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死んでいたはずの感情がドンっと動き出した瞬間

久しぶりに夜の波に飲み込まれそうになっている。溺れる…と言うよりは、飲み込まれそう。
部屋を真っ暗にして、これを書いている。雨音が、麓健一さんの歌う小さな歌声と混じる。

たくさんの理由があって、そのうちの一つ、いちばん大きいのは、好きなひとが結婚するかも知れないと、久しぶりに会ったら言っていたからかも知れない。
恋人がいる、その彼も僕は好きだし、はなから自分の気持ちを放つつもりはなかった。それでも動揺したままだ。
一言では書けないこの感情…。

それでも、と言う言葉がぴったりくる。
それでも!って好きだな。
それでも、また明日は今日になる。
それでも、まだやりたい事が少しずつ、湧いてくる。だからこの携帯にメモを取る。

最新のメモは、僕の最大のターニングポイントに言葉をくれた女の子の、「次にチャンスが来たら絶対に逃げちゃだめだよ、離しちゃダメだよ」と言う言葉だった。
そうやって、誰かがいつかくれた言葉にすがって、生きようと思う。

たまたま「イマジナリーフレンド」の話をした。子供の頃、見えていたわけじゃないけれど、僕はずっと誰かに話しかけていた。それが終わったのがいつかは忘れたけれど、
思考する方法はいまでも会話調だ。
その誰かは例えば、R.E.M.と言うアメリカ最大のロックバンドのボーカリスト、マイケル・スタイプの言う「子供の頃、僕は僕の友達になりたかった」だとか、古い歌の始まりにある「やあ暗闇さん、僕のいちばん古い友達」と重なるような、そんな友達だったし、
実はあまり思考する術として、会話調で考えるってひとと会った事がない(ひとり、いた)。

最近、凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」と言う小説を読んだ。何年かぶりに一冊、読み終えた。苦しくなるくらいに、ひとを愛する事、すれ違ってしまった事、それでもそれぞれの形の愛が描かれていて、いつかもう一度、読みたいな、と思う。

それから、書きたいなあと思う。
小説を。この自分から出てくる、この自分からはいちばん遠いおはなしを。
体験談などではない、新しい物語を。

それはあのイマジナリーフレンドがいた頃の自分への、もしくはターニングポイントにそんな言葉をくれた女の子への、手紙になるかも知れない(自分の体験してきた話から離れながら、だけど、そんな二人への手紙…)。

感情が死んでいた時期が長かった。
だから死んでいた感情がドンっと動き出した瞬間、自分が壊れそうになるまで、いや、壊れたか?、揺さぶられ、泣いたりもした。

それを書きたいと思うし、そこから何年も経って、さまざまな時間を経て、いまこうして夜になって、ひとりでいる。
ずっとひとりだったし、これからもおそらくそうだろう。

それでも!愛の言葉を、愛の物語を信じて、書きたい。時間はまだある。それでもなお。それでも!。

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