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第二巻~オオカミ少年と伝説の秘宝~ ③-3-2



翌日は快晴だった。
「海賊船かあ、一度乗ってみたかったんだよね〜」
 甲板で潮風を受けながら、ランはどこまでも広がる海を眺めていた。
 針路を南東に取った海賊船『女神の翼』号は、帆に風を受け、波を蹴立てて進んでいく。
 昨夜、ランは目を覚ましたあと、自分が置かれている事態をあっさり受け入れた。
 ――というか、オードと話し合って、一応、海賊と取引をしたのだ。
 ガレオスが昔から狙っている古代遺跡の鍵をオードで開けるかわりに、そのあとデリアンに送ってくれるように、と。
 アージュと離れた今、デリアンに行くことが彼女と再会する唯一の方法だと思われた。
彼女はあのまま客船に乗り続け、デリアンの都、イース・クースで降りるだろう。
 問題はいつまで自分たちの到着を待ってくれるか、だが。
(アージュのことだから、さっさと先に行っちゃうかもな~~……)
 アージュならやりかねない気がする。もともと彼女はひとり旅だったのだし。
 でも、アージュはランの大事な青いマントを持っている。それを持ったまま、先に行くとは考えにくい。ちょっとした盗みなら平気なアージュだが、妙に律儀な面もあるのだ。
 考えれば考えるほど、ランの頭はぐちゃぐちゃになっていく。
 なので、ランは考えるのをすっぱりとやめることにした。
 せっかくあこがれの海賊船に乗れたのだから、楽しまなきゃ損だと思ったのだ。
「ねえねえ、オレにも仕事ちょーだい」
 とジッドに言ったら、デッキブラシを渡された。
「じゃあ、甲板磨きでもやれや」
「はーい! んじゃ、ぴかぴかにしてみせるからね!」
 ランは鼻歌を歌いながら、バケツにブラシを突っ込み、甲板をごしごしと磨きはじめた。
 晴れた空の下、身体を動かすのは気分がいい。このところ上品な服を着て、ボロを出さないように気を張っていたためか、こういった単純作業が楽しく感じられた。
《ラン……はりきっているな》
「うん! せっかく磨くんだから、キレイにしないと。それにさ、この服、カッコよくない? 強そうに見えるよね?」
 ランは海賊からあまっている服をもらって着ていた。身ひとつで連れてこられたので当然、着替えなど持っていなかったし、例の上品な服はあまり好きではなかったからだ。
 だ――っと、だだっ広い甲板を磨いていくと、船首のほうで剣の稽古をしているふたり組に出くわした。見物している男たちも何人かいた。
 キン、カキンと刃がかち合うたびに金属音がする。
 ひとりは腕の太い、荒くれ者といった感じの男だった。あの夜、マーレといっしょにいて、ランを肩に担ぎ上げた男だ。
「あれ、本物の剣? カッコイイ!」
 わくわくとランが見ていると、やがて勝負がついた。
 荒くれが、まだ若い痩せぎすの青年の剣を弾き飛ばしたのだ。
 見物の男たちはやんやの喝采を浴びせ、荒くれ男は負けたほうの青年の肩を叩いて励ます。
「うおー、これぞ男の世界って感じ! カッコイイ!」
 すると、ランの声に気づいた男たちが振り返った。
「なんだ、小僧。今日から海賊になったのか?」
「いいとこのぼっちゃんだって聞いてたが、なかなか似合ってるじゃねーか」
「へっへっへー」
 ランは頭をかいた。
「あのさ、今度、オレにも剣を教えてくんない?」
「いいともさ」
「なんでえ、小僧、強くなりてえのか?」
「うん。だってさ、剣で戦うってカッコよくない?」
 ランが無邪気に言うと、荒くれがにかっと笑った。
「小僧、おまえ大物になるかもな」
「ホント?」
「ああ、それか、大馬鹿者かどちらかだな」
 どっと海賊たちが笑い、「ちぇっ」とランが頭をかいた。
(アージュがここにいたら、間違いなく「大馬鹿者に決まってるわ」と言うだろうな――)
 オードが苦笑した。
 たった一晩で、ランは海賊たちにすっかり馴染んでしまった。お気楽すぎるというか、それがランのいいところだというか。
「んじゃ、オレ、まだ仕事が残ってるから」
 海賊たちに手を振って、ランはくるりと向きを変えた。
ブラシでガ――ッと甲板をこすりながら、出発地点のバケツまで戻る。
 バケツまで戻ると、そこにマーレとひとりの青年が立っていた。二十代半ばと思われる眼鏡をかけたその青年は穏やかな顔立ちで、他の海賊たちとは雰囲気が違っていた。
「ラン、紹介するわ。彼はアルヒェ。考古学者なの」
 しかし、ランは首をひねった。
「こうこがくしゃ? ってなに?」
《昔の遺跡や伝承を調べる人のことだ。調べたことをのちの世に残すため、本に書き残すんだ》
 オードの説明に、アルヒェが目を細めて笑った。
「へえ……本当にしゃべる鍵なんだね。しゃべる鍵なんて聞いたことないよ。実に興味深い。元は人間なんだろう? 教養のある人だとお見受けするが……いかが?」
 オードはアルヒェが気に入ったらしく、素直に自己紹介した。
アルヒェは話に聞き入り、何度もうんうんとうなずいた。
 ふたりはそのうち、なんだか難しい話をはじめ、
「僕の部屋でゆっくり話をしないか」
 とアルヒェが提案した。
 が、ランにとってはつまらなさそうな話なので、「えー」と渋っていると。
《悪いが、ラン。私をアルヒェに預けてくれないか》
「えーっ、でもっ」
 さすがのランもオードと離れるのは不安だった。
《同じ船の中にいるのだ。遠いところに行くわけではない》
「……わかったよ。オードがそういうなら」
 ランはオードを外し、アルヒェの手に託した。
「オードはおカタイからさ、頭に来ること言われても海に捨てたりしないでよ。絶対だよ」
「あははっ、そんなことしないよ。安心して。じゃ、また夕食のときにでも」
 アルヒェは笑いながら、船の中に入っていった。
「ラン……あの」
 マーレの声にランはハッとした。
ランは自分を騙したマーレのことをまだ許してなかった。
 というか、騙されたことを思い出すと、自分自身の馬鹿さ加減に腹が立つのだ。頬にキスされたくらいで舞い上がったこととか――。
 ランは返事をせず、仕事を続けるため、バケツにブラシを突っ込んだ。
「待って、ラン!」
 ブラシをかけながら走り出そうとしていたランの前に、マーレが立ちふさがった。
「オレ、仕事中なんだ。そこどいてよ」
 しかし、マーレはどかなかった。
「ずっとあやまろうと思ってたの」
「本当は悪いなんて、思ってないんだろ?」
 ランは吐き捨てるように言って、マーレを避けて走り出した。
 
