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♅天王星が導く「王の座」

2024年4月21日、♅天王星と♃木星の「合」コンジャンクションがあります。
大変革の一年と言われている、今年の大イベントであることは間違いありません。

占星術の中の太陽系とは、私たち地球人の集合意識の相似形です。
私は「惑星とは、今後の未来にとって不必要な観念を私たちに教えてくれる存在」だと思っています。
私たち人類にとっての「不要な観念」です。
♃木星・♄土星・♅天王星・♆海王星と意識が大きく拡大していく中で、「地球人が超えてゆくべき課題」を教えてくれているとも言えます。
私たちは「不要な観念」を手放すことで、意識が拡大し、課題を超えてゆくことができるのです。

各惑星は、私たち人類の意識の中に埋め込まれているのようなものです。
惑星が発見された時点で、私たち地球人の集合意識の中にいる「種」は、根を張り始めます。
その種は、回れば回るほど大きく成長していきます。
植物が太陽の日を浴びて成長するように、種は勝手に大きくなってゆくのです。
そしてその種は、私たちが意識を向ければ向けるほど大きく成長し、揺るぎないものになってゆくのです。

今回は、そんな『種』の中の天王星』にスポットを当ててみたいと思います。
2024年4月21日♅天王星と♃木星の「合」の前に、天王星が私たちに伝えようとしている「課題」について考えてみたいと思います。


♅天王星との共鳴のはじまり

♅天王星の一般的な象徴は
「発明・改革・変革・独創性」
「いままでの型破り」を得意とする惑星と言われています。

土星までの間で培われてきた伝統を超えてゆく為に必要な意識」を作る惑星です。
私たちの意識が、天王星と共鳴した時、土星意識を超えた世界を創り出すことができます。

では、天王星が超えてほしい意識とは、なんなのでしょうか?
どんなところを意識すると、天王星に水をあげることができるのでしょうか?
それを紐解く為にも、天王星が発見された時代を確認してみたいと思います。
発見された時代は、私たちが天王星意識と本格的に共鳴し初めた時代だからです。

発見年1781年3月13日
最大等級+5.6等と地球最接近時は肉眼で見える明るさになることもあり、ハーシェルによる発見以前にも恒星として20回以上観測されていた(肉眼観測も含む)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/天王星

発見されたのは1781年、約240年前です。
それまでにも何回か目撃されていたようですね。
一般的には肉眼で見ることのできない惑星とされていますが、環境が良ければ見ることができるようです。
発見年前に何回か目撃されていたということは、人類の歴史の中で何度か「♅天王星意識」と共鳴する兆候が見えていたということになりそうです。
では、1781年のできごとから見ていきましょう。

【1781年できごと】(抜粋)
3月13日 - ウィリアム・ハーシェルにより天王星が発見される。
3月16日 - アメリカ独立戦争: ヘンリー岬の海戦行われる。
9月28日 - アメリカ独立戦争: アメリカ・フランス軍がヨークタウンのイギリス軍を包囲。ヨークタウンの戦いが始まる。
10月19日 - アメリカ独立戦争: イギリス軍が降伏。ヨークタウンの戦いが終わる。
12月12日 - アメリカ独立戦争: ウェサン島の海戦

https://ja.wikipedia.org/wiki/1781年

ウィキペディア情報では、「アメリカ独立戦争」だらけでした。
「アメリカ独立戦争」から紐解いていく必要がありそうですね。

【アメリカ独立戦争】(抜粋)
1775年4月19日から1783年9月3日までのイギリス本国(グレートブリテン王国)と、北アメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地との戦争。この戦争によって植民地の住民はイギリスの支配を拒否し、アメリカ合衆国を政治的独立に導くことに成功した。
1775年4月19日、レキシントン・コンコードの戦い。
1775年、第2次大陸会議、大陸軍発足。
1776年7月4日、アメリカ独立宣言。
1777年9月、サラトガの戦い。
1781年3月16日、ヘンリー岬の海戦。
1781年9月5日、チェサピーク湾の海戦。
1781年9月28日、ヨークタウンの戦い。アメリカ独立戦争を事実上終結させた決定的な戦闘。
1783年、パリ条約。アメリカ独立戦争を終結させた講和条約の一つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ独立戦争

