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anone, と恋愛観



もし結婚するなら、自分の人生を自力で楽しんでいる人がいいな。と、この間ふと思った。



年齢だけでいえば一応結婚はできる歳だけど、今の自分に結婚なんて言葉は程遠くて、「誰かと付き合う」ことの方がよっぽど身近。



結婚願望みたいなものは存在しているけど、一生一緒にいたいと思えるような人と出会えるのか、それはどんな感じなのか、全く想像もつかない。



「あなたを幸せにします」っていう言葉、響きはいいしなんだか誠実に聞こえるけど、よーく考えると私はこの言葉には惹かれない。


すごくひねくれた考え方かもしれないけど、誰かと結婚することで手に入る幸せ、誰かからもらえる幸せに疑問を感じてしまうから。


人とのつながりは素敵なものだと思うけど、人に執着しすぎたくないというか、誰かに幸せにしてもらうだけの人生はなんだか綱渡りみたいに感じてしまう。


一人でいても、自分の世界だけでも十分に楽しいけれど、一緒にいればもっと幸せになれて高め合えるような関係が私にとっての理想。

だから私は自分の人生を自力で楽しんでいる人がいいなと思うし、自分もそういう人でありたいと思う。


そういういろんなことを考えていく過程で、自分について知っておくことは恋愛においてもそれ以外においても大切だと思ってセクシュアリティ診断「anone, 」をやってみました。こういうの初めてやるので記録を兼ねてnoteをぽちぽち書いてます。


なんでも2000通りのセクシュアリティの組み合わせからその人に最も近いパターンを分析してくれるらしいです。


こころの性

" 体の性とこころが一致しているシスジェンダー "

これには普通に納得。今まで自分が女性の身体を持っていることにも、女性として生活をしていくことにも一度も違和感を感じたことがなかったから。


恋愛指向

" 異性に恋するヘテロロマンティック "

これも想像通り。同性への好きが恋に発展することはないだろうな〜と思う。もっともこの先指向が変わることだって十分にあり得るので、絶対とは言い切れないけど。

anone, によると、自分が同性の方が好きだと気付くのは10代に次いで40代が多いらしい。


" 強い信頼関係で恋に落ちるデミロマンティック "

デミロマンティックは普段は恋愛感情があまりなく、誰かのことを深く知った時に初めて「あ!この人のこと好きかも!」となるセクシュアリティで、初対面でびびっとくる、いわゆる惚れっぽい人とは対極にいるタイプ。

また、周りと比べて誰かと体のつながりを持ちたいという欲求もそこまでないことが多い。

普段からあまり恋を意識していないため、「この人のこと、自分は好きなのかな」と疑問に感じてしまうこともある。例えば仲のいい人から「付き合ってください」と言われたとき、悪い人じゃないからとOKしたはいいもののどうすればいいのかわからなくなる、なんてことも。


デミロマンティックについての説明、これ自分のことだってなるポイントだらけでした。わかる祭り。

すれ違った誰かのことを友達と一緒に「かっこよくない!?」って話すことはあっても、そこから恋愛対象になることはない。周りには一目惚れして積極的にアタックしていくしていく子もいるのでそうなることに対して全然マイナスなイメージは持っていないけど、自分とは別世界だなあとしみじみ感じる。


恋したい!とは思ってみても、そもそも恋に落ちるのが遅いというか、恋に繋がるのが難しいというか。


性的指向

" 異性に対して性的な欲求を抱くヘテロセクシュアル "

お子様なのかなんなのか、この手の話には正直疎くてちょっと苦手。でも憧れみたいなのは持ってる。
「そういうこと」だけが大事なのではないことは理解しているけど、なんとなく大人の階段って感じがするし、未知との遭遇って感じもする。


" 強い信頼関係が愛になるデミセクシュアル "

普段は性的欲求があまりなく、誰かのことを深く知った時に初めて性的欲求を覚えるセクシュアリティ。これといって「体のタイプ」が思いつかないのも特徴。パートナーや大切な誰かの体のこういうところが好き!というのはあっても、他の人にも共通した身体的特徴に惹かれることはない。


