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五島列島のみち 〜九州自然歩道・五島エリア〜 (1/8)

福江島へ

フェリーが大きく揺れた。同航路のジェット船が時化しけで運休になったためか、カーペット敷きの二等客室は足の踏み場もないほどに混み合っていた。

5月の連休最終日で、休暇を島外で過ごした人たちの帰島ラッシュのようだった。泣き出した赤ん坊を、母親や親切な他の乗客らがあやしていた。

もう一度船体が大きく揺れた。徐行航行とするために到着が遅れる、といった旨のアナウンスが入った。船はしかし、夜の8時、ほぼ定刻どおりに福江港に着いた。

五島の旅

翌日の福江は、前日の荒天とは一転、立夏りっかにふさわしく爽やかに晴れ渡っていた。まだ商店の一つも開いていない市街を、まずはその空気に体を馴染ませるように、しばらくあてもなく散策した。

福江島は五島列島の南西端(男女群島を除く)に位置する、五島最大の島だ。渡島の目的は五島列島を旅することである。九州自然歩道に沿っておよそ250km、2週間をかけて歩く。福江島はそのスタート地点だ。

九州自然歩道の五島エリア全体図。緑線がそのルート。公式ウェブサイトより。

五島列島には以前から興味を抱いていた。西海国立公園さいかいこくりつこうえんとして保護される自然景観や、西端の地で育まれた特色ある歴史や文化に惹かれた。それらを体感として理解するには自らの足で歩いてみるのが一番だ。

日毎の行程はおおよそ以下のとおりである。基本的に全て徒歩だが、自然歩道のルートが一筆書きでない箇所の往路または復路どちらかはバスなどの公共交通機関も使う。また海路は定期船を使用する。なお下記する距離にそれらは含んでいない。

<福江島>
 初日  :福江→富江(約26km)
 2日目 :富江→荒川(約25km)
 3日目 :荒川→柏崎(約21km)
 4日目 :柏崎→魚津ヶ崎(約23km)
 5日目 :魚津ヶ崎→堂崎(約22km)

<久賀島>
 6日目 :田ノ浦→五輪→田ノ浦(約17km)

<奈留島>
 7日目 :奈留島港→江上→城岳(約18km)

<中通島・若松島・野崎島>
 8日目 :城岳→奈留島港→奈良尾→龍観山(約18km)
 9日目 :龍観山→青方(約32km)
 10日目:青方→曽根崎(約14km)
 11日目:曽根崎→津和崎(約22km)
 12日目:野崎島(散策のみ)
 13日目:野崎島→有川(散策のみ)
 14日目:頭ヶ島→有川(約13km)

総歩行距離:約251km

出発の前に

歩き始めるのは翌日からだ。この日は九州自然歩道のルートには含まれない地域を少し見ることにしていた。

福江の市街にある歴史資料館を見学し、その後は原付バイクをレンタルして、島の南西部に位置する玉之浦たまのうら地区を中心に見て廻った。

特に見たかったのは社叢しゃそうにタブなどの原生林が残るという白鳥神社しらとりじんじゃと、五島層群が削られた海食崖である大瀬埼おおせざきだ。共に西海国立公園の特別地域(それぞれ1種と2種)に指定されている。

大瀬埼灯台

ホテルで貰った旅行支援のクーポンを使ってちょっと豪華な夕食をとり、翌日から始まる旅に備えて早めに就寝する。

初日(福江→富江)

初日の計画ルート(1/2)
※ルート編集アプリ「Trail Note」にて筆者が作成
(赤線は上り、青線は下りを示す)
初日の計画ルート(2/2)
※ルート編集アプリ「Trail Note」にて筆者が作成
(赤線は上り、青線は下りを示す)

福江

早朝にホテルを出立し、スタートとなる福江港ターミナルへ向かう。前日と同様この日も快晴で、まだ涼しい風が清々しい。

福江城を右手に見ながら南西へ進む。武家屋敷通りと呼ばれる古い石垣が残るエリアを過ぎ、墓地の脇をしばらく進むと九州自然歩道の道標に出会った。この先どれだけ頼りになるかはわからないが、少なくとも道標が存在することに少し安堵する。

五社神社ごしゃじんじゃを過ぎてさらに南へ。風景はこのあたりで住宅地から畑地に変わる。青空の下で若緑の麦畑が広がっている。道はさらに南へ、鬼岳おにだけに向かってなだらかに登ってゆく。