1781年は「イギリス植民地支配からの独立元年」ということになりそうです。
「植民地支配からの独立」という現象が地球上で認識できる世界が始まった年と言えそうですね。
この独立は、当時の世界感覚ではかなり斬新な出来事だったようです。
それまでは植民地として支配されることはあっても、植民地から独立するということはなかったと思われます。
(独立したつもりでも、ただの村八分だった・・みたいな。。。)

アメリカ合衆国の独立とは、
18世紀後半に北アメリカの13植民地が結束して宗主国であるイギリス(グレートブリテン王国)の植民地政策に抵抗し、アメリカ独立戦争を経て、当時までほとんど常識であった君主制を離れて、アメリカ合衆国という共和制国家を成立させた一連の出来事のことである。その後のフランス革命などにも大きな影響を与えた。

君主制とは、一人の支配者が統治する国家形態であり、伝統的には君主が唯一の主権者である体制。
共和制とは、国家元首の地位を個人(君主)に持たせない政治体制である。共和制では、国家の所有や統治上の最高部分が持つ。

18世紀末までは、世界のほとんどの国家において君主制が敷かれており、共和制を採る国家はスイスやオランダ連邦共和国、ヴェネツィア共和国などわずかな数に過ぎなかった。その後、18世紀末にはアメリカ独立戦争によってアメリカ合衆国が成立し、フランス革命によってフランスが一時共和制を取ったことで君主制をとらない国家も増え始め、なかでもこの両革命の影響を強く受けたラテンアメリカ諸国は18世紀初頭の独立時にほとんどが共和制をとった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の独立
https://ja.wikipedia.org/wiki/君主制
https://ja.wikipedia.org/wiki/共和制

アメリカ独立戦争をきっかけに、「君主制」から「共和制」への移行が本格的に始まったようです。

【フランス革命】
フランス王国で1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きたブルジョア革命。フランス革命を代表とするブルジョア革命は、封建的な残留物(身分制や領主制)を一掃し、
・資本主義の発展(法の下の平等・経済的自由・自由な私的所有など)
・資本主義憲法の確立(人民主権・権力分立・自由権(経済的自由権)等の人権保障を中心とする原理、典型例としてフランス憲法)
を成し遂げた。
フランス革命はアメリカ独立革命とともに、ブルジョア革命の典型的事例である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランス革命

アメリカ独立戦争によりフランス革命の流れも強まり、人権を主張する革命が起きるようになった。
このような「支配からの独立」革命のことを、ブルジョワ革命・市民革命と呼ぶ。

市民革命(しみんかくめい)またはブルジョア革命、資本主義革命、民主主義革命とは、封建的・絶対主義的国家体制を解体して、近代社会(市民社会・資本主義社会)をめざす革命を指す歴史用語である。一般的に、啓蒙思想に基づく人権(政治参加権あるいは経済的自由権)を主張した「市民(ブルジョア・資本家・商工業者)」が主体となって推し進めた革命と定義される。代表例はイギリス革命(清教徒革命および名誉革命)、アメリカ独立革命、フランス革命など。

https://ja.wikipedia.org/wiki/市民革命

wikipedia引用祭りでかなり貼り付けましたが、世界史得意ですか??
私はまったくでしたので、このお陰様でかなりお学習できました。
やはり自分で興味を持って調べると、頭に入りますね。

ここまでの歴史的考察によると、天王星の正式発見年である1781年から、世界的に市民革命が起きていることが解ります。
自らの尊厳を主張し、これ以上は侵害であると主張し、それが通っていく時代が始まったわけです。

こうみると天王星が育てている意識」が、どのようなものかもイメージできたのではないでしょうか?
地球に生きる人間としての権利。
身分制度・階級制度を超えた人権・生活・社会体制。

地球人類全員の基本的人権。
これが、1781年から♅天王星が育てている意識ではないでしょうか。


日本の1781年

いやいやアメリカ・イギリスだけの話で結論づけるのは早いよ、とも思いましたので日本も覗いてみましたよ。
1781年、日本は江戸時代中期「田沼時代」と呼ばれている時代です。
以下、日本史が得意な方は、すっ飛ばしてください。

