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第二巻~オオカミ少年と伝説の秘宝~ ③-2


     
 
 水平線の向こうに、海に溶けていくように太陽が沈んでいく。
 甲板で潮風に吹かれながら、ランはうっとりとその景色を眺めていた。口の中には、まだほのかにクリームの甘い味が残っている。
 マーレがごちそうしてくれたミルクたっぷりのお茶とクリームたっぷりのケーキは、ランにとって絵物語の中でしか知らなかった夢のような飲み物と食べ物だった。
「世の中には、あんなにおいしいものがあるんだね~~、オレ、今日ほど生きててよかったと思った日はないよ」
《ランは大げさだな》
 ランのまわりに誰もいないため、オードが久しぶりに口を開いた。
「だってさ~~、オレ、あんなにおいしいもん、初めて食べたんだよ。あ、オードはさ、やっぱり貴族だからあーゆーもん毎日食べてたワケ?」
 ずるーい、とでも言いたげな口調でランが言う。
《いや、私の家は貴族といっても没落寸前で――それに甘い菓子はあまり好きじゃないし》
「そうなの? それって人生半分損してない?」
《菓子を食べるか食べないかで、そう決めつけるのはどうかと思うが……》
 生真面目なオードがぶつぶつと反論する。
「あ、そうだ! オード、さっきはごめん。勝手に使っちゃって。しかも、魔法の鍵とか言っちゃったし……」
《いや、別にいい。マーレ嬢はまだ子どもだし》
「ここにいたのね!」
 いきなりアージュの声が聞こえ、ランはひっと肩を強ばらせた。
「あ、アージュ? 寝てたんじゃないの?」
「起きたら、あんたたちがいないから探しに来たのよ。もうすぐ夕食よ」
 だから、甲板に人けがなかったのだ。アージュが着いてこいとばかりに、うながす。
「夕食って……なに食べるの?」
 干し芋とか保存食とかだったらやだな――とランは思っていた。夢のようなお茶とお菓子を食べたあとなのだ。そんなの哀しすぎる。
 すると、アージュは聞いて驚けとばかりに、腰に手をあて、偉そうに言った。
「あんたが今まで食べたこともないような、ごちそうよ」
 


「ごちそうってホントだったんだ……」
 目の前に出された色鮮やかな魚介と野菜のサラダを見て、ランは信じられないというようにつぶやいた。
「アージュ、いったいどうしたの? アージュが食事にお金を使うなんて初めてだよぉ」
 うれしくて半分泣きそうになっているランを見て、アージュが「バカ」と笑った。
「一等船室の料金に食事も含まれてるのよ。それにここは一等専用の食堂よ。粗相のないように作法に気をつけて食べるのよ」
「さ、作法って……」
 そんなもの、とんと縁のなかったランである。
そのことを思い出し、アージュは仕方ないわね、と言ってから小声で付け足した。
「いい? あたしがやるように食べるのよ。まずフォークとナイフを持って……」
 ランはアージュの真似をして、左手にフォークを、右手にナイフを持った。それから、サラダに載ったエビの身にフォークを刺し、ナイフで切り分け、半分にしたエビを口に運んだ。
「うわ、川エビより甘いよ、これ」
「しっ。黙って食べなさい」
 そのあと、やわらかくてふわふわの焼きたてパンや、かぼちゃの冷製スープや鶏肉の香草ソースがけやら、甘く煮たにんじんが付け合わせについた牛肉のソテーやら、ランが今までに見たこともない料理が並んだ。
 アージュは本物の上流階級のお嬢様もびっくりの上品さで、優雅な所作で食事を続けた。
ランはぎこちないながらも、それを真似、ナプキンで口を拭くタイミングさえ合わせて食べた。
いちいちフォークやナイフを取りかえて食べるのが不思議でたまらなかったけど、ランは質問したい気持ちを抑えて、最後のにんじんを口に運んだ。
「お、おいしい……おいしすぎる。生きててよかったぁ」
 ただのにんじんがこんなに甘くてやわらかいなんて、今まで知らなかった。
涙を流して感動しかねないランの足を、テーブルの下でアージュが軽く蹴っ飛ばす。
「泣かないでよ、みっともない。まだデザートがあるんだからね」
「デザート?」
 贅沢をした上に、このあとがまだあるなんて。ランは感激でめまいを起こしそうだった。
 運ばれてきたのは、薫りの豊かなコーヒーと緑色のあざやかな果物が載ったケーキだった。
「これ、なに?」
 わくわくと目を輝かせるランに、
「メロンのタルトよ」
 と答えたのは、アージュではなかった。いつのまにそばに来たのか、マーレがランのすぐ横に立っていた。
マーレを知らないアージュが怪訝な顔をする。
「ランの従姉のおねえさんですよね? わたし、マーレといいます。食後のお茶をごいっしょしてもよろしいでしょうか?」
 そう言ってマーレはランの斜め後ろの席を振り返った。テーブルには口ひげをたくわえた、中年の紳士が座っていた。あれがマーレの家の執事なのだろう。
「アージュ、さっき読書室で知り合ったマーレだよ。オレ、マーレの部屋でさっきお茶とお菓子をごちそうになったんだ」
 なによそれ、と言いたげにアージュの目が吊り上がる。
が、それも一瞬のことで、アージュは優雅な微笑みを浮かべた。
「まあ、そうだったんですの。それはそれは。うちのランバートが失礼しましたわね。わたくしは従姉のリルアージュと申します。あ、わたくしのことはアージュで結構ですわ」

