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フォン・シャオガン監督「芳華-Youth-」単なる青春群像劇では終わらない

2017年フォン・シャオガン(馮小剛)監督作品「芳華-Youth-」を観た。

中国人民解放軍を慰労し鼓舞する部隊「文芸工作団(文工団)」に所属する男女の青春群像劇・・・なのだが、そこはさすが中国!
文化大革命直後の1976年以降の激動の時代を舞台に、単なる美しく穏やかな青春群像劇では終わらない!


美女の軍服、ダンス、中国エロティシズムが炸裂!

ボクも最初は、自分の勝手な中国マイブームの中で、

「中国人民解放軍服を着た美女!それに文工団のダンスコスチューム!趣味的に最高の映画!」というきっかけで観始めた。

確かに、出演する文工団の女性は、無茶苦茶かわいい!
・・・というか、たぶん、ボク好みである!!

ストーリーは、文工団の年長シャオ・スイツの回想という形で語られる。
新しく文工団入ってきた、ホー・シャオピンが主人公なのだが、単純にシャオピンだけの物語ではないのがこの映画の秀逸なところ。

ストーリーテラーのスイツ、時代に翻弄されるシャオピン、それに、一目置かれる美女、リン・ディンディン、そして、スイツと同年代のアコーディオン奏者ハオ・シューウェン、4人の美女について、文工団、あるいは、その時代に翻弄される国家との関係性や、それに対する個人の思い、それに恋愛にまつわる繊細なエピソードと彼女たちの心情まで、過不足なく描き切っている。

前半では、男性側の主人公、優等兵であるリウ・フォン(ホアン・シュアンさん)と、トランペット奏者のイケメン、チェン・ツァンを巡る恋愛模様もさることながら、バレエ服への着替えシーンや、下着にまつわる女性たちのいざこざ、そして、シャオピンのシャワーシーン!!

さらに、監督から観客へのスペシャルプレゼント!?
特典シーンとしか思えない、水着姿の夏のプールシーン!
プールサイドでのエピソードの後には突然の夕立ちでみんなずぶ濡れに!
美女はずぶ濡れになってこそ!?

美しい!!
素晴らしい!!
うーん!中国のエロティシズムは、ホント奥深いんですよ!!

ディンディン(女優ヤン・ツァイユーさん)推し!

いやぁ、リン・ディンディンがホントかわいい!

ヤン・ツァイユーさんという女優さんらしいです。
石原さとみさんに雰囲気が似ているのですが、映画冒頭では、優秀な模範兵リウ・フォンとシャオピンの二人にまつわる恋愛エピソードに終始すると思いきや、リウ・フォンが愛を伝える相手は、なんとディンディン!

その後も文工団のNo.1歌姫として描かれます。

まぁ、その前の野外演習中のエピソードで、足フェチストなら大絶賛!!
ディンディンの裸足の足の裏のマメを治療するという、これまた中国のエロティシズムの奥深さを感じさせるシーンがあり、この映画(監督?)のディンディン(ヤン・ツァイユーさん)推し!が醸し出されているのですが。

マメがリアル過ぎる・・・

でもね、映画のラスト、現代(といっても1990年代の回想)でオーストラリアに渡ったディンディンのエピソードで、さんざん持ち上げたディンディンを急に落とすんですよw
まぁ、中国に残った若者を持ち上げたかったのか、サディズムなのか!?
でも、それもまたリアルで良かったけれども。

いかなる「規律」も、若者を縛ることはできない~中国人の逞しさよ!

ボクは、そんな中国美女への少しいかがわしさも含む憧れがきっかけでこの映画を観始めたので、正直なところストーリーには当初は期待していなかった。
しかし、見始めてみると、見事にボクの期待を超える、中国の歴史を美化するだけではない、素晴らしい描写の数々で中国のリアルを描く、秀逸な映画だった。

面白いのが、
①この時代の中国の若者が持つ自然な「道徳観」
②文化大革命によってより厳しくなった、軍としての「規律」
この2つは、必ずしもイコールではない。
それに反する「若者たちの好奇心、欲望」は、一見「規律」に縛られているようでありながら、裏では若者たちは、ボクが思っている以上に自由に振舞っている。
さらに、「若者の欲望」とはまた違う、「年長者(権威階級)の汚れた欲望」も、この映画の中でさらっと批判的に描かれている。

冒頭に描かれる「軍服事件」、シャオピンがディンディンの軍服を勝手に持ち出して、親のために写真館で記念写真を撮る。
スイツとシューウェンは、「規律違反だ!」と騒ぐ。

ボクはてっきり、文化大革命による洗脳ともいえる教育が徹底したため、彼女たちは規律に厳しく息苦しく生きたのだなぁ、と思ったのだが、映画中盤になると、チェン・ツァンが持ち込んだ、テレサ・テン「儂情萬縷(からみあう愛情)」(当時禁止されていた台湾音楽)を宿舎内で隠れて聞き、その歌声と詩に魅了される。

「時代の流れ」ともとれるが、ボクは「規律」は「規律」として、都合の良い時には「規律」を盾にするが、彼女たちは、全く規律に縛られる気はない(規律に縛られていない)のだと思う。
こういうところが、中国の人々の「逞しさ」というか、規律に従順すぎる日本人が一筋縄に中国人を理解できないところなのかもしれない。