【田沼時代】(抜粋)
日本の歴史(江戸時代中期)において、老中・田沼意次が幕政に参与していた時期を中心とした時代区分。史学上は宝暦・天明期として、宝暦・明和・安永・天明期(1751年-1789年)、すなわち享保の改革と寛政の改革の間の約半世紀の時代を指す。
この時代の特徴として通俗的には伝統的な緊縮財政策を捨て、それまで見られなかった商業資本の利用など積極的な政策を取ったとされている。一方では政治腐敗の時代、暗黒時代などとみなされ、賄賂政治の代名詞としても有名。
第9代将軍徳川家重、続く第10代将軍家治の寵愛を受けた田沼意次が側用人・老中として絶大な権勢を誇った期間であり、また、商業資本を重視した経済政策が実行されたことで知られる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/田沼時代

簡単に要約すると、
・幕府の財政難を払拭する為に数々の策を練った時代。
・それは「田沼時代」の前の「享保の改革」から続いている。
・農耕重視から商業重視の政策へ転換を進めていくが、なかなか成功したとは言い難い様子。
・この頃の天候不順・天変地異により、農作物は不作となりやすかったにもかかわらず、重税や重労働を強いられた民衆は、不満が爆発し一揆も多かった。。。

・1751年から1764年、郡上一揆。(宝暦年間に発生した大規模な一揆)
・1772年4月1日、明和の大火
・1781年、絹一揆
・1782年から1788年、天明の大飢饉。(江戸四大飢饉の1つで、日本の近世では最大の飢饉とされる。)
・1787年5月には、江戸や大坂で米屋への打ちこわしが起こる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/郡上一揆
https://ja.wikipedia.org/wiki/天明の大飢饉

この頃の日本も、民衆の不満がたまり一揆が多発していたようですね。
日本では、一揆をきっかけに独立国家ができるまでには至っていませんが、幕府が民衆に行っていたことと、イギリスが植民地に行っていたことは、ほぼ同じ圧力だったことが解ります。
どちらも統治側が財政難で、それを過度な商業重視重税により補おうとしています。
アメリカ独立戦争のきっかけも、イギリスによる重税が発端です。

独立戦争へ(抜粋)
イギリスは戦費支出の増大による財政難から、それまでの緩やかな植民地支配から厳しい産業統制に転じ、砂糖法(1764年)、印紙法(1765年)などを施行して13植民地に対する課税を強化した。これに対し、イギリス議会に代表を持たない植民地議会は「代表なくして課税なし」ととなえて抵抗し、一連の税法を廃止に追いこんだ。しかし、イギリス議会は1773年に東インド会社に茶取引を独占させる茶法を制定したため、植民地側の不満が頂点に達し、インディアンに扮した植民地人が、ボストンに入港したイギリス船内の茶を海に投棄するボストン茶会事件が起こった。イギリス側はボストン港閉鎖などでこれに対処したため、1774年、13植民地は大陸会議を開いた。1775年、両者はついにレキシントン・コンコードの戦いで武力衝突し、、、
1764年4月5日、砂糖法
1765年3月、印紙法
1767年タウンゼンド諸法
1773年5月10日、茶法

https://ja.wikipedia.org/wiki/13植民地
https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の独立


天王星と重商主義と市民革命

田沼時代の政策も、イギリスが行っていた政策も、どちらも「重商主義」と呼ぶそうです。
イギリスがどんな政策をしているかを、その当時の江戸幕府がどれだけ把握していたか分かりませんが、「地球の反対側に生きている人間が、似たような時期に似たような事を考え、似たような行動を行うことで、似たような現象が起きる」というのは意味ありげですね。
やはり、私たちは集合的無意識で繋がっているのでしょう。

重商主義(じゅうしょうしゅぎ)とは、貿易などを通じて外貨準備などを蓄積することにより、貴金属や貨幣などの国富を増やすことを目指す経済思想や経済政策の総称。
重商主義は、現在では過去の理論と認識されるが、貿易に対する非関税障壁が新重商主義として重要性を帯びている。また、経済に政府が介入する形で、まだ重商主義が実践されているという主張もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/重商主義#

「商業」という発想のもとで「自らの利益を獲得・蓄積」する政策。
さらに「対外」という発想を使い、「自らの財を増やす為に、自分以外のものを使う」といった政策です。
重商主義は過去の理論と考える場合もあるようですが、内容を見るに、そのような印象は受けないですよね。
今まさに私たちが「経済政策」と呼んでいる、その根底に流れている発想そのものと言えるのではないかと感じます。

