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11月のかけらたち

冬はつとめて。いやいやいやいやいや寒すぎる。つとめてなんて寒すぎる。布団を出るのに覚悟が要る。何食わぬ顔で冬が来た。11月の、日々の断片。



住んでいない街を徘徊するのが好きだ。読めない地図は見ず、ただ気になる方へふらふら歩いていく。このあいだは、ちいさな韓国風居酒屋を見つけた。看板に「今日もおつかれさま(にっこりマーク)」と書かれていたのに惹かれて、思わず入ってしまった。コピーライティングの最適解。ぐはあ。

こぢんまりとしたお店で、常連さんしかいない。テレビでは韓国の音楽番組が流れている。フレンドリーなおばちゃんがにこにこ迎えてくれて、この人がおつかれさまと書いてくれたのだと納得する。

韓国風玉子焼きを頼んだら、思いの外大きくてびっくりした。『孤独のグルメ』のゴローさん如く「なんかえらいことになっちゃったぞ…」と胸中でつぶやく。あつあつでふわふわでおいしい。そのあと頼んだ韓国風のおこげ茶漬け(名前を忘れてしまった)も、香ばしくておいしかった。
お会計時、おばちゃんに「満足できた?」と聞かれた。「とってもおいしかったです」と返す。外に出ると夜がつめたかった。胃のなかだけがほんのりあたたかかった。

先輩からすすめられて、アキ・カウリスマキ監督の映画を観ている。以前どんな映画が好きかを聞かれ、「起承転結の振り幅が少なくて、ただ淡々と日々が続いていく話」と伝えたときに教えてもらった。ドンピシャで好きだった。

これまでに観たなかだと、『パラダイスの夕暮れ』と『浮き雲』がとくに好きだった。アキさんの映画は、煙草がおいしそうに描かれる。みんなスマホを取り出すみたいなテンションで、煙草とライター(マッチ)を取り出し、吸う。その一連の姿が、日常的で美しい。スマホと煙草、心身に悪いのはどちらなんだろう。美しさとは、それが自分にとっていいものだと信じている姿なのかもしれない。

尊敬している映画監督さんに会いに行った。映画を観て、トークを聴いた。
その監督さんと初めて会ったのは、2年半くらい前(もうそんなに!)。当時は、書くことを仕事にするか否かで葛藤していた頃だった。そんななか連れて行ってもらった取材で、監督さんとお会いした。こんなふうに映画をつくっている人がいるなら、世界には希望がある、と思ったことを覚えている。いつかまたお話できたらうれしい。私もいいものをつくっていたい。
劇場をあとにし、余韻に浸りながら電車に揺られた。スマホは見たくなかった。ただ、人生の流れに身を委ねていたかった。

雨上がりのねこ

気づけばシャインマスカットの時期が終わっていた。シャインマスカットを一房買ってひとりで全部食べる、という夢は今年も叶えずじまいだった。
せめてすこしでもと思い、小さなパックに入った、340円くらいのやつを買って食べた。宝石みたいな果実は口の中でぷしゅっと弾けて、ものの