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人生の転機/今の仕事

人生の転機。

小さなものから大きなものまで、誰しもがきっと一つはあるのかなと思います。感じ方次第なので一重には言えませんが。

私には人生の大きな転機が2つあります。

一つ目はネガティブなことですが、大学受験の失敗です。

私は塾に通わせてもらっていたりわりと勉強にうるさい?家庭で育ったので中学までは学力の成績は10位前後/120人程の位置にいました。

しかし高校では部活と恋愛を優先してしまったせいで勉強を全然しなくなり笑

大学受験をなめていましたが、高校3年の夏頃、あまりに周りが予備校に通っているのをみてやっと焦り、幼なじみの紹介で予備校に入りました。

そこからは毎晩遅くまで通いましたが、なかなか緩やかな右肩上がりの成績にしかならず、でもどこかで「きっと大丈夫でしょう」と楽観視する自分がいました。

しかし受けた大学はほぼ全滅。

絶対こんなとこ行くことないと思っていたセンター試験で受かったが入学金払わず蹴っていた保険の保険で受けていた滑り止めの大学にセンター後期で結局受験料を払い、決めました。

浪人という選択肢もありましたが、自分の性格上無理なことと将来の夢も明確にあるわけでもなかったので浪人はやめました。

努力するのが周りより遅かったので自業自得でしたが、本当に悔しかった。

何より多額の予備校代に受験料、毎日送り迎えをしてくれた両親に本当に申し訳なくなり、成果を出せなかった自分は生きてる価値を見出せず、死にたくなりました。

予備校でもセンター長の前で泣き崩れてしまいました。

今でもあの時のどうしようもない情けない感情と不甲斐なさを鮮明に覚えてます。

ほんと、短時間で成果が実るなんて舐めた話なのでこんな大袈裟な自分も恥ずかしいのですが、、

周りが志望大学や有名大に受かっているのを見るのが本当に辛かったのですが、大学生活を誰よりも無駄にしない、と心に誓い続けました。

今思うと、多分すんなり受験を終えていたら、周りへのライバル心を持つこともなく、最低限のことしかしないもったいない大学生活を送っていたかもしれません。

そんな自分の甘さを思い知った出来事でした。

これが一つ目の転機。

さっそく大学生活初日から、とある先生が募集していたプロジェクトに挙手し、面談をし、プロジェクトに入り、活動的な日々を過ごすことになりました。

学んだことはたくさん。手を挙げることもあの時の失敗があったからなのは確かです。本当によかった。



もう一つの転機は、一つ目の転機の時期と近いですが、大学2年の夏。

大学内での取り組みやバイトなどは積極的にしてましたが、なんかでもパッとしない日々。

そんなある時、友達から借りたDVDを観ました。

『僕たちは世界を変えることができない』

松坂桃李君が主演の実話を元にした映画です。

自宅の部屋で一人で観ました。

大学生たちが発展途上国のカンボジアで日本と違った地域で起こっていることを知り、自らボランティアで学校を立ち上げる話。

タイトルが『僕たちは世界を変えることができない』なのは、これだけのことをしたけど、自分たちがしたことは世界規模で見たら小さなことに過ぎず、日本以外の世界のあちこちでは知らないところでいろんな問題があったりで簡単に世界を変えることはできない。(だけど小さなことなら自分たちでできることはある)というメッセージだと私は受け取りました。

世界規模で物事を考えたりしたことがなかったので、私にはこれがノンフィクションであることに衝撃を覚えました。

自分は同じ大学生なのになぜこんなにも小さな範囲で生きてるんだ、と、すごく情けなくなり

すぐさまパソコンで海外ボランティアを探しました。

ボランティアが良い、というよりも、自分が知らない世界を自分の目で見てみたい。とりあえず動こう、ということで手が勝手に動いてました笑

本当に、勝手に手が動くとはああいうことなんだと今でも思います笑

こだわりはなかったですが、ちょうど映画と同じカンボジアのボランティアがありました。

個人参加のボランティアだったので、若干チキンが残ってた私は仲良い友達を誘って。笑

しかし、海外にハワイしか行ったことない私がいきなりカンボジアにボランティアしにいくと親に伝えると、ストップがかかりました。

親も治安の良い国にしか行ったことがなかったので、まぁそりゃ心配ですよね。

お金はもちろんバイトで貯めていた金額があったので問題なかったのですが、GOをもらうためにしばらく安全面などでの説得をして、わりと強引にですが納得?してもらいました。

