対立関係

不言之言

シテ▶人工言語と云ふものがあつてね、始めの頃はそれで物事を分類しようとしたんだつて。

ワキ▶ああ、聞いたことがあります、エスペラントとか?

シテ▶うん、それはもつと後に考へられた言語なんだけれど、初期の頃は、もつと「論理的」な言語を作らうとして、万物をカテゴリー化・体系化しようとしたやうだ。でも、結局失敗してゐる。なぜつて、世界は複雑過ぎるからね。

ワキ▶そりやさうでせう。論理的と言へば、数学で使う記号も一種の言語と考へてもいいのでは?

シテ▶まさにその通り。その派生で、今もつとも身近なものは、ソフトウェア、つまりプログラミング言語だ。

ワキ▶まさしく言語と呼ばれるわけですねえ。それでもつて、一点の曇りなく明晰かつ明快な論理、論理で突き進んでゆく……といふ感じ……

シテ▶そうであるし……そうでもない。といふのは、多くのデータを扱つたり、処理が深く複雑化すると予想もつかない結果が出て来る。例へば将棋のソフト、その他、多数のデータを処理・学習する人工知能……。かういふものは、その決定過程を人間が掴むことができない。複雑になると何か新しい性質ができるやうに。

ワキ▶ふうん。まあ例へば、温度といふ性質のやうなものですかね。温度といふ実体があるのではないでせう。単純な分子の運動といふものが、無数に集合すると新しい概念が必要になると云ふふうに……

シテ▶その考へを押し進めれば、佛教で云ふ我、無我もさうかも知れないね。「我」と云ふ実体があるのではない、ただ種々様々な因縁によつて生じたものであると。

ワキ▶般若心経の話になつてきましたよ。

シテ▶いやあ、今日はもつと科学的な話をしよう。

ワキ▶先程の「決定過程を人間が掴むことができない」と云ふのは、とても非論理的に聞こえるのですが……

シテ▶人間の限界なのか、それとも論理性の必然なのか、私には判断できないけれども、例へば……円周率つて知つてるね。3.14159265358979………と永遠に続く数字、この無限数列の中に0123456789と並んだ数列が存在する、あるいは、しないことを証明することはできないさうだ。計算を続けるしかない。もし発見したらそれで終りだけれど、見つからなければ永遠に探索を続けなければならない。

ワキ▶?!…… なんだか、むづかしい話になつて来ました。

シテ▶最初の話に戻すと、この世の中は論理だけで説明、表現できないと云ふことになつて来るのかな。これも数学の話だけれど、フェルマーの最終定理つて知つてる?フェルマーの死後360年経つて最近証明されたんだ。その過程で、日本人も活躍してゐる。

ワキ▶へえー、長大な話ですね。

シテ▶谷山−志村予想と云つてね、これが証明されることによつてフェルマーの最終定理が結果的に証明できた。しかし最初谷山氏がどうやつてその予想を思ひついたのかは、数学者さえ不思議に思つてゐる。直感なんだな。そして、定理の証明者アンドリュー・ワイルズ自身も最後に「まつたく不意に、信じられないやうな閃きがありました」と語つてゐるさうだ。(註記:谷山氏は31歳で謎の自殺をしてゐる)

ワキ▶直感とか閃きねえ……

シテ▶むしろ数学と一番関係あるのは物理学なんだらうけれども…そう、舞踊がほとんど常に音楽を伴ふやうに、物理学者たちも常に数学を使ってこの世界を説明し理解する。

ワキ▶では論理以外の世界をどうやつて理解したらいいのでせうか?

シテ▶好奇心があるんだねえ。何らかの表現手段を介して理解することになるのだろうか。人間つて五感の他に心(意識)があるよね。理解といふのは、その五感と一体になつた心の作用なんだらうか。数学のやうな知的なことはほぼ心の中だけで理解できる。五感と一体になると、複雑な世界、非論理的に見える世界が心に飛び込んでくる。

ワキ▶物理の世界が、心のなかに作られる……う〜ん。

シテ▶そして、一瞬の光景・響き・仕種……音楽とか、踊りとか、自然の風景、日々の暮らし、気遣い、……すべて、すべて、あらゆるものごとから発せられるものを受容することから、その感覚あるいは気付きが「感情」とか「理解」へと組み立てられる。

ワキ▶ふうん。分かるやうで、何だか抽象的な感じがしますよ。ええと、あの、子供の頃アンデルセンの「錫の兵隊」といふ童話を読んだんですけれど、こんな話です。

その一本足の人形の兵隊さんが、あちこち冒険した後、元の懐かしい部屋に戻つてきます。そこには、相変はらずバレリーナの人形さんが一本足で立つてゐます。そして、「兵隊さんはむすめをみました。むすめも、兵隊さんをみつめました。でも、ふたりとも、なにもいいませんでした。」と書かれてゐるのです。むすめが《何かした》と書かれてゐるのは、この部分だけです。兵隊さんは、ある感情で娘を見、むすめもある感情で見てゐます。作者は「みました」という簡単な言葉だけで、どういふ感情、同情でお互ひを見たのか書いてゐません。それでも、二人の心のイメージは、読者の心の中に広がつてゆきます。

シテ▶言はずして言ふ。

元By Supercat (2017年10月09日)

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