この「重商主義」の対極として生まれた「市民革命」
その「市民革命」スタートの年に発見された♅天王星。
そんな天王星が育てている意識は、やはり「全地球人の人権を尊重していく意識」なのではないかと思います。

ただ、その意識に到達するまでに必要な「♅天王星の提示する課題」は、現在の私たちにとってかなりの難題のようにも感じてしまいます。
まさに「経済政策」そのものが課題であり、私たちは現在「♅天王星の提示する課題」のど真ん中にいそうです。


王のいる世界からの卒業

インド占星術の中にあるエピソードでは、
・☉太陽、王
・☽月、女王
・☿水星、王子
・♀︎金星、大臣
・♂火星、軍人
・♃木星、祭司
・♄土星、召使・平民
というものがあります。

インド占星術では、基本的に♄土星までの惑星しか使用しないので、♅天王星・♆海王星には、上のような「役」がついていないのですが、

・♅天王星、召使解放者
っと考えるのは、的外れな発想でもなさそうです。

「君主制」はいわゆる「ピラミット構造の社会」。
そこから「共和制」を選び始めた私たち。
一人の君主に任せてクニを運営する体制に、限界を感じ始めた時代。
一人に任せるのではなく、みんなで自由に作りたいと集合意識で思い始めた時代。

「自分達でやりたい!」その思いと共に天王星は現れ、
「では、やってみよう!」と地球を見守り初めた。

私たちは、ピラミット構造からどのように抜けてゆくのか。
どのような精神性を持つことにより、王・代表・社長・リーダー・上司のいる体制から抜けられるのでしょうか。

私たちが自由を求める心と
私たちでクニを作っていくこと
まるで相反する想いを、どのように統合していくのか。

それが天王星の育てている意識。


王の座に座るモノ

「♅天王星の提示する課題」を、世界的に解決するのは時間を用しそうですが、個人的にクリアしていくべきポイントはどこなのか気になります。
何を意識すればいいのか??探ってみたいと思います。

ヒントになりそうなのは「重商主義」。
重商主義により市民革命が起きたわけですから、重商主義の中に流れているエゴを越えていければいいのではないかと、思うのですがどうですか??

以下↓こちらのサイトさま参考に、重商主義の大枠を書きます。

【重商主義】
16世紀から18世紀の原始工業化時代のヨーロッパ地域での支配的な考え。
重商主義には、金銀の獲得を主とする重金主義という最初の形態から、輸出を増大させ輸入を抑えてその差額を得る貿易差額主義に移行し、さらに国内の産業の保護育成に力を入れる産業保護主義という形態の違いがある。

重金主義、金銀の蓄積を国力の中心とする思想。
貿易差額主義、輸出を輸入より多くして(出超)、貿易差額によって国家の貨幣収入を増大させようとする形態。
産業保護主義、国家の富の源泉としての自国の産業を保護する政策。

https://www.y-history.net/appendix/wh1001-008.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/重商主義#

↑これ
・備蓄、貯蓄
・節約、倹約
・保守、防御
に見えるのは、私だけでしょうか??

え?
国も、会社も、団体も、家庭も、個人も、みんな今もやっていますよね。
この「圧」を、自分以外のものに向けると、相手は自由を求めて反発するということになります。
どうやら、お互いがお互いに幕府役と平民役をやり合っている時代に、私たちは今生きているようです。(笑)
現代人が自由を求め続けてしまう理由が分かったような。。。
これはたいへん、根が深い。。。

もう少し俯瞰して見る必要がありそうです。

まあよくよく考えれば「富を蓄積しよう」という発想が全ての発端です。
「お金」というものが、今の地位を獲得したのはいつ頃なのでしょうか??

