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第二巻~オオカミ少年と伝説の秘宝~ ③-1

第三話「青い月と大海原をゆく海賊と伝説の秘宝」
 
 
    
 
 まぶしいほどの太陽の光と青い空の下、グランザックの最西端に位置する港――グレスタの街は活気に満ちあふれていた。
 商売に来た人、出迎える人、これから旅立つ人、見送る人……肌の色も髪の色もさまざまな人々が行き交い、船から運び出された荷が荷車に乗せられ、町中へと走り去っていく。
 そして、波止場の向こうに広がるのは――果ての見えぬ青い青い大海原だ。
「オレ、海って初めて見た! ホント、水ばっか広がってんだね〜」
 山育ちのランは港町に入ってから大はしゃぎだ。
「気持ちはわかるけど、田舎モンだってこと丸出しにしないでよ。恥ずかしいから」
《まあまあ、いいではないか》
 アージュが口を尖らせ、いちばん年上のオードが周囲の人に聞こえないような小さな声で、にこやかに言う。
 魔の月である赤蘭月が明け、青蘭月に入って三日。
 四日前にスンミ村を出たランたちはコイド村からの山越えをやめ、船に乗って海上ルートで隣国のデリアンを目指すことにしたのだ。
 誰も魔物に変身する心配のない青蘭月に一気に距離を稼ぐためである。カナヅチのアージュは川下りの小舟で少し度胸がついたのか、客船に乗ることを提案したのだ。
 夏の日差しの下、港に停泊している大きな客船を、ランはわくわくと見上げる。
「おっきな船だね〜。初めて見たよ、こんなの」
 昔、じっちゃんが読んでくれた絵物語に海を旅するカモメの話があった。その挿絵を思い出す。
 旅のカモメ、カーくんは一隻の大型客船のマストで時折羽を休めて、世界中を旅するのだ。
「まあ、このくらい大きな船なら大丈夫よね。沈没したりしないわよね」
 アージュが船を見上げ、満足そうに笑った。
 客船『青い波の花』号は、グオール湖の古城のように高く大きな船だった。
《この船に乗るために、上等な服を買ったのだな》
「えっ、そうだったの?」
 ランは自分の服装を見下ろした。絹のブラウスにベスト、パンツに革靴。今まで着たこともない高価な装いだった。
アージュも上品な薄桃色のワンピースにリボンのついた靴を履き、つばのついた帽子を被っている。どちらの服にも二つ剣が交わる様を模した刺繍が入っている。デリアンの刺繍だ。


「あたしたちは、グランザックからデリアンに帰る良家のおぼっちゃまとお嬢様って設定よ。おつきのばあやは、具合が悪くて仕方なくグレスタの町に残していくことになったの。だから、田舎もの丸出しの発言はなるべく控えるように」
「う、うん」
 ランは素直にうなずいた。アージュの作った「設定」はこれで何個目かわからないが、言うとおりにした方が無難だ。
 それからランたちはタラップを上がり、船に乗り込んだ。
 甲板に出ると、港は見送りの人たちであふれかえっていた。しかし、ランたちを見送る人など誰もいない。
 カンカンカン……と出発の鐘が鳴る。
《いよいよ、グランザックを離れるのだな……》
 感慨深げにオードがぽつりともらす。ついに彼の故郷を離れるときが来たのだ。
 船はゆっくりと港を離れ――大海原へと進んだのだった。
 
「あたしたちの部屋はここよ」
 アージュがドアを開けるなり、オードが驚きの声をあげた。
《服装からしてもしやとは思っていたが……ここは一等船室ではないか》
 大人がふたり余裕で寝られそうな大きなベッドがふたつに、赤いビロード張りのソファとテーブル、衣装ダンスにチェスト。タンスとチェストの取っ手は金でできている。
 お金をたくさん持っているとはいえ、アージュがこんな贅沢をするとは思わなかったので、ふたりはびっくりした。
「すっげ――っ、広い部屋!」
《まさか、調度品を盗むために一等船室を取ったわけではないだろうな?》
「失礼ね!」
 アージュがランの頭をぽかっとはたく。
「でっ!? なんで、オレが……」
「三等はごろ寝、二等は四人部屋で知らない人といっしょでしょ? それだとオードがまったくしゃべれなくなるじゃない。つらいでしょ、それじゃ」
 アージュのやさしい一面を知って、オードの胸がじんと熱くなった。
《ありがとう、アージュ……妙な勘違いをして、すまない》
「……それって、アージュの日頃の行いが悪いからじゃん」
 ランが余計なひと言をもらし、今度は背中にアージュの回し蹴りをお見舞いされた。
「うるさいっ!」
 そのままベッドに倒れ込んだランは、蹴られた痛みも忘れ、しあわせそうに笑った。
「あは、ふかふかで気持ちいいや〜」
 