空港で初めて会う見知らぬ大学生20名弱と一緒に1週間、ボランティアに。

そこでの出会いは私にとってとても大きく、今でも数人の友達は仲良くしてもらってます。

同じ目的で集まったからなのか、すごく気が合うし、自分の意思を持つ人しかいなかったので尊敬する人が多かったです。

1週間朝から夜まで毎日活動があって、自然と仲が深まり、もはや前から仲良かったかのような。

ボランティアが終わっても一緒に海外へ行ったり国内でも頻繁に会ったりしてます。

本当に素敵な出会いです。飛び出した自分を今でも褒めたくなります笑


そんな素敵な出会いもあったカンボジアですが、カンボジアの街並み、人の生活、ボランティアで訪れた孤児院で自分が住む日本とはかけ離れた光景を目にし、一つ一つのことに衝撃を覚えました。

信号がない車道、観光客にたかる幼い子どもたち。

孤児院では私たちが飲む水と子どもたちが飲む水が分けられていました。

なぜ同じ人間なのに飲む水が分けられるのか。

そもそも訪れた孤児院。カンボジアのいろいろな理由で親を失くし、一人になってしまっている子どもたちは授業で質問を出すと全員が元気よく腕が伸びきるほどに手を挙げる。キラッキラの笑顔で。

私の知ってる学校の授業は暗くて手を挙げる人が珍しい、というイメージだったので、驚きました。

一人、すごく人見知りでなかなか話してくれなかったり笑顔を見せない女の子がいたのですが、時間をかけて接しているうちにちょっとずつ心を開いてくれ、最終日には手作りのミサンガをくれました。

言葉はもちろん通じません。でも、心が通じるってこういうことなんだと初めての感覚を味わいました。本当に嬉しかった。

そんな最終日、孤児院の最年長の男の子が自分の将来の夢を作文にしてみんなの前で発表してくれました。

すごく立派な内容でした。

将来の夢。

自分の将来の夢を文章にして自分の言葉で語れる。それも親や家族を失くした環境にいるのに幼いながらも明確な夢を持っている。

自分に問いかけました。

「私の将来の夢は?」

何も浮かんでこなかった自分がすごく情けなくなり、悲しくなりました。

恵まれた環境に生まれ、なに不自由なく過ごしている自分には将来の夢を語ることができない、

恥ずかしくてたまらなかったです。

自分たちがボランティアとして参加したはものの、振り返れば子どもたちから学ばせてもらうことばかりでした。

いろんな想いを持ち帰り、帰国後は自分の将来の夢をしっかり持つことを自分に誓いました。

これが二つ目の転機。

おかけで今は夢、やり遂げたいことをいくつか持つようになりました。

そのうちの一つは、世界の生活水準を平等にすること。

壮大なテーマですが、カンボジアの後、十数ヵ国に行きましたが、やはりショックを受けることは沢山あって、自分ができることは生きてるうちにやっていきたいという気持ちが芽生えました。

自分一人ではこの壮大なテーマを解決することはできないですが、会社の力を借りて解決することはできると思い、

そんな思いを持ちながら就活にも力を入れました。

そして、この夢を実現することができる会社を選びました。私の大学からはこの会社に行った先輩はおらず、採用される大学は大体東大早稲田慶應とトップ大学が多い会社。

私はおそらく底辺で入りましたが、採用してくれたのも採用試験で自分の思いや経験を熱く語れたから、あの時の挫折や経験があったからだと思ってます。

今は夢を叶えるにはまだ少し遠いテーマでの仕事をしてますが、目指したいゴールが明確なので、回り道だと思ってなんとか頑張れてます。

今の自分、今の仕事は二つの転機がなければ、違う自分になっていたかもしれない、違う仕事をしていたと思います。それはそれで良かったのかもしれないですが、私は今、自分の人生に誇りを持てるし、後悔はないです。

それだけでも今の道を選んでよかったと思えます。

この先また転機が訪れるかもしれないですが、そこで起きることや自分の感情、考えに向き合い、転機をポジティブにつなげていきたいなと思っています。

すべて、人が関わっている転機なので、出会ってきた方々への感謝を忘れずに、なぜ今幸せな自分がいるのかを考え、周りをよく見ながら生きていける人になっていきたいなと思います。

そんな私の転機、今の仕事、自分につながる話でした。

改めて文字に起こすと、いろんな熱い思いが出てきました笑

明日からも夢を見失わず、仕事をしていきたいと思います。

おわり


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