辿ったら「イングランド銀行」に着きましたよ。
以下↓こちらのサイトさまから抜粋しました。(またお世話になりました)
とっても解りやすいのでおすすめです。

1694年7月27日イングランド銀行設立
・対フランス戦争の戦費獲得のための国債を募集するため。
・生まれたばかりの企業に対する資金融資機関設立のため。
「財政革命」
公募金を政府に貸し、それと同額の銀行券を発行する特権が与えられた。
預金、貸し付け、商業手形割引、為替などの金融業務を開始した。
このような国債制度・金融制度によってイギリス財政は安定。
企業融資によって、18世紀のイギリス産業革命経済発展の基盤となった。

1833年、銀行券が法定紙幣となる。
1844年、銀行法により、発券銀行としての独占権が与えられ、金本位を確立させる。
19世紀後半、ロンドンのシティが世界金融の中心地になるとイングランド銀行は「世界の銀行」としての役割を担うこととなり、19世紀末には、国際金本位制=ポンド体制が世界経済のヘゲモニーを握った。

https://www.y-history.net/appendix/wh1101-007.html
https://ameblo.jp/worldhistory-univ/entry-12175859538.html

イングランド銀行設立時期が、重商主義と全く同じタイミング!!
あまりにもピッタリで、この頃のイギリス政治の様相がくっきりイメージできるようになってきましたよ。(今頃世界史を学ぶ人ここにあり)

どうやら私たちは、この頃から「富」が蓄積できるものであると思い始めたようです。
いや、「富」というよりは「権力」かもしれません。
「権力」というものを資源や物質に投影し、それと紐づけることにより、蓄積できると思い始めた。
その資源や物質の最上級を「貴金属・お金」とし始めた。
「権力」を蓄積し始めたのです。

それまでも、「お金」はあったのです。
お金の歴史と検索すると、太古の昔にいってしまいます。
それまでも、「銀行らしきもの」もあったのです。
銀行のはじまりを検索すると、紀元前3000年にいってしまいます。

お金自体に問題があるわけでも、銀行自体に大問題があるわけでもないのです。
だから、経済の問題は、非常に、解りにくい。。。

一番の問題は、
権力の座が「王からお金へ」「人からモノへ」移ったことです。

重商主義が、その移行の始まりであり、
人からモノへ「王の座」が移ったことによる反発が、市民革命です。

それまでは人が、モノもお金も動かしていた。
しかしお金が、人を動かす時代になった。
それが18世紀です。

悲しいかな、銀行券で人が動く時代は現在もまだ続いています。
240年続いています。
でもそろそろ潮時でしょう。
「王の座」を「モノから人へ」戻す時がきたかもしれません。

けん‐りょく【権力】
① 他人を強制し服従させる力。
② 法律でいう他への強制力。特に、国家や政府の有する政治的権力。

https://kotobank.jp/word/権力-61152#goog_rewarded



王とは何か

おう ワウ【王】
① 国家や領地を治める最高の地位の人。
② 皇族。みこ。おおきみ。
③ もと、朝鮮の李王家の長。明治四三年韓国併合の際に日本政府が定めた称号。
④ 仏教で、諸天の統率者。「
⑤ ある分野において、実力で第一にある、最もすぐれたもの。
⑥ 将棋の駒の王将。
⑦ 数の三の符丁。

https://kotobank.jp/word/王-448674

一般的には「王」とは「君主」のことです。

では、言霊ではどうでしょうか??
「おう」という漢字はまだあります。
凹・応・翁・欧
負う・追う

単体でイメージしやすい言葉だけ並べてみました。

私の個人的な解釈では、「何かを請け負う」という共通のイメージを感じるのですが、みなさまいかがでしょうか?
受け皿のような、最後の責任者のような、全てのことに応じる姿勢です。

本来「王」とは、権力最終責任の両方を持ち合わせている存在なのでしょう。

権力が、人からモノへ移った時、
責任も、人からモノへ移っていった。
権力もお金で、責任もお金で、どちらもお金で表現するようになった。
でも本来は、モノでは責任が取れない。

せき‐にん【責任】
① 責めを負ってなさなければならない任務。引き受けてしなければならない義務。
② (━する) 事を担任してその結果の責めを負うこと。特に、悪い結果をまねいたとき、その損失などの責めを負うこと。
③ 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者に負わされる法律的な制裁。民事責任と刑事責任に分けられる。
④ 債務が弁済されない場合のために一定の財産が担保となっていること。債務に対する語として用いられる。

https://kotobank.jp/word/責任-547351

責任というのは、何か事象が起きた時、なぜそれが起きたのかを考える行動のことだと思います。
悪いことが起きた時だけ、なぜそれが起きたのか考えるのではなく、
良いことが起きた時も、なぜそれが起きたのか考えることです。
感じて、考えて、改善するべきは改め、継続するべきは続ける。
その行動が、責任だと思うのです。