 アルヒェの船室はベッドをひとつ置いて精一杯という感じに狭く、質素なものだった。本がたくさんあるかと思ったが、そうでもない。
《学者なのに……本が少ないな》
 オードが正直に見たままを言うと、アルヒェは苦笑した。
「三年前、嵐にあって調査団の船が難破して、この海賊船に拾われたんだ。本なら船長室にたくさんある。それにいつこの船から放り出されてもいいように、知識は紙に書くのではなく、頭にたたき込むようにしているんだ」
 アルヒェは壁の帽子かけにオードをかけ、目線を合わせるようにしてくれた。
《なるほど――しかし、なぜ自分から降りない?》
「持ちつ持たれつ、だよ。彼らは海賊だが、冒険家でもある。遺跡をめぐって宝物を手に入れるのが彼らの目的で、そして、僕の目的は遺跡の調査。彼らは金銀財宝には興味があるけど、古代文字の書かれた石板や土で出来た壺や人形には見向きもしないんだよ」
 アルヒェの提案で、この三年間で五つの遺跡をめぐったという。キャプテン・ガレオスも彼の知識をあてにしているらしい。
《ならば、客船など襲わなくてもいいものを――》
「彼らは海賊だからね。古代のものばかりじゃなくて、現代のお宝もほしいんだよ。それに食料や酒も調達しないと」
《どこかの港で買い込めばいいではないか》
「それじゃあ、海賊やってる意味がない。スリルを楽しむのも彼らの仕事のうちだから」
 アルヒェは笑った。
「人を殺したり、船に火をつけたりしないだけ、ガレオスはマシだよ。それにしても、オード、君は本当におカタイね。ガレオスや他の海賊と話をするとき、海に捨てられないように気をつけないといけないよ」
《……――なるべく気をつける》
 殊勝に頭を下げて(?)から、オードは話題を変えた。
《ところで、ガレオスが昔から狙っているという古代遺跡はどこにあるのだ?》
「ゼーガント諸島だ」
 そう答えて、アルヒェは話をはじめた。


