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わたしと学習塾

大阪府の塾代1万円助成拡大。

「学校が託児所として見られている」「学校は何をするところだと思っているんだ」「勉強は塾メインでしろと言うのか」と非難殺到だが、どうだろう。
学生時代、私にとって学習塾は。

教育困難校での忍耐

私の出身中学は、いわゆる「教育困難校」だった。
生徒の自転車は鬼ハン、2ケツで登校、窓ガラスが割れて怒られているなんて毎日のこと。

教員も他校で問題を起こしたと噂される人がチラホラ。
授業はビデオ鑑賞や音楽鑑賞が異常に多く、道徳の時間はなんだかよくわからないままバスケやサッカーに変えられた。
奇跡的に赴任した心許せるような先生は、片っ端から優秀な他校に引き抜かれていった。

いじめが蔓延し、平均して不登校がクラスに2名はいた。
話したこともない同級生から毎日根拠のないことで悪口を言われ、部活でもかわるがわる誰かが無視されていた。
教員に相談したところで「証拠がないからこれ以上は追及できない」「耐えてくれ」の一点張り。

私は数少ない気の合う友人達と「さっさと卒業したい」と念じながら、大部分の同級生たちとは少しでもはやく離れたいと思っていた。
そして中学3年の頭に、受験を見据え学習塾に入った。

「真面目さ」が受容される空間

友人が数人通っていることはわかっていて入塾したので、人間関係で悩むことはなかった。

もともとそこまで勉強に苦手意識のなかった私は、初めての模試で塾内1位になった。
塾の先生が本当に褒めてくださったのを覚えている。
でも、私がこれを覚えているのは、1位が嬉しかったからではない。

教育困難校では、「真面目に授業を受けている生徒」に焦点が当てられない。
教員はいつも、スクールカースト上位のいじめっ子達を常に気にしている。授業の盛り上がりを左右するのは、権力者だからである。
だから道徳の授業はバスケットボールになってしまう。

そういった生徒は勉強をせずほとんど「推薦入試」で進路が決まる。2月ごろには一般入試を目指す私たちそっちのけで教科書の内容がすっ飛ばされ、「ビデオ授業」に切り替えられる。

彼らがちゃんと課題を出せば「えらい」、きちんと学校に来れば「えらい」。
私たちのような「手のかからない」生徒は放ったらかしで、結局1番気にかけられていたのはそういったいじめっ子や不良達なのだった。
私はこれといって特徴のない、手のかからないのだけが取り柄の目立たない生徒でしかなかった。

そんなんだから、学習塾に入って初めて、真面目にやってきたことが認められたと感じたのだった。
ここなら私の目標は尊重される。勉強したい意志が守られる、そう確信できた。

「学びたい意志」を守ってくれる人

もう一つ問題があった。入っていた部活動である。
私の中学校は教育困難校ではあったが、なぜか私の入っている部活動だけは、地方大会で受賞できるくらいには強かった。

大会での成績が顧問の評価につながるであろうことを、中学生の私たちはうすうす勘づいていた。
顧問の部活参加への強制は、どんどんエスカレートした。

受験が近づく3年生の冬になっても、私たちは「引退」させてもらえなかった。イベント出演が決まったからとか、なんやかんや言われて結局12月まで部活を続ける羽目になった。
その頃には、外部の活動に参加するときに保護者の同意を得るための承諾書も渡されなくなった。

早く勉強したくて、みんな焦っていた。
親には早く部活を辞めろと言われる。
しかし授業での報復、内申点への影響を怖がって、誰も何も言えずにいた。
他の教員も誰1人止めなかった。

そこに一石を投じた人がいた。
私たちの塾の先生が、部活の顧問に苦情を入れたのである。

「志望校目指して勉強したいと言っている子どもたちの時間を、あろうことが教師が奪い続けるのは何事か」

苦情を入れてくる塾も、練習が終わってから急いで鞄を背負って塾へ向かう私たちのことも、顧問は面白くなかったようだ。その後私たちの代の部長は、かなり冷たい扱いを受けたようだった。
しかし私たちは、これでやっと心置きなく勉強できるようになった。

私たちの学びたい意志は、学校では誰にも守られなかった。ただ塾の先生だけは、味方になってくれたのである。

属するコミュニティを複数持つこと

給特法がずっとずっと当たり前のようにあり、生徒が問題を起こせば親より先に呼び出される教員の苦労は計り知れない。
国、地方自治体が公教育に予算を割けていない現状も、それによる教育の質の低下が叫ばれてるのも、理解の上で言う。

本当にそれだけの問題か?

卒業式の日、クラスメイトの女子はみんな泣いていた。「卒業するのが寂しい」のだと言う。
私は、彼女らが何を言っているのか本気で理解できなかった。
クラスメイトは皆この空間に順応していた。順応できていなかったのは私だけだった。

中学時代、公教育で守ってもらえなかった私の居場所は、民間教育にあったのだ。学習塾は、私が私らしく居るために必要な場所だったのである。
学校という居場所しか、選択肢しかなかったら。今の私はどうなっていただろう。身震いがする。

結局、学校も、人と人とのつながりで形成される空間だ。人、文化、環境には合う、合わないは当たり前にある。
仮にそこが合わなければ、子どもはどうすれば良い?
ただ黙っていじめに耐え、知的探究心が尊重されない授業に耐えて3年間を過ごせば良いのか。

学習塾に子どもが拘束されて自由な時間がなくなり、多くの家庭で教育費が家計を圧迫していることを考えると、議論になるのは当たり前だろう。

しかし、子どもに別な「コミュニティに属する」選択肢を与える、ということは逃げ道になりうるし、足場掛けにもなりうる。
私は思ってしまう。「学校」以外の選択肢が、あっても良いのではと。


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