人が怒られるのが怖い

昔から自分が怒られるのも、人が怒られているのを見るのもすごく苦手だった。

もちろんそんなのが好きな人はあまりいないと思うけれど、わたしの場合は何日経っても何年経っても突然そのシーンを思い出しては胸がドキドキして呼吸が苦しくなってしまう。そのくらい苦手なものだった。

これがどうやらHSP(Highly Sensitive Person…非常に敏感な人)という気質のせいらしいと知ったのは、ごく最近のことである。

思えば、昔から環境の変化に弱く、クラス替えや入学なども苦手だったし、旅行などで寝床が変わると必ず眠りが浅くなったし、知らない人がたくさんいるところに行くのはとてもストレスだった。

ずいぶん生きづらい世の中だなとずっと思っていたけれど、全部HSPのせいだと思ったらなんとなく腑に落ちた。そりゃ生きづらいわけだ。わたしには刺激が強すぎる。


そんな中、新型コロナウイルスの流行によって世の中は劇的に変化し、さらに刺激的になってしまった。

毎日テレビから流れてくる増え続ける感染者数、家族を亡くした方や医療従事者の悲痛な叫び。朝の情報番組の数分のニュースを見るだけでも涙があふれてしまい、毎日のように朝から泣いていたこともあった。

また、スーパーやドラッグストアで働く店員に苛立ちをぶつける心ない客のニュースも増えた。みんなのために日々働いてくれている人たちに暴力や暴言を向けられる様子をとらえた防犯カメラの映像は、あまりにもショッキングだった。そんな映像を見てしまうと、しばらくずっとそのシーンが頭の中をぐるぐるして、まるで自分が言われたかのように体が震え、とても落ち込んでしまう。


それでも、わたしは昔から案外自分自身を俯瞰できているほうだったので、HSPだと認識こそしていなかったものの、自分の内向的な性格はなんとなく理解していた。そして、自分なりの対処法を自然に身につけていたように思う。

幼少期からできるだけ怒られるような失敗をしないように、念入りに準備をするクセがついていた。そして、目立つことをしたら失敗したときに立ち直れなくなるので、できるだけ目立たないところでひっそりと生きてきた。

限られた友人とだけ付き合い、石橋を叩いて叩いて結局渡らないような人生を歩んできた。つまらない人生だと思われるかもしれないけれど、そうやって自分を守ってきたのだ。

「ちょっと自分にはキツいな」と思うことでも自分でコントロールできる範囲のことならば、ある程度準備や対処ができる。

でも、あまりに刺激的すぎる今の日常の中ではそれが少し難しくなっているのを感じる。

特に、急に降ってくるショッキングなできごとへの対処が難しい。自分がHSPだと自覚してからは少しは受け流せるようになっていたと思っていたのだけれど。

その一つが、冒頭に書いた「人が怒られている」のが目に入ることだった。

これだけはどうしても自分では避けられないにもかかわらず、とても身近にあるものだった。



わたしが今いる職場の社長の話になるが、正直なところわたしは社長がとても苦手だ。

その人は社交的でエネルギッシュで、いかにもベンチャー企業の社長といった感じの人である。決して悪い人ではないのだけれど、とても声が大きく、背も高く、威圧的でわたしにとっては存在だけで刺激が強すぎる…

社長はわたしのすぐ前の席にいて、よく部下を自分の席に呼んで何か指示したり、打ち合わせをしたりしている。単なる打ち合わせでもヒートアップしてくるとどんどん声が大きくなって怒鳴り声のようになる。(実際に怒っていることもよくある…)

そうでなくても普段からすべての会話をオフィス中に響き渡る音量で話しているのだが。もちろん本人は無意識なのだろう。

わたし自身は社長と直接関わるような仕事は少ないので、席に呼ばれることもめったになければ、怒られることもない。

でも、毎日近くで誰かが大きな声で怒られているのを聞き続けなければならない環境は、今のわたしには正直しんどい。

自分に言われているわけではないのに、家に帰ってからも社長の怒鳴り声が頭の中に響いてくるのだ。(言われている当人よりも響いているんじゃないかと思うくらいに…)
これがコロナ前ならもう少し受け流せていたのだろうけれど。

だから、わたしは毎日神経をすり減らしながら社長の席に人が呼ばれないことを祈りながら席に座っている。そして、呼ばれれば「早く終わってくれ」と心の中で唱え続けている。

こんな調子なので、そろそろ環境を変えなきゃいけないな…とずっと考えている。考えてはいるのだけれども、環境を変えることもわたしにとっては一大事なのでなかなか踏みきれずにまたうだうだしてしまっているのだった。生きづら!

でも、文章にすることで頭の中が整理できてスッキリする部分はあるので、noteに書いてみた。大好きな塩谷舞さんも「書くことはセラピー」だと言っているし。

わたしにとっては書くことだけれど、これが話すことだったり、読むことだったり、作ることだったりする人もいるだろう。

HSP気質の人にはそんなどうしようもないもやもやを吐き出す場所を作ることが必要なのかもしれないなと思った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?