だから、モノでは責任が取れません。
モノは考えません。

「王の座」をモノから人に戻す時、「責任」も人に戻ってきます。

お金で解決することができない時代に移行する準備はできていますか??
きっと、そろそろ始まります。

共和制を選び出した時から、私たちの君主制からの卒業の学びは始まっています。
一人の絶対王に権限を集中させずに、一人ひとりに自由を取り戻していくということは、一人ひとりが「王」になるということです。
自らで考え、自らで行動し、自らで起きた現象を請け負う姿勢が、必要になるでしょう。


お金のポジション

「♅天王星の提示する課題」を、個人個人でクリアしていくにはどうすればいいか?のお話に戻りましょう。

私たちの集合意識は繋がっていて、世界的な大変革を起こすには、個人個人の変革を起こすしかないのです。
端的に言えば、世界を変えるには、個人が変わることです。
これは、社会運動を起こすことではありません。
意識を変えることです。
なぜなら、私たちは自らの意識で現象界を創っているからです。

天王星の育てている意識は、「全地球人の人権を尊重していく意識」だと思われます。

まずは、自らの意識の中に、自分以外の絶対君主がいないか確認しましょう。
そして、他者に対して、まるで自分が絶対君主かのような振る舞いをしていないかも確認しましょう。

自分も「王」であり、自分以外も「王」であるという意識を育てていく必要があるでしょう。

さらに、現在「王の座」にいるお金との関係性も意識していきましょう。

私たちがお金を使う時、人を見ているか確認しましょう。
自分がお金に使われていないか、自分がお金で人を使う意識になってはいないか。
モノの価値ではなく、人の価値に目を向けられている自分かどうか。
モノを自分のそばに置くことで、自らの力を表現してはいないか。
お金のポジションが、人の上に居ないかを確認しましょう。

そこが、人が「王の座」に帰るポイントです。


3周目のおわりが2032年

天王星が発見されてから約240年経ちました。
♅天王星の公転周期は約84年、もうじき発見からまる3周になります。
(240÷84=2.85・・・)
発見時は、サイデリアル♊︎双子座3度。

1周して戻ってきた頃、1863年〜1865年
2周して戻ってきた頃、1947年〜1949年
3周して戻ってくる頃、2031年〜2033年

現在、サイデリアル♈︎牡羊座24度です。

最近スピリチュアル界では、2032年というワードが、大きな節目として登場し始めています。
そろそろ解禁のようです。
気になる方は、こちらをどうぞ↓

ここからの数年の間に私たちが到達するべき意識は、この♅天王星が育てている意識と関係あるかもしれません。

天王星が肉眼で見ることが難しいというのは、見えるものとリンクしているわけではないからと思われます。
見えるものから、自分を確認するのではなく、
見えないものから、自分を確認していく必要があるのでしょう。
天王星の育てている「意識」は、見えるものだけで辿り着くのは難しい境地ということでしょう。
私たち地球人の一般常識では証明されていない「未確認なもの」が、「見えないもの」です。
世界は、見えていないものだらけです。
「まだ見えていないもの」に、人類が意識を開くことができるか??
そこが試される数年間になるでしょう。

「三つ子の魂百まで」というように、3までに形になると100までいきます。
3までに形にならないと、植物は枯れていきます。

今年2024年の♃木星と♅天王星の「合」では、
「♅天王星の提示する課題」があちこちで風船のように膨らみ、直視せざる追えない状況になるでしょう。


おわりに

最後までお読みいただきありがとうございます♡
今回も、書き始めには想像もしていない終わりにたどり着いています。
歴史、経済、言霊と、占星術。(と宇宙人)
全てを合わせて俯瞰していくことで、壮大な世界が広がりますね。
これを書きながら、世界史を学ぶ楽しさを、人生で初めて感じたように思います。
興味を持ったことを突き詰めるのが、一番学びになりますね♡

みんなで「天王星の王の座」取り戻していきましょう♡
では、またね〜☆


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