなのに。もっと早く気づいて、電話をかけていれば。後悔は尽きなかった。


わたしがようやく顔をあげることができたのは、空が白み始めたころだった。
祖父は、分厚くて白い掛け布団をきれいにかけられて、顔の上には白い布がかけられていた。分厚い掛け布団越しにみる祖父の体のゆるやかな稜線は、朝の光に照らされて、まるで雄大な山の風景のように見えた。わたしはその姿を見て少し、ホッとした。

そのシルエットは、元気だったころのどっしりとした祖父の姿ー子供の頃、おじいちゃんのお腹が大きいのはスイカを丸呑みしたからだと言われて信じていたーを思い出させた。

母が静かに布をとった。苦しそうな顔はしていなかった。真夜中にわたしが思わずゾッとしてしまったあの時の顔より、随分安らかな顔になっている気がした。

まもなく家族が集まってきた。
朝日に照らされた病室は、青白くて静かだった。

………………

陽の光に照らされキラキラと眩しく光る白い大理石は、あの時の朝日に照らされたあの布団の白を思い出させるものがあった。

わたしが石で彫り始めた山のようなシルエットは、それだった。

どうしてそれを彫ろうと思ったんだろう。
あの山のようなシルエットを作ることで、あの時が止まったような真っ暗な病室の 暗闇を忘れたかったのかもしれない、許されたかったのかもしれない。あの祖父に覆いかぶさった分厚い布団の稜線が作る、柔らかで雄大な山のような、そんな優しい風景。思わずわたしが安堵したあの光景。わたしは安心したかった。それを形にすることで、死を安らかなものとして肯定的に受け入れたかった。

しかし、割れたのだ。わたしが求めていた安らかで雄大な山の風景は、ど真ん中に大きな渓谷を作った。

そうだ、わたしは逃げようとしていたのだ、あの病室の暗闇から。死の恐怖から。死を前にして一歩も動けなかったあの時の自分から。
死と向き合っているつもりで、その実全く向き合わず、安心して受け止められる部分だけを形にしようとしていたのだ。わたしは自分の浅はかさを思い知った。


この石は、割れるべくして割れたのだ。


死んだ人は二度と戻らない。わたしがどれだけ後悔しても、あの夜はやり直せない。どんなに強くて目を背けても、あの暗闇は消えない。確かにわたしはあの時朝日に照らされたあの光景に救われた。だけど、それであの暗闇がなかったことになるわけではない。
割れた石を、たとえどんなに上手く接着しても、割れた事実は変わらない。割れる前には、もどらない。

石が割れる時、わたしにはもうどうしようもなかった。完全に、クラックの入った石を前にしてわたしはあの時無力だった。かなわなかった。
わたしはあの時、祖父の死を擬似的にもう一度繰り返したのだ。

死を前にして、わたしは為すすべもなく、完全に無力だったこと。あの暗闇の中で固くなってしまった自分を、死の恐怖を、わたしはもう一度受け入れなければいけなかった。


わたしは石を接着することも、作品を変えることもしなかった。
割れたものは割れたままで、そのまま展示することにした。


割れたという事実をも作品として取り込んだとき、わたしは初めて祖父の死を、そしてあの時どうにもできず固まってしまった自分を、きちんと受け入れることができたのだと思う。


石は厄介な素材だ。意図しないところで割れるし、重いし、硬いし、扱いづらい。素材の力が強すぎて、わたしの力なんか全然及ばない。
でもだからこそ、あの時わたしの甘い考えを打ち砕いて、もう一度向き直させる力が、石にはあったのだ。

それまで、作者と素材の関係は、作者が圧倒的に優位だと思っていた。作者の思ったように素材は形作られ、作品になる。作品において、素材の力よりそれを扱う作者の”意思"が優位だと思っていた。

けど、それは傲慢なわたしの思い上がりだった。

石は素材という立場を超えて、作者であるわたしに殴りかかってくる。または語りかけてくる。そしてわたしの考えは打ち砕かれ、ことの真意にハッと気づく。そんな瞬間がある。

自分で作っているはずなのに、自分の知らない、意識していない力が作用していることが多くて、作り始めにはわからなかったことが、完成していくにつれやっと形がみえてくる。

石はわたしの思い通りにならない。これからもきっと。だからこそわたしは続けられるんだと思っている。
いつか石を思い通りにするためではなく、この先もずっと石との対話の中で見えない何かを見つけるために、わたしは続ける。

それが、「どうして石を彫っているんですか?」という質問に対する、今のところのわたしの答えだ。

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