 港が見えなくなると、窓から見える景色は空と海ばかりになった。
 デリアン最大の港であり、都でもあるイース・クースには五日で着くという。陸路を歩いていけばひと月半かかるというのだから、とんでもなく短縮できたことになる。
「だったら、最初から船に乗ったほうが早かったんじゃ……」
 初めての海とはいえ、同じ景色ばかりでそろそろ飽きてきたランは窓辺から離れた。
《いや、魔の月に船は出ないから。港に出ても海沿いの道を行くしかなかったはずだ》
 オードによると、魔の月は海の魔物が船を襲うと言う。陸路より危険なので、数日に渡る船旅は無理なのだ。
「海の魔物って、どんなんだろ〜」
《何本もの足で船を絡め取って沈める巨大なタコ、大きな口に鋭い牙を持つサメ、船を丸ごと飲み込むクジラ……》
「オード、見たことあんの?」
《あるわけがない。すべて絵物語か紙芝居で得た知識だ。本当かどうかも知らぬ》
「おもしろそう! 読んでみたいな〜」
《ならば読書室に行ってはどうか? 子ども向けの絵物語の本なども置いてあると思う》
 アージュはと見れば、彼女はソファでうたた寝をしていた。
《疲れが出たのだな、そっとしておこう》
「うん」
 ランはうなずき、音を立てないようにそっと部屋から出た。
 
 部屋を出たランは途中で会った船員に案内され、読書室に行った。天気のいい日に陽の射さない部屋に来る物好きはあまりいないらしく、ランの他に利用客はなかった。
 壁際の大きな本棚の下のほうに、子ども向けの本がたくさん置いてある。
ランは片っ端から引っ張り出して、それらをめくってみると、大きなタコが吸盤のいっぱいついた足で漁船を絡め取っている本があった。
《幼いころに読んだ『海の悪魔・巨大ダコの襲撃』だ。なつかしいな》
 ストーリーは白蘭月に漁に出た漁船が、まだまだ魚を捕るぞ〜と欲張っている間に暦が変わって黒蘭月になり、巨大ダコの魔物に襲われて沈没してしまう……という話だった。
つまりは「魔の月に海に出てはいけません」という、教訓を含んだ物語だ。
 サメの話も似たようなものだった。他にも巨大クラゲとか巨大イカとか。
 クジラの話はおもしろく、クジラにいかだごと飲まれた少年がその腹の中で暮らしていく話だった。クジラが飲み込んだ海藻や魚を捕って命をつないだのだ。そして、ある日、いかだごと口から飛び出して脱出に成功するのである。
 海賊の本もあった。
 タイトルは『キャプテン・ダンと秘密の洞窟』だ。
「おっ、海賊だ! かっこいい!」
 ランは瞳をきらきらと輝かせた。
洞窟の奥に隠された宝箱からあふれ出る金貨や宝石の山を前に、パイプをくわえた髭面の海賊が立っている。
《海賊を知っているのか?》
「うん、何年か前にクルリ村に旅の一座が来てさ。芝居を見たことがあるんだ」
 ランは言いながら、ふと思い出した。
 あのとき、旅の一座が来たと知って、もしかしたらその中に自分の父親がいるのかも……と期待した記憶がある。
実際には、その一座の中にはひとりも金髪で青い瞳の男はいなかった。それからだ。「父親なんかどーでもいいや」と思うようになったのは。
《ラン? どうかしたのか?》
「……ううん、なんでもない」
 と――そこへ、誰か入ってきた。
 黒い髪に大きな黒い瞳の少女だった。
いかにも上流階級といった感じの青いワンピースに身を包んでいる。刺繍は鳥の羽を模したような模様だった。ランの故郷、クルリ村のあるエルクラーネ国の刺繍だ。


