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シン・エヴァンゲリオン劇場版「葛城ミサト」について語りたい。

とりあえずの走り書き、かなり記事としては雑です。不本意な投稿だけど、とにかく時間がない、だがとりあえず今書いておきたい。
ネタバレ有です。観ていない人は、絶対劇場入る前にお手洗い行って、そして飲み物(特にコーヒー)は買ってはダメ。お手洗い脱落組多数。そしてこの記事は絶対読んではダメ。ネタバレ有。

葛城ミサトに特化して語ります。付随して加持リョウジ、2人の子供、リョウジについても語る。

葛城ミサトが母になっていた。

ミサトが母になっているなど、気付いていた人はいるのだろうか、破の終わりでもう、恐らく彼女のお腹には新たな命、宿ってたはず。サードを止める為に犠牲となることを選んだ、加持と残りたかったけど残らなかった、恐らくそういうことだ。愛する人と死ぬことより、愛する人との新しい命をこの世に誕生させること、そして自分も生きることを選んだ、のだと思う。
Qの物語が進行している時、ミサトには息子がいた。想えば、Qで、仮称「アヤナミレイ」が連れ去った、シンジのDSSチョーカーを作動させることができなかった、シンジを処分できなかったのは、こういうことだったのかと、思ってならない。Qの時、あの躊躇は正直、あたしは理解できなかったのだ。ヴィレの総指揮官として、更なる悲劇を生まない為に、あそこでシンジを処分することは、必要だったと思う。

まさか、ミサトが母なんて、今よく考えれば、あり得る話かもしれないけど、とりあえず、リツコは絶対母にはならないのはわかるけれども・・・。
ミサトなら・・・でもわからない。少なくともミサトは「女」を捨てていなかったと思うし、女性というものは、簡単に母に化けられるのだろうか。
命が宿った、だから産むことを選んだのか。
破とQの間は、14年。Qとシンエヴァの間には恐らくほぼ時の経過はない。やはり破の終わりの時点で、子供を既に授かっていたと思う。それを、ミサトはわかっていたと思う。

そしてミサトが選んだのは、自分と死んだ父(加持)のことを、息子には明かさないことだ。ミサトの目的遂行の為には、愛する人の子供、同じ名を与えた、リョウジと幸せに慎ましく生活、というわけにはいかない。そして加持の想いを背負っているし、だからこそ加持の遺物であるヴィレの最高責任者になることを躊躇しなかった。リョウジが生きていく世界を守るために、ミサトは直接、リョウジを守るのでなく、ヴィレの最高責任者、ヴンダーの艦長になる選択をしたんだ・・・。
もう、その事を考えるだけで、シンエヴァは泣きっぱなし。ミサトはどんな想いだったんだ。もう、もう・・・。

会わなかったのだ、恐らく産んでから、一度も。一度は胸に抱きしめたのかな?それももはやわからない。それもしていないのかな。もう書いているだけで涙が止まらない。

リョウジは「第3村」に居たんだし、会わなくても、リョウジがどうしているか、ちゃんと成長しているのか、元気なのか、等の報告は受けてたはず。(※追記。リョウジは第3村に居たというより、14歳にしてヴィレ職員(KREDIT職員?)だったようなので、ミサトの存在は知っていたかも。でも母とは知らないのだと思う。)それがミサトにとって、救いだったのかも、もはやわからなすぎる。

母とは何なのだろう。

あたしは母ではないし、母であることもあり得る、というかほぼ世の中のあたしくらいの女性は、母が多いと思うけど、あたしは母親にはなれないと思ってきたし、そもそも母になりたくないと思ってきたし、母親になることなど完全に放棄、というか見ないふりをしてここまで人生送ってきたので、そしてそれが少しコンプレックスでもあるので、ミサトの気持ちなど、口が裂けてもわかる何て言えないのだけれど。

