自己責任の時代が本格化

イチローさんが言うように,指導者が厳しくできない時代がやってきている。
「体罰禁止」が始まった時から,こういう状況になることは予想されていた。
教室では子どもたちに,自分で何でもやっていく(求めていく)人間になっていかないと,夢や目標は叶えられない,社会の中で自己実現できないと言ってきたが,本当にそうなってきた。

様々な業種,現場で管理的な立場にいる人や,中心的な役割を担っている人たちは厳しい指導の中で生き育ってきた。そして,教育的な立場の人は,その指導法で多くの成功体験を得てきた。私たちの世代もそうだ。
子どもたちの可能性を見出し,時には厳しい指導で叱咤激励し,引き上げてきた経験があるからこそ,ハラスメント時代の指導の最前線では多くのジレンマがある。
関わる大人の価値観も多様化し,従来型の厳しい指導を求める保護者や関係者がいる一方で,そのような指導に対して問題視する人もいる。
指導対象の子ども一人一人も多様な感性をもっており,同じことを同じように言っても受け取り方が多種多様であり,マイナスな受け止め方をした場合には,指導者の対応が問題視される。
結果,何も言わなくなる(指導しなくなる)指導者が増えてきてるのではないだろうか。
「しない」と言うべきか「できない」と言うべきか。

このような教育現場を,全ての子どもたちが通って社会の一員になっていく訳だが,果たして現代社会の中で自己実現するだけの力を身につけられているのだろうか。
自主性や主体性,ハラスメントという言葉を盾に,踏み込んだ指導をしなくなることは,指導者にとっては自分の身を守るための有効な手段であるが,指導を受ける側の人間にとってはどうなのだろうか。
自分の人生を豊かにするためには,社会生活を営む上で必要最低限の能力を身につけなければならず,そのために義務教育を含む教育が存在する。
指導しない(できない)結果,このような能力を身につけられなかった人はどうなるのだろうか。自己責任になってしまうのが現実社会なのだろうと思う。自己実現できなくて困るのは誰でもない当人である。
そして,社会を支える人財として活躍できる人がいなくなっていけば,今の社会を成立させることが難しくなってしまい,結果,多くの国民が困ってしまうことにもつながる。

ハラスメントを中心に,起こった現象を批判する記事やニュースがよく掲載されているが,それらが様々な教育の現場に波及し,指導者が指導できなくなり,教育者が教育できなくなってしまう。
批判は批判として,あるべきだと思うが,その結果起こる現象までも考えておかないと自分たちで自分たちの社会を崩していくことにもなりかねない。

これらを打開する新しい価値観や教育観,教育方法,社会制度の構築が求められるのだろうが,果たして現代社会にその余力があるのだろうか。

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