 ランが思わず刺繍を見つめていると――ふと、少女と目が合った。
「こんにちは」
少女がかわいらしい笑顔で、ランにあいさつした。
「あ、こ、こんにちは」
 ランは頬を赤く染めつつ、思い切って訊いてみた。
「あの、君はエルクラーネの人なの?」
「わたし? そうよ、エルクラーネの都、エルダンに住んでいるの」
「へえ……そうなんだ」
ランの顔がさらに真っ赤になった。
ランは自分の出身国の都の名前を、今、初めて知ったのだ。そのことが自分でたまらなく恥ずかしくなった。
「あなたは? デリアンの人よね? これからお国に帰るところなの?」
「そ、そうなんだ。ははははは」
 ランは意味もなく笑った。
デリアン国のことはまったく知らない。心臓がドキドキする。これ以上なにか突っ込まれたら、ボロが出るのは確実だ。
「ねえ、あなたも一等船室なんでしょ? わたし、マーレ。仲良くしてね」
「う、うん。あ、オレはラン。本当はランバートって名前だけど、ランでいいよ」
「ランはやっぱりご両親といっしょなの?」
「い、いや、従姉と……」
 ランはつっかえつっかえ、アージュの「設定」を話した。
 すると、マーレは疑うこともなく、「まあ大変ね」と眉根を寄せた。
「グレスタに残してきたばあやさんのことが心配でしょう?」
「う、うん……」
「ところで、ランのお家はなにをやっているの?」
「え、えっと……農場をいくつか持ってて……」
 あるのはじっちゃんの小さな芋畑とトウキビ畑だ。
「まあ、農場を? 素敵ね」
「あ、オレ、まだ子どもだから詳しいことよくわかんないんだ、はははは」
 ランは冷や汗だらだらだった。噓をつくのは大変だ。
 そうとは知らないマーレは無邪気にいろいろと話をした。
 歳はランよりひとつ下の十歳。宝石を扱っている商家の娘で、これから執事とともにデリアンにいる祖母の家に遊びに行くこと――等々。
「あら? ランは海賊が好きなの?」
 テーブルの上に開きっぱなしの本を見て、マーレが言った。
「うん。カッコイイよね。伝説の秘宝を求めて海から海へ――なんてさ、男としてやっぱ、あこがれちゃうっていうか」
「まあ、そうなの? ランっておぼっちゃまらしくないのね」
「あ――いや、その」
 おぼっちゃま、と言われ、なんだか背中がむずがゆくなってきたランである。マーレはかわいらしいが、そろそろ限界だ。
 しかし、なぜかランを気に入ったらしいマーレが、
「ねえ、ラン。よかったら、わたしの部屋に遊びにこない? お茶とお菓子をごちそうするわ」
 こう提案し、ランは背中のかゆみなどあっさり忘れ、うなずいたのだった。
 
(お菓子に釣られた――って、あとでアージュに絶対にバカにされるだろうな)
 マーレのあとについていきながら、ランは思った。首に下げたオードはおとなしくしているが、内心ではあきれているかもしれない。
 ランは生まれてこの方、お菓子というものにあまり縁がなかった。
クルリ村はそんなに裕福ではなかったし、祭りのときぐらいしか食べる機会がなかったのだ。旅に出てからは、倹約家のアージュのおかげで極力切りつめてきたため、一度も口にしてなかった。
 マーレは自分と違って、良家の娘なのだ。きっと見たこともない素晴らしくおいしいお菓子が出てくるに違いない。ランが期待に胸をふくらませるのは無理のないことだった。
 マーレの部屋はランたちの部屋の斜向かいにあった。それを知るとマーレは、
「なあんだ、近かったのね」
 とうれしそうに笑って、ドアノブに手をかけた――が。
「あ、あら?」
 がちゃがちゃ、と回しても扉は開かなかった。
それからマーレは、持っていた小さなバッグを開けて鍵を探しはじめたのだが。
「いやだわ、鍵をなくしたみたい……執事は出かけたみたいだし……どうしよう」
 半分泣きそうな顔でマーレがバッグの中を探り、あたりを見回した。が、執事が帰ってくる気配はない。
「あの……ごめんなさい、ラン」
 困った顔で見上げられ、ランはいたたまれなくなってオードを手にした。
「オレが開けてあげる」
「――え?」
 マーレがなにか言う前にランは首からオードを外し、鍵穴に差し込んだ。
彼の許可もなく開けてしまうのはよくないと思ったが、オードが人前でしゃべることができない以上、仕方ない。
 果たして――かちゃ、と小さな音を立てて、鍵が開いた。
 ドアノブを回すと、扉はちゃんと通路側に開いた。
 黒く大きな瞳を見開いて驚いているマーレに、
「これはなんでも開けられる魔法の鍵なんだ。ないしょだよ」
 とランは悪戯っぽく笑って、オードを首にかけ直した。
「魔法の鍵……?」
 ランの胸元で揺れるオードを、マーレがじっと見つめる。
「そ。どんな箱でも扉でも開けられる魔法の鍵なんだ」
「ねえ、その鍵、どこで手に入れたの?」
「え? 森で落ちてたのを拾っただけだよ」
「ふーん……マーレもほしいなあ」
 マーレは興味深げに再びオードを見つめてから、ランににっこりと笑いかけた。
「さ、入って。お礼にお茶とお菓子をごちそうするわ」
 

(第三話・2へ続く…)

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