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「キャンピング・コジ」を鑑賞したので雑記@新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」

先日、新国立劇場でCosì fan tutteを鑑賞。
演出は大胆な「キャンピング・コジ」。舞台は現代のキャンプ場に移されている。

実は、こういった大胆な現代風アレンジを生で見るのは初めてだった。かなり色々なことを考えることができて、満たされた時間だった。

今回は、古典の現代風アレンジについて考えたことを残しておく。

”おもしろさ”と”ignorance”

「おもしろい」って感情は、なぜ生まれるのか?
それが良心的かは置いといて、だれかの「無知」や「勘違い」からボタンの掛け違えが起こって、結果笑える要素となるんだと思う

Così fan tutteも例に漏れない。
例えば
・メンズが突然徴兵されたり
・ヒ素を服用されたはずの人が生き返ったり
といったところ。
そこに疑問を持たないような間の抜けた女たちが、結果的に恋人の策略にハマっていく物語だから、それはそうだろという感じなんだが。

ただ、現代風のセット&衣装だと特にそういう「ものを知らない、アホっぽい設定」がそんなに笑えない、、、ということに気がついた。
これってなんでなんだろうか?

時代設定の影響

ギリ「まあ時代によっては突然の徴兵も無くはないか?」「この時代のお嬢さんはみんな箱入りだからヒ素とか知らないだろうしな」という具合。

演者が1780年代風のドレスを着ていた時は、私たちの想像でなんとなく補完され、納得できていた挙動。

それなのに、現代女性風の服装であるというだけで、なんか「度を超えた天然」な振る舞いみたいに見えてしまうということである。
私たちが「現代の人間」への解像度が高すぎたのか、、、。

チャーミングな小悪魔の見え方

そんな現代風演出で1番魅力的に見えたのは、デスピーナ。
自信に満ち溢れていて、その場を掌でコロコロに転がしていて、気がついたらどこかに行ってしまいそうな感じが現代風の設定・衣装とも合っていて、チャーミングなギャル!

結局、一幕からデスピーナをずっと目で追ってしまった。九嶋香奈枝さん大好きになった。

目を見張るような「リアル針葉樹森!」という感じのセットも相まって、オリジナルよりもデスピーナの挙動をもっと軽やか&痛快に感じられたような気がする。

いろんな側面があるよね。

小説がオペラになったり舞台になったりするときも、原作との違いに「うーん」とか「これはむしろこっちの方が良いな!」とか思ったりする。

それって、そもそも「改変」の有無もそうだが、鑑賞者サイドが持つ前提知識のボリュームによる影響も大きいんだろうな〜って改めて感じた。
かなり勉強になった鑑賞体験だった!

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