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24★あの会話をきっかけに~病に立ち向かう選択~

「お願いだからやってみようよ」
そう言われた

だから私は今生きている

あれは10年前の冬
体調が悪く、見たことのないアザが
身体中に出来ていた
当時の私は
子育てと家事と仕事でボロボロ
疲れている自覚は十分あった
過労かなにかだろう
しぶしぶ休みを取って検査を受けた
結果はあっという間に出た

白血病だった
ハッケツビョウ?

ドラマみたいに絶望の末に
現実を受け止める
そんな暇もなく
抗がん剤治療が始まった
忙しく日常を回していた私は
その歯車から強制的に離脱させられた

周りの人間が一番戸惑っただろう
わたしが担っていた役割は
我ながら大きかった
買い物に子供の送り迎え
仕事と家事何もかも
そのわたしが入院したのだから
子供のことは両家の親に割り振られ
夫は仕事を減らし週末は子供と過ごし
平日は仕事の前後に病院に来てくれた

抗がん剤を3クール終えたところで
寛解兆候か見られた
血液の中のがん細胞が一定まで減ったのだ
もう1クール抗がん剤をして終わるか
次のステップである骨髄移植に移るか

わたしの場合再発リスクが高く
前者はあまり得策でなかった
自動的に後者で話は進んだが
私は迷っていた

運良く兄弟の骨髄が適合していた
しかし親が迷っていたのだ
この子達にも人生がある
強要はできない
やりたくなければ選択したらいい

(オブラートに包むのは止めよう)
母は兄弟にこう言ったのだ
「お願いされたらやってあげたら?」と
つまりはわたしが適合している兄弟に
「どうか骨髄を提供してください」とお願いすべきだ、と

医師はドナーのリスクについて
大袈裟なまでに不安を煽る
そして選択権はあなた(ドナー)にあると
何度も念を押す

してもいいが
しなくてもいい
しなくても酷くないし
とにかく善意の行為なのだと

私は頼めなかった
彼らにも人生がある
そもそも頼まれなければ
救う気になれない命なのかと
思ったりした


骨髄移植をうけても
1/3は移植行為で亡くなり
1/3は再発する
のこりの1/3だけが無病生存すると
医者から告げられた

骨髄移植はせずに
残りの数ヵ月を子供と夫と
確実に生きて過ごすか
1/3の確率にかけるか
わたしは迷っていた
恐らくわたしが死んでも
夫はたくましく生きて行ける
まだ若いしやり直せる
そう本気で信じていたので
先立つことに不安はなかった
けど、子供たちはどうだろう
母親の居ない子として
肩身の狭い思いをしたり
母親がいれば味わえる経験を
できなかったりするかもしれない
わたしが居ないことで子供たちの人生に
1ミリも影を落としたくなかった

しかし迷っていた
頼み込んでまで生きようとする事は
自分が貪欲で運命に抗っている気がした

それでもどうするか期限までに
答えを出さなければならない
私と夫は話し合った
私は思いを全て話した
夫はベランダで涼みながら
背中を向けたまま
こう言った

「お願いだからやってみようよ」

月明かりが逆光で
彼のシルエットを浮かび上がらせ
涼しい風が吹き抜ける

「頭を下げる必要があるなら
俺がいくらでも下げる」
「生きてほしいんだ」
「俺のためにも子供らのためにも」
声が震えていた

あの日の会話が私を決断させた
そして今私は
骨髄移植から10年目を迎え
子供たちと生きている

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投稿コンテストの趣旨とは
少し外れていますが
わたしにとって大きな意味をもつ
ある会話について書きました

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