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ジャーナリングと日記の違いについて考える

おはようございます。ジャーナリング(書く瞑想)アドバイザーの風鈴花です。

今朝もブログを読んでいただき、ありがとうございます。

今の世の中、
生きるか死ぬかを問われているかのような
神経を使う情報が飛び交っています。
こういう情報に目を奪われ続けていると
ほとほと疲れますよね。

でも、ジャーナリングを習慣にしていると、
そのような情報に振り回されなくなります。

ぜひ、皆さんも、
生活の中に取り入れてもらえると嬉しいです。

✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨

「ジャーナリングは日記とは違う」
と、よくジャーナリングの本などには
書いてあります。


この場合の日記は、
「日々、自分が体験したことについての記録」
だと認識されているからだと思います。

でも、日記でジャーナリングをすることは出来ます。

例えば、
A
8月27日(金)
今日、昼休みに主任と話していたら、以前勤めていた会社の上司が、主任と同級生だったことがわかった。
「世間って狭いですね」
と言ったら、
「というより、この業界が狭いのよ。下手な仕事をしていたら、すぐに伝わってしまうからね」
と言われた。
それって私みたいな派遣でもそうなんだろうか。わあ〜、ちゃんとしないと、派遣業界でやってられなくなるかも〜(汗)
主任も目を光らせているかもしれないよ?
気を引き締めて頑張ろう!

みたいに書くのが日記だとしましょう。

これをジャーナリング的に書くと

B
8月27日(火)
以前勤めていた会社の上司、主任の同級生だったらしい。
しかも「氷姫」というニックネームがついていたというからびっくりだ。
私にとっては暖かな人だった。いつも笑顔で接してくれて、相談事もきちんと乗ってもらえていたから。
でも独身で仕事一筋に生きてきたというから、その人生の中で氷姫と呼ばれるほど冷静沈着な生き方をしてきたこともあったのかもしれない。
そう考えると、人生って面白い。

ところで私はその生き方を想像してもらえるようなニックネームをつけられたことがあっただろうか‥幼稚園の頃まで遡って考えてみたけれど(以下省略。ここから自然と自分の内面に向かって書き進みはじめます)

みたいに、なります。
その違いは

Aのように
「自分を取り巻く環境」に意識を向けるか、

Bのように
「自分の内にある感情や物の見方など」に意識を向けるか、

というところにあります。


こう書くと難しそうに見えるけど、
Bのような日記を書いている人って
結構いるのではないでしょうか。


もしあなたがこういう日記を書いたことがある、というのであれば、
その調子でどんどん書いてみてくださいね。

「書いたことないし、日記なんて書いている暇はない」
というのであれば、
ぜひ、このブログをさらに読み進めていって、
ジャーナリングの世界をお楽しみください⭐︎

きっと新たな発見がありますよ。


では、次回をお楽しみに❣️
お付き合いくださってありがとうございます😊


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