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五島列島のみち 〜九州自然歩道・五島エリア〜 (4/8)

6日目(田ノ浦→五輪→田ノ浦)

6日目の計画ルート
※ルート編集アプリ「Trail Note」にて筆者が作成

久賀島

福江港から久賀島の田ノ浦までは約20分の航行だ。小さな船で、乗客はまばらだった。この日は久賀島を横断する道を往還し、また田ノ浦から福江へ戻る予定だ。

船着き場では数名の島民が船を待っていた。上陸して周囲を眺めてみる。海岸線の景観が素晴らしい。すっきりと晴れた空に負けないほどに海は青く、海岸に迫る照葉樹林の力強い緑も美しい。道端にはやはりノアザミが紫の花を咲かせている。

海岸沿いの風景。中央に見えるのは浜脇教会。

久賀島は福江島の北東に位置する、面積約37㎞²の小さな島だ。北に開いた馬蹄形ばていけいをしている。

行政区分は両隣の福江島や奈留島と共に五島市である。

人口は300人に満たない。盛期は4,000人に近かったというから、その10%以下である。

定期航路は福江との往復便のみ。いわゆる「離島の離島」である。

「久賀島の集落」は世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の11ある構成遺産のひとつとされている。かつて外海そとめからの移民らが集落を形成し生活を営んだ跡を今に残している。

浜脇教会

田ノ浦から島の東端にある五輪集落を目指す。

海岸線を東へ進んで少し上ったところに、立派な鐘塔しょうとうを持つ真白な教会が立っている。浜脇教会という。

初めは1881年(明治14年)に建てられた木造の小さな教会だった。それが老朽化と信者の増加により1931年(昭和6年)に建て替えられたのだそうだ。五島最初のコンクリート造の教会だという。

水田地帯

北東へ向かって山地をしばらく進むと、小川に沿った平地に入る。平地には水田が広がっていて、それは島の北側の河口まで続いている。

田園風景を見るとは意外だった。前日に降った雨のせいかもしれないが、川の水量も多い。小さな島の割には水が豊富な印象である。

谷あいに広がる水田

峠越え

谷あいの田園地帯を島の中心部まで進み、今度は島の東側に広がる山地へと入ってゆく。照葉樹が茂る森がここでも美しい。

山好きの人間にとって、離島の良さの一つは荒れた人工林が少ないことだ。

人が住んでいる以上、過去も含めてある程度は木材生産に利用されているだろう。それでもその規模は本土の比ではない。

あの見ていて憂鬱になるような、暗くて不健康な単一林が、ここにはほとんど無いのである。

放置された人工林の風景ばかりになってしまった現代の日本において、離島の魅力は海のみではない。山や森もまた然りである。

みちは次第に踏み跡が薄れ、不明瞭になってくる。ほとんど人が歩いていないようだ。確かに日常的に利用されているルートとは思えず、むしろ辛うじてでもこうして歩けるのが不思議なくらいだ。

迷わないように、地形図を見ながら慎重に歩く。

(昔の道はどこもこんな感じだっただろうか)

などと考えながら歩いていた。文明開化以前は、今のように集落間に必ず開けた道路があった訳ではない。細く長い山道を使って、徒歩で峠を越えることが多かっただろう。

今にも消えそうな小径の向こうから、もんぺを穿いた毬栗頭いがぐりあたまわらしが駆けてきそうな気がした。

五輪集落

なんとか海岸まで抜けた。五輪ごりん集落である。

海の青さに息をのむ。小さな漁船が数艘浮かんでいる。民家らしい建物が数軒、森を背にして海辺に建っている。

小さな教会が2棟ある。1つが現役のもので、もう1つが保存されている旧教会だ。拝観するには事前に予約する必要がある。予約した時刻までまだ少し余裕があった。

あたりを眺めながら時間を潰していると、男が一人歩いてきた。教会守きょうかいもりだという。どうぞ入って、と言って、彼は旧教会の扉を開けた。

教会の歴史や造りなどについて、教会守は一通り説明してくれた。この旧教会はなんと浜脇教会の旧堂だった。昭和6年の建て替えの際に移築してきたらしい。浜脇の地に建てられてから142年、五輪に移築されてから92年が経っているということになる。

五輪に教会ができる前、集落の人々は浜脇の教会まで歩いてミサに通っていたという。僕がまさに今歩いてきた、あの山道を使ってである。

片道3時間近くかかる。それでもミサを楽しみに、信者たちは何度も往復したことだろう。五輪教会の設置は、集落の人たちにとってまさに待望だったのだ。

さっきの童は、どうやらミサに向かう五輪集落の子だったようだ。

五輪集落。海の青さに圧倒される。

牢屋の窄

さっき来た山道を戻ってゆく。

九州自然歩道のルート設定によると五輪集落から奈留島に渡ることになっているが、定期便が無いので海上タクシーをチャーターすることになる。一人だと高額になるので、田ノ浦からいったん福江島へ戻り、翌朝に奈留島への定期便に乗ることにしていた。

牢屋ろうやさこ事件というのがある。明治の初め、いわゆる「信徒発見」をきっかけに当地の潜伏キリシタンたちがカトリックの指導下に入りその信仰を宣言すると、為政者は彼らの弾圧に動いた。

苛烈な弾圧にも信仰を捨てない者が多く、12畳の牢屋に200名を、およそ8ヶ月に渡って収監した。必要な食事は与えられず、適切な睡眠や排泄は出来ず、厳しい拷問が加えられ、42名が亡くなったという。大きな時代の変わり目に起きた悲劇である。

田ノ浦への帰路、自然歩道を少し離れて「牢屋の窄殉教記念聖堂」を訪ねた。事件の現場となった場所である。

穏やかな入江の美しい海を見下ろす、三方を森に囲まれた高台に、小さな教会と碑がひっそりと立っていた。波の音と小鳥のさえずりだけが静かに響いている。

こんなに美しく、穏やかな景色の中でも、人はどこまでも残酷になれるものだろうか。

福江へ

島に2箇所あるという椿の原生林も見てみたかったが、訪れる時間が無く諦めた。

出航予定時刻の少し前に田ノ浦の船着き場へ帰り着いた。船はまだいなかった。

船を待つあいだ桟橋から海中を覗いていると、ハコフグらしい魚が2尾、どこに進む意志も見せずに漂っているのが見えた。五島では味噌焼きにして食べる習慣があるという。

定刻通りに現れた船に乗り、島をあとにした。離島の過疎地として苦労は沢山あるだろうが、海も森も水田も美しい、素晴らしい島だった。

近づいてくる福江の街並みが、以前よりもずいぶん都会に見えた。


つづく

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