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 そのあと、マーレのテーブルで食後のデザートをいただくことになった。
(メロンって、うますぎ――っ!)
 ランは声に出さずに心のなかで激しく感動して、タルトを食べた。
果汁たっぷりのメロンとカスタードクリームの甘さが口の中で消えていくのがもったいなくて、ゆっくり食べる。
 マーレは家の商売の話をし、こちらのことも聞いてきた。
「デリアンにたくさんの農場をお持ちだとか。いろいろとお話をうかがいたいわ」
「うちは小麦が主でしてね。それから、牛や馬の牧場もいくつか持っておりますの。よろしかったら、今度、馬に乗りにいらして下さいな」
(アージュって、やっぱすごい……)
 農場の話はさきほどランがついた噓なのに、見事に話を合わせているし。
 ――と、マーレの執事がこちらを見ていることにランは気づいた。
 目が合うと、執事はにっこり笑った。
「失礼しました。おぼっちゃまがかけていらっしゃる四つ葉のクローバーを模した鍵のペンダントが珍しくて、つい……」
 すると、マーレが無邪気に言った。
「その鍵は魔法の鍵なのよ。さっき、部屋鍵をなくして困っていたら、それでランが開けてくれたの」
「あ……そ、それは」
 困った顔をした瞬間、ランはアージュに足を踏まれた。勝手なことをしたと怒っているのだ。
 しかし、アージュはそんなことはおくびにも出さず、にこやかに笑った。
「まあ、ランったら。そんな冗談を言って。マーレさん、この子はね、手品が得意なんですよ。驚かせてしまってごめんなさいね」
「手品? あら、そうだったの、ラン」
「あ――いや、まあ、その……ははは」
 ランは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
 

「あー、疲れた。上品ぶるって肩が凝ってしょーがないわ、ったく」
 部屋に帰るなり、アージュはランの頭をぽかりとやった。
「あんたまさか、オードの正体をしゃべったりしてないでしょうね」
「してない、してない!」
《短い船旅の間だけの友だちだ。大目に見てあげてくれたまえ》
 オードが取りなしたが、アージュの怒りはそう簡単にはおさまらなかった。
「でも、あの子の目の前でオードを使ってみせたんでしょ? オードの正体がバレたらどーすんのよ? 相手は頭の固い上流階級の人間なのよ」
「……ごめん」
 ランはうつむいた。
もし、オードが呪われた血を持つ者だとわかった場合、船はパニックになるだろう。
そうなった場合、オードは海に捨てられかねない。海の底に沈んだら……オードは二度と陸には上がれなくなる。
「マーレの家は宝石を扱っているって言ってたから、興味を持ったのかも知れないけど……オードに宝石はついてないし……あの執事の視線、ちょっとあやしかったわ。気をつけないと」
「う、うん。これからは気をつけるよ」
 ランはうなずいた。
「じゃあ、寝間着に着替えるから、あっち向いて」
 アージュに言われ、ランはくるりと背を向けた。ついでだから、自分も着替えてしまう。
 ベッドに潜り込むとき、窓の外に淡く光る青い月が見えた。
 口の中に残っていたデザートの甘さは、いつのまにか消えてなくなっていた。
 
            