 グランザックの南東の海域に位置するゼーガント諸島は、太古の昔ひとつの大きな大陸だった。火山の噴火により、多くの土地が海中に没し、標高の高い土地だけが島として残ったのである。
 そして、諸島のひとつ、いちばん小さな島――といっても、海岸線はほとんど崖で誰も上陸できないような島なのだが――の川が滝となって海に注ぎ込む、その滝の裏に遺跡が隠されているというのだ。
《なんでそんなところに?》
「さあ? 僕には自然の奇跡としか言えないね。たまたまその遺跡が切り取られたように残っただけだとは思うけど……」
《もしかして、そこには扉があるのか?》
「そう。とても頑丈な扉がね。なにか特別な魔法か呪いでもかけられているらしくて、壊そうとしても壊せないんだ。横から穴を掘って行こうにも岩盤が固くて、とてもとても……」
 アルヒェはお手上げなんだと肩をすくめた。
《しかし、魔法とか呪いがかかった扉を私が開けられるかどうか……》
「おや、君はなんでも開けられる鍵じゃないのかい?」
《……――》
 オードは口をつぐんだ。
今まではなんでも開けられる自信があった。事実そうだったし、鍵になってからはそのことが誇りでもあった。
「とにかく、行ってみないとね。君ですら開けられなかったら、その時は僕もあきらめるよ」
 

 一方、甲板掃除を終えたランは、メインマストの見張り台を指さしていた。
「ねえねえ、あそこに行ってみてもいい?」
「見張り台か? おめえ、あんな高いところ登れるのか?」
 ジッドがからかうような目を向ける。
「登れるよ。まあ、見てなって」
 ランは言って、するすると登りはじめた。
もとより木登りは得意なのだ。途中、帆桁で逆立ちをやってみせると、いつのまにか下に集まっていた海賊たちがやんやの喝采を送ってきた。
「小僧、すげえなあ」
「マスト登り競争をさせたら、いちばん早いんじゃねーの?」
 ランは得意になって、片手で逆立ちしてみせた。
 それから、見張り台まで登り、そこにいた小柄な若者と交替した。
「海ばっかだなあ、デリアンってどっちの方向なんだろ」
 太陽の位置からすると、北西の方角か。
 水平線の彼方に陸地は見えず、空の青と海の青がどこまでも広がる青の世界。
 見渡す限り、海、海、海だ。
「世界って広いんだな……」
 クルリ村にいたら、一生、こんなふうに海を眺めて潮風を感じることなどなかったかもしれない。山と川と森だけの世界で、そのことをほとんど疑問に思わず、当たり前のように歳を取っていったのかも……。
 そう考えると呪われた血を持つ者になったことは、悪くなかったんじゃないかと思う。
 アージュやオードに会えたし。それに海賊船に乗るなんて、貴重な体験もできたし。
「ラン」
 その声にランは肩越しに振り返った。
「マーレ!?」
 驚いたことに、マーレが見張り台に登ってきたのだ。
「わたしだって、海賊よ。このぐらいの高さ、どうってことないわ」
「そ、そうなんだ。すごいね」
 ランはぎこちなく笑って、海の向こうに視線を戻した。
「ラン――あのね」
 マーレが思い切ったように口を開く。あやまりに来たのはわかっていたが、ランは彼女の顔を見るのをためらった。「簡単に騙された馬鹿なオレ」を思い出すと、胸の奥がむずがゆくなるのだ。
「騙してごめんなさい。それから、ランをさらっちゃったことも、ごめんなさい。本当はあの鍵……オードを手に入れようと思ってただけなの」
 夜の十時に船首で待ち合わせしたのは、オードを奪うためだったのだ。
「でも、遅れてきたランが……わたしが海賊にさらわれたって勘違いして、助けに来てくれたのがすっごくうれしかったの。だから、ランもいっしょにって、とっさに思っちゃって」
 マーレの声がだんだん涙声になっていくのがわかり、ランは振り返った。
「わたしといっしょにいた仲間――ゲネルっていうんだけど、ゲネルにラン、足蹴りを喰らわせようとしたでしょ? 海賊に立ち向かうなんて普通なら命を捨てるようなものよ。なのに、そんなこと構わずにわたしを助けようとしてくれて――すっごくうれしかったの」
 マーレはぽろぽろと涙をこぼした。
 ランはそっとマーレの頭を撫でた。やわらかな黒髪だった。
「もういいよ。わかった。だから、泣くなよ」
 マーレは顔を上げた。
「う、うん……」
「アージュとは離ればなれになっちゃったけど、オレ、海賊船に乗れてちょっとうれしかったりするんだよね」
 自分でも馬鹿なことをしゃべってるなあ、と思いつつ、ランは続けた。
「読書室にあった海賊の本みたいにさ、財宝の隠された洞窟とか行ってお宝がっぽりいただいてくるとか、やってみたいな――なんてさ」
「できるわよ。だって、これからわたしたち、誰も足を踏み入れたことのない古代遺跡に行くんだから」
 ランとマーレは微笑みあった。
 潮風がやさしく、ふたりの頬を撫でていく。
「あ、オレもあやまっとくよ。デリアンの農場主の息子なんて噓。本当はクルリ村っていう山奥の村の出身なんだ。田舎モンだよ」
「ランがおぼっちゃまじゃないってことは、もうとっくにわかってたわ」
「え、なんで?」
「だって、食事のとき、全部アージュの真似して食べてたでしょ? この人、作法を知らないんだってすぐわかった」
「ええ――っ、そうだったの?」
 ランは真っ赤になった。やっぱり付け焼き刃はうまくいかない。
「でも、アージュはすごくお嬢様っぽかったわ」
「え、そうなの? アージュってさ、本当は乱暴なんだよね。すぐにオレの頭をぽかぽかぽかぽか叩くしさ、この前なんか回し蹴りで背中蹴られたりとかしたんだよ? ひどくない?」
 それを聞き、マーレは声を上げて笑った。
「姉弟みたいに仲がいいのね。わたし、ひとりっ子だから、なんだかうらやましい」
 