鬼岳

鬼岳に近づくにつれて道の両脇には照葉樹が増えてくる。多く見られるのは恐らく、モチノキやハマビワ、ヤツデなどであろう。力強い深緑の葉たちが、温暖湿潤なこの地の雰囲気を感じさせる。

自然歩道は鬼岳の山頂へはゆかず、その東側を巻くようにして南下する。山裾は照葉樹が優先する森林だが、山の上半分は草原になっている。定期的に野焼きをしているのだという。

鬼岳は福江島のシンボルとして認識されているようだ。最高峰ではないが、そのきれいな山容が島内各地、特に福江の市街からよく望めるからだろう。

鬼岳の東南は広大な椿林になっている。その先には海が見える。美しい展望を眺めながら緩やかな下り道を南へ進んでゆくと、やがて鐙瀬あぶんぜと呼ばれる土地に入る。

鐙瀬

鐙瀬は鬼岳の噴火により流れ出た溶岩が形成した溶岩海岸である。海岸にある展望所に登って真上から見下ろすと、溶岩が流れてきて冷え固まった様子がはっきりと見てとれる。

海の青さに目をみはる。展望所から見下ろした潮溜まりの底の岩肌が、周りの岩場のそれよりもはっきり見えるような気がするほどに、海水は透きとおっていた。

このあたりは福江島で最も温暖な地域であるらしい。ヤシの巨木が幾本も立ち並んでいて、南国の空気を感じさせる。

鐙瀬の溶岩海岸

大椿と大アコウ

海岸に沿って北西へ進む。北を望むと鬼岳の、丸くなだらかな輪郭が見える。その南麓には葉たばこの畑が広がっている。しばらくゆくと大窄おおさこという集落に入る。

鬼岳とその南麓に広がる葉たばこ畑

自然歩道を少し逸れた住宅地の中に「福江の大椿」と呼ばれる木がある。樹高10メートルぐらいはあろうか。五島には椿が多い。防風林として、また油搾りの為に、こうして集落にもよく植えられたのであろう。

さらに西へ進むと大浜の集落へ入る。集落の中、コースを少し逸れたところに今度はアコウの大木がある。アコウは「絞め殺しの木」と言われる。動物などによって他の樹木の上に運ばれた種子が芽吹くと、無数の気根を垂らして成長し、やがて土台となった樹木の枝葉を覆い尽くして殺してしまう。

大木はその気根で民家の石塀を飲み込むように生えていて、水平に広がる巨大な枝々が路地にトンネルを作っていた。樹齢約250年だという。

巨大な老木は存在するだけである種の神々しさをまとうものだ。人間の集落という世俗の中にあってもなお、このアコウはやはり、巨木にふさわしい厳かな空気をまとって佇んでいた。

富江

大浜の集落を抜け、美しい香珠子こうじゅしの浜を見ながらさらに西へ進む。海岸線と山地に挟まれた畑地の中を抜けてゆく。道端にヒナギキョウの小さな花が咲いている。

海岸線に沿ってしばらくゆくと富江地区に入る。福江島では福江に次いで2番目に人口の多い地区である。江戸時代に福江藩の分藩として起こった富江藩が元で、明治期にはサンゴ漁で栄えた。

富江は新田次郎氏の小説「珊瑚さんご」の舞台である。明治末期に起こったサンゴ漁の海難事故を題材に、人生の悲喜を描く物語だ。

山岳小説で名高い新田氏だが、気象庁の元職員として、この大海難事故はテーマにせざるを得なかったのかもしれない。名作の多い氏の著作の中でも特に好きな作品の一つである。

小川に沿う小さな水田地帯や、海岸に迫る山地を抜けて南へ進むと、やがて富江の市街に入る。静かな漁師町である。ところどころに珊瑚の加工・販売業者らしい看板が見える。

市街を抜けた先にキャンプ場がある。初日の宿泊地だ。受付で車かバイクかと問われ、徒歩で来たと言うと、スタッフは少し面食らった表情をした。歩いて旅する人間はやはりめずらしいのだろう。

静かなキャンプ場だった。ほどよい疲労が心地よい。夕食をとって、あたりが暗くなると早々に眠りについた。


つづく


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