 
 マーレが手配したのか、翌日の朝食も昼食もランとアージュは彼女と同じテーブルで摂った。
 アージュは表面上にこやかだったが、内心は相当いらついているのがランにはわかった。
 なので、食事が終わっても、ランはアージュといっしょに部屋には戻らなかった。マーレがランにべったりだったということもあるが、ふたりで遊ぶのが楽しかったからだ。
 甲板をかけっこしたり、読書室で本を読んだり、遊技場でカードゲームをしたり、船の中を探検して回ったり。
 そして、三時になると、またまたお茶とお菓子をマーレの部屋で饗された。
 今日のおやつは桃の蜜漬けだった。これもまた初めての食べものだったので、ランは涙が出るほど感激した。
「おいしすぎる――っ」
「フフ、よかったら、まだあるからたくさん食べてね」
「ねえねえ、マーレって毎日、こんなにおいしいものばっかり食べてんの?」
「まさか。客船に乗ったときだけよ」
「そうなんだ。こういう船ってよく乗るの?」
「うん、魔の月以外はよく船旅をするわ」
「へー……」
 さすがお嬢様は違うな、とランは思った。
(オレ、もしかしたら、もう二度とこんな豪華な船に乗ることはないかも……)
 アージュがこの先、またこのような贅沢をするとは思えなかったし、そもそも人間に戻ることに成功したら、クルリ村に帰るのだ。海を眺めることもたぶんなくなる。
 そう思いはじめると、ランはなんだか沈んだ気持ちになってきた。もちろん、村には帰りたい。じっちゃんに迷惑かけた分、一生懸命、畑仕事を手伝うつもりでいる。
 でも――旅はあまりに魅力的すぎて……。
(――って、なに考えてんだよ、オレ。旅から旅へなんて、まるで)
 亡き母と自分を捨てて旅をしている父親みたいじゃないか。そう思うと、ますますランは暗い顔になった。
「どうしたの? ラン」
 心配そうな瞳でマーレがランの顔をのぞき込んでいた。
「あ、ごめん、ちょっとボーッとして……」
「あのね、ランにお願いがあるの」
 そういうマーレの手には、見事な装飾が施された宝石箱があった。
「この宝石箱の鍵をなくしちゃって……。この中には去年のお誕生日におばあさまから頂いた大事なブローチが入ってるの。これからおばあさまの家に行くのに、ブローチをつけられなくて困ってたの……ランの手品でまた開けてくれる?」
「あ、でも……」
 ランは困った顔をした。昨夜アージュと約束したばかりなのだ。
けれど、泣きそうなマーレの顔を見ていると、ランの心は揺らいだ。
それに、マーレの前では一度、オードを使ってしまっているし――。
(一度も二度もいっしょだよな)
 ランは自分に言い訳し、オードを首から外した。そうして、宝石箱の鍵穴に差し込み――簡単に開けてみせた。


 宝石箱を開けると、花束を模したブローチが出て来た。
花の部分が色とりどりの宝石でできている。見るからに高そうだ。
「よかったあ! ありがとう、ラン!」
マーレはランに抱きついて、頬にキスした。
一瞬のことだったが、ランは真っ赤になった。
「い、いや……開けることができてよかったよ」
「うれしい! ぜひお礼をさせて。今夜十時に船首に来て。見せたいものがあるの」
 絶対よ、と言ってマーレはランの手をぎゅっと握った。
 