(仲がよかったのか? オレとアージュって)
 
 ケンカばかりしていたような気がするが――でも、アージュを姉のように慕っているのも噓じゃない。
本当は大好きなんだ――なんて、本人を前にしたら口が裂けても言えないけど。
「そういえばさ、もうひとつ訊いてもいい? マーレはなんでエルクラーネの刺繍の入った服を着ていたの?」
 クルリ村の民は小麦色の肌に黒い瞳に黒髪だ。だからランはマーレに会ったとき、エルクラーネの人間だと疑いもしなかった。
「わたしの血筋はもともとエルクラーネなのよ。でも、ランは金髪なのね」
「あ、うん……母さんはクルリ村の人だけど、実はオレの父親ってのがルートリアっていう西の方の国の出身でさ。会ったこともない父親だけど」
 ランは今、口から出た言葉に自分で驚いていた。このことはアージュやオードにすら話をしたことがなかったからだ。
「……そっか、お父さんの血が濃く出たのね。もしかして、ランの本当の目的地って、ルートリアなの?」
 本当の目的地は違う。けれど、呪われた血を持つ者だとマーレに明かしてない以上、言う必要はない。
「ん――……まあ、行けたら行きたいなあ、ぐらいは思ってるけど」
「お父さんに会いに?」
「ん――どうだろ……オレ、自分で自分の気持ちがわかんないんだ。小さい頃は一度でいいから会いたいなーって思ってたけど、今は……なんかどうでもいい感じ。そういえば、マーレのお母さんはこの船に乗ってないの?」
「母さんをはじめ海賊の女たちはみんな、〝砦〟にいるの。どこにあるかは言えない。隠れ家みたいなものって言えばわかるよね?」
 ランはうなずいた。隠れ家なんて、ますます物語っぽくて、聞いてるだけでわくわくする。
「じゃあ、なんでマーレは船に乗ってるの?」
 
「わたし? わたしはね、女海賊目指してるの」
 
「女海賊?」
「そう。だって、海賊って男ばっかじゃない? で、女のキャプテンってカッコイイかな――なんて。世界で最初の女海賊になるのが夢なの」
 マーレの瞳はきらきら輝いていた。
「すごいな、マーレって。オレとひとつしか歳が違わないのに、もうそんな将来の夢とか考えてるんだ」
 つぶやいて、ランはまたまた過去を振り返った。あのままクルリ村にいたら、ただ畑を耕して収穫して、川に行って魚を釣って――の毎日の繰り返しだったと思う。将来、あれになりたいとかこういうことしたいとか、そんなことは雨のしずくほども思わなかったに違いない。
(オレ、ちゃんとした人間に戻ったら、なにをしたいか考えてみようかな)
 いつのまにか、太陽が水平線の近くまで落ちていた。
 夕食の仕度がはじまったらしい。下の方から、肉を焼くいい匂いがしてくる。
「おなかすいた……」
 無意識につぶやいたとたん、ランのおなかがぐーっと鳴った。
「あ……」
 恥ずかしさに、かーっと顔が真っ赤になる。
 すると、ランの左頬にそっとマーレが口づけた。
「え?」
 真っ赤になった顔が、これ以上はないというくらい真っ赤になる。
 


「仲直りのキス。ランもちょうだい」
 
 ここに、とマーレが人さし指で額を示した。
「え……えーと……」
 マーレが目をつぶる。女の子にキス……なんて一度もしたことないランは内心、
(ど、どどどどどーしよー)
 と焦りまくったが、最後には覚悟を決め、マーレの肩に手をおいて。
 そっと、額に唇を寄せたのだった。
 

(第三話-3-3へ続く…)         


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