ここのデミセクシュアルの説明も、自分に当てはまるなって感じでした。

あとこれもちょっと自分要素があるかもって思ったのが、愛はあるけど体のつながりを持つことが苦手なリスセクシュアルと、強い絆があれば体のつながりはいらないというフレイセクシュアル、それから愛に体のつながりはいらないというアセクシュアル。


体のつながりは必要ない、ここまで強くは思ったことがないけれど、心か体かなら圧倒的に心のつながりの方に魅力を感じる。「体のつながり」を感じているときに「愛されてるなあ」と思いたいというよりかは、日頃の些細な言動とかふとした瞬間にそう思いたい。



恋愛指向と性的指向に書いてある内容があまり変わらないものだったのでなんでこの2つは分けて表示されているのかなあと疑問に思ったんですけど、こういう疑問を持つ人のためにしっかりそれについても明記してありました。


恋愛対象と性的対象は実際には別物らしく、だから恋愛指向と性的指向が変わってくることも普通にあって、人によって恋愛感情の強弱や対象、条件などもグラデーションのように違ってくるのでたくさんのパターンが存在するらしいです。確かに人の数だけ恋愛とか性にまつわる話はあるはずで、当たり前っちゃ当たり前な気もする。


でも、ジェンダーやセクシュアリティ、こういう話題になるとどうしても少数派に属する人は肩身の狭い思いをすることがあるのだと思う。


私にしてもそう。これを書いていて気付いたけどたぶん私は恋愛感情そのものが薄くて、恋愛をしたい気持ちはあってもなかなか恋愛に至らないタイプ。漫画とかドラマの世界で繰り広げられる恋だの愛だのに憧れることもあるけど、自分事にすぐ変換することができない。


しかし今の世の中は、恋愛感情が濃い人を対象にした、その人たちが共感しやすいようなコンテンツが比較的多いように感じる。だからそういった見方をすれば私も少数派。


でも私自身はこの風潮に関して特段肩身の狭さを感じたことはなかったから、本当の意味では私はマイノリティとされる人たちの気持ちを理解することはできないのかもしれない。


さっきからマイノリティマイノリティと自分でも乱用しているけれど、急にこの言葉自体いらないんじゃないかという気がしてきました。


人の数だけ恋愛の形(恋愛というものが別に必要ないという形も含めて)があって、言ってみれば全員マイノリティだと思うから。


もちろんその中で共通点や相違点があるわけで、それらを考慮したうえで恋愛や性に関する指向をカテゴライズされるというこの仕組みが悪いわけではないと思います。


でも下手にマジョリティとマイノリティを意識するんだったら、広い目で見れば世の中みーんなマイノリティ!小難しい話は抜きにして、凝り固まった偏見は捨てて、みんな自分の人生をエンジョイしていこう!っていうマインドで過ごすのもなんだか楽しそうじゃないですか?


表現したい性

" 体の性とありたい自分が同じシスジェンダー "

ここにも普通に納得。というか表現したい性について考えたことすらなかったので逆に新鮮な気持ちにもなった。

そして、私がたまたまこうなだけで、周りにはこうじゃない人もいるよなあ、とも思った。例えば「ジェンダーフルイド」という言葉。私も今回初めて知ったんですが、誰と話すか、どんな環境にいるかで言葉遣いや振る舞いが男の子っぽくも女の子っぽくもなることだそうです。


こういうのって学校で数学の公式を学んだり古典の文法を学んだりするのとは訳が違うから、知ったからといって明日からこれを使ってどうこう、こういう人に出会ったらどうこうという話じゃないけど、知らない自分か知ってる自分かだったら私はなんとなく「知ってる自分」を選びたいと思うし、そうなれるように過ごしたいとは思う。


おわりに


anone, の分析はここまで。

ここから広がる世界や、ここから感じる気持ちはたくさんあるはずです。

私はこれをやってみてよかったと思っています。

もしよかったらあなたも。




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