さらに、模範兵であるリウ・フォンの純粋な恋心を、その上司たる権威階級は、卑猥な言葉で攻め立てる。

このエピソードが20年後のリウ・フォンの車の罰金に高額を要求する公安民警の横暴のシーンに繋がってくる。

その間に中越戦争での悲惨な体験を描きながら、模範兵として、国家に貢献した若者が、いつの時代も汚れた権威階級に虐められてしまう。
短いエピソードながら、国家権力に対する中国の大多数の心情を代弁しているのだと思う。
日本の一般的な中国象では、中国共産党一党独裁体制で、表現の自由が制限されているという印象があるが、端的なエピソードで中国のリアルに迫っており、中国の懐の深さなのか、映画を含め、中国の芸術表現の長い歴史が秀逸な作品を生むのか、中国人の心をとらえ、ヒットした映画の表現力の凄まじさはすごい!

緩急の後半、中越戦争の描写

凄まじい戦闘を描いた映画は多々あるが、ハリウッド超大作と比較しても劣らないくらい、この映画の中越戦争の描写は生々しく力が入っている。
予告編でもそれほど戦闘シーンは出てこないし、前半の穏やかな描写との緩急の付け方が、より凄まじく生々しく戦闘シーンの描写を印象深いものにしている。

静寂の戦場にひらひらと舞う蝶からの戦闘シーンへの導入は、上手い。

CGとはわかっていながらも、凄惨さと迫力あるシーンである。
そして、模範兵リウ・フォンもこの戦争で右腕を失ってしまう。

解放軍59式戦車が大活躍

1979年の中越戦争については、ボクはおぼろげながら知ってはいたが、短期間の中国ベトナム国境の小競り合いの紛争ぐらいに思っていた。
しかし、改めてWikipedia等の記述を読んで、長期にわたるベトナム戦争で、アメリカとの実戦経験豊富なベトナム軍に対し、数では勝るものの、文化大革命で内部から疲弊し、装備もそれほど近代化されていない中国軍は、全面的な総力戦に発展して、かなりの苦戦を強いられたことを知った。

現在でも、南沙諸島等での中国、ベトナム(フィリピンも含め)の領海問題が度々ニュースになっているが、1979年という、ボクも産まれた後、それほど古くはない時代に、中国が軍事行動に出たことに、改めて現代に繋がる歴史について、深く考えさせられた。

ヒーローでもヒロインでもない主役への温かい眼差し

主役であるシャオピンは、主役でありながら、映画の中で本人の意思を多く語らないところも、この映画の特徴であり、狙ったところなのかもしれない。
意思を強く主張して、周囲に認められて、目立って、ヒーロー、ヒロインになることができる人間なんて、ほんの一握りだけなのである。

文工団のダンサーとしての任務を解かれ、戦争の前線における救護任務となり、凄惨な実情をまざまざと目の当たりにする。
子供の頃から家庭にも恵まれず、ダンサーとしては素晴らしい才能を持ちながらも、文工団でも虐められ、ずっとずっと黙って耐えてきた。

戦争から戻ると、精神的に崩壊してしまう姿は、ボクも他人事とは思えず、思わず胸が痛んだ。
文工団の最後の華やかな公演を、質素な病院服姿で観客席から見上げるシャオピン。

音楽を聴いているうちに、立ち上がり、スポットライトも当たらない、誰も観ていない暗い広場で、一人踊るシャオピンの姿に、ボクの涙腺は崩壊した。

やがて、中国は激動の時代を経て、1990年代へ。

戦友の墓前にいるリウ・フォン、その傍らには、シャオピンの姿が。
リウ・フォンもまた、模範兵と言われながら、ディンディンへの恋が破綻してからは、自ら壮絶な前線に赴き、右手を失いながらも「英雄(ヒーロー)」になることは叶わず、平凡な一市民として、車で配達業に従事している。

壮絶な人生を歩みながら、ヒーロー、ヒロインになれなかった二人が、最後の最後にやっと結ばれる物語は、きっと多くの中国人の共感を呼んだことだろう。

いや、中国人でなくとも、時代に翻弄されながら、ヒーローにもヒロインにもなれなかった若者への、この映画の温かい眼差しはをひしひしと感じる。

先に書いた映画「在りし日の歌」もそうだったが、

国家、社会に翻弄されながらも、決して服従することなく、時代を美化することもない。
激動の歴史を冷静に見つめ、市井に生きる心情を具に描く、秀逸な中国映画作品に、脱帽である。

うーん、比較できるものではないが、昨今の日本の映画作品だと、超人的ヒーロー、ヒロインをエンターテインメントとして描くか、逆に「人間ドラマ」に重点を置くと、あまりにも個人的に内向的に描きすぎていて、美化され過ぎていたり、社会性や時代性と切り離されて描かれたり・・・。

もう少し、社会性、時代性に堂々と切り込みながら、人間ドラマも描き切るような作品を、日本でも作れないのかなぁ、と忸怩たる思いがするわけです。

長くなりましたが、先日のフォン・シャオガン監督「芳華-Youth-」
素晴らしい作品でした!


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