 その日の夕食も、マーレと執事、ランとアージュの四人でテーブルを囲むことになった。
 鴨肉のローストや白身魚のソテーなど、またまたランが食べたこともないようなごちそうが並び、ランは大いに満足だった。
 マーレは少食らしく、食べきれない鴨肉や野菜をランの皿に分けてくれる。
みっともないと言いたいのか、仲が良いのが気にくわないのか、アージュがその度にランの足を軽く蹴った以外は、ランはとても満足して食事を終えた。
 部屋に戻ると、アージュの怒りが爆発した。
「明日からテーブルを別にしてもらうわ。あと三日、同じテーブルで食事するなんてもう耐えられない」
「えー、なんで? いいじゃん、別に。あと三日ぐらい」
「あのふたり、なんか裏がありそうでイヤなのよ。あれは絶対なにか隠している目だわ」
「それってさ、オレらも同じなんじゃん?」
「うるさいっ」
「痛てっ」
 アージュのげんこつをくらって、ランは頭を押さえた。
《アージュ、三日ぐらい我慢できないのか? ランは同い年ぐらいの友人ができて、うれしいだけなんだ》
「ランと歳が近いのは、あたしだって同じでしょ? なにが不満なのよ」
「だって、アージュ、怖いし……」
 ランは「あっ」と口を押さえた。また頭を叩かれると思って、目をつぶる。
 が――いつまで経っても、げんこつは降ってこなかった。
「あ、あれ?」
「そんなにあの子がいいんなら、あっち行けば? なによ、デレデレしちゃって」
 アージュはきつい声音で言って、ベッドに潜り込んでしまった。
「デレデレってなんだよ?」
《まあ確かに……それはあるかもな。今日も頬にキスなんぞされていたし》
 オードが余計なひと言を言ったとたん、枕が飛んできた。
「なにすんだよ!?」
 ランは枕を投げ返した。アージュの視線とまともにぶつかり合う。
「もう知らない!」
 アージュはふたたび掛け布を引っ張り上げて、くるりと背を向けてしまった。
「なんだってんだよ、もう」
 ランも隣のベッドに倒れ込み、アージュに背を向けた。小声でオードに文句をぶつける。
「なんであんなこと言うんだよ?」
《すまない。うっかり口が滑って》
「滑るなよ~~」
《しかし、ランはアージュとの約束を破って、また私を使って箱を開けたではないか。これでおあいこだ》
 どうやら、先ほどのはオードのささやかな戒めらしい。
 ランはフンと鼻を鳴らして、口をつぐんだ。
 ――そうして、いつのまにか眠ってしまったのである。
 


 どのくらいの時間が経ったのだろうか。
 バタバタとたくさんの人が走り回る音に、ランはぱちっと目を開けた。
 隣のベッドは――と見ると、アージュの姿がない。
《外が騒がしいな。いったいなにがあったんだ?》
 ランはベッドを降り、扉を開けた。
通路に面した一等船室の扉はどこも固く閉じられ、人の気配はない。
《甲板のほうか? 難破船でも見つけたのかもしれないな》
「行ってみよう!」
 ランは駆け出し、甲板へと向かった。
 ところが、今度は人の波が逆方向から襲ってきた。
「た、大変だ! は、早く!」
「どこかへ隠れるんだ!」
 人々はなにかから逃げている感じだ。ますますワケがわからない。
「いったいなにが……って、あ! オレ、マーレと待ち合わせしてたんだ!」
 うっかり忘れていたが、「今夜十時に船首で」と約束したのを思い出し、ランは全力で走った。
 そうして、人の波に逆らうように、船首に近い甲板に出ると。
「海賊だ――!」
「た、大変だ! 早く逃げろ――っ」
 吹きつける潮風とともに、逃げ惑う人々の声が聞こえた。
「海賊!?」
《これは……なんということだ》
 事態はまだよくわからないが、どうやら船首方向から海賊が乗り込んできているらしい。
「マーレ!」
 ランは船首へと急いだ。マーレにもしものことがあったら……!
 甲板を走り、船首を目指す。
 そうして――
《ラン! マーレが!》
 オードに言われなくても、海賊のひとりに手をつかまれているマーレが目に入った。太い腕をむき出しにした、いかにも荒くれもの、といった感じのごつい男だ。
 マーレはランを待っていて、海賊に捕まってしまったのだ。最悪だ。最悪すぎる。
「マーレ!」
 ランは飛び出した。本物の海賊を見るのは初めてだが、怖いという気持ちはどこかに吹き飛んでしまっていた。
 マーレを助けたい! 
ただそれだけの思いで、走って走って、跳躍し、跳び蹴りを食らわそうとして――ランは太い腕で薙ぎ払われた。
「なんだあ? 威勢の良いガキだなあ」
 甲板に転がり落ちたランは、すぐさま起きあがり、「マーレを離せ!」とにらみつける。
 海賊の手からあっさり逃れたマーレがランに駆け寄り、がしっと手首を捕まえた。
「ラン!」
「マーレ! よかった無事で……ごめん、オレが」
 約束の時間に遅れたから――と続けようとしたランの耳に、
「この子もいっしょに連れていって!」
 という、マーレの声が聞こえた。
「へ?」
 なにが起きたのかよくわからないまま。次の瞬間、ランは海賊の肩に担ぎあげられていた。
「え? えええええ?」
 海賊の足元にいるマーレがにっこり笑った。
「ごめんね、わたしも海賊なの」

(第三話-3へ続く…)

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