ミサトは最期、ヴィレの最高責任者として職務を全うする、死ぬことを選ぶ。その前に一度、恐らく鈴原サクラがシンジに向けた銃弾から、盾になってシンジをかばって撃たれている。確か、旧劇でもシンジをかばって撃たれているはず。新劇は、TVシリーズ~旧劇~新劇のほぼ全て(一部風呂敷ひろげっぱだけど)の伏線を回収しているので、このシンジをかばったことも、何か繋がっているんだと思うけど、旧劇ではあれは母というより女性だった気がする。

旧劇はアマゾンプライムでも有料なのか、実家に円盤があるけれど・・・今は確認できない。旧劇では確かシンジにキスをして、「帰ってきたら続きをしましょう」と言ったはず。あれはあたしから見ると、女。

だが新劇シンエヴァのシンジをかばった時は、シンジに自分の息子、リョウジを重ねてる気がするので、母。(シンジとリョウジが並んで写る写真を飾ってるのも、その証拠。)

旧劇では、ミサトは最後、シンジをかばって撃たれて「これで良かったのよね、加持くん・・・」で死んだ。新劇シンエヴァでは、艦の操舵を艦長として行って、最後、(記憶曖昧)「お母さんこれしかできなかった、ごめんね、リョウジ。」とか何とか言って死んだ。

これはもう衝撃でしかない。旧劇では何だかんだで死ぬまで加持のことを考えていた人が、新劇では母親になっている。完全に。子リョウジに加持を重ねているところもあるかもしれないけれども。

何でミサトの息子、リョウジのターンがあれしかないのだ、まあ描かないことで敢えてミサトの心情を描きたかったのかもしれないけれど。

シンエヴァで最重要なのはおそらく、「シンジの物語」「ゲンドウとシンジ」を決着させて、「ヲタクよ現実に帰れ」、というのが庵野監督の最重要案件だと思うけど。伏線回収は色々あったと思うけれど。

何故ミサトを「母」にする必要があったのか。

だけれどもあたしは、どうにもこのミサトと加持、そして息子リョウジのことばかり気になる。

エヴァは終劇した。もう、今度こそ間違いなく「終わった」と思うので、もう子リョウジの成長など、みることは叶わないのだけれど、この加持とミサトの子「加持リョウジ」の存在はシンエヴァではあたしにとって重すぎたキャラクター。特に居なくても、ストーリーは成り立ったかもしれない。それこそ、ミサトの死が決定していても、最後想うのは亡くなった加持で良かったかもしれないのに、どうして敢えて「息子」を存在させたのか。庵野監督の意図を知りたい。ミサトを「母」として「死なせる」ことにした意図を。おそらく、「シンジ」との関係が絡んでいるのは、間違いないと思う。

葛城ミサトに馳せる想い。

あたしはエヴァ、TVシリーズの本放送を、リアルタイムで観た世代。あの頃は、エヴァパイロットの「14歳」の少年少女、に近かった。ミサトやリツコ、加持の年代の「29歳」は遥かに大人だった。理解できない感情も多かった。そして、今、「29歳」は遥かにこえた。今想うと、「葛城ミサト」は魅力溢れる女性だったと思うし、今恐らくミサト、リツコ、生きていれば加持は、「43歳」くらい?またあたしの年をこえて、ミサトはあたしのわからない「母」になってしまった。まだまだミサトから学びたかったことは多い。ミサトは「死んでしまった」し、そもそも「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が「終劇」した以上、もうミサトが描かれることはないと思う。
だが少なくとも、「葛城ミサト」があたしに投げかけた問いは、多い。「父との関係」「失語症を患うほどのショック(あたしは失語症になったことはないけれど、人生においてそこそこショックな想いをしたことは多かったと思う。)」「女性として生きること」「母としてどう生きるかということ」あたしは、母にはならないと思うので、それだけは理解できないままだと思うけれど、そして「父との関係」も同じく父は他界しているのでもはやどうにもならない。
本当に魅力的なキャラクターなので、メインキャラクターの1人でもあるし、ミサトにあまり興味がなかった方に、「葛城ミサト」を提起できれば、この乱雑な記事の出來としては、充分だ。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」については、また、何度か観劇して、落ち着いた時に記事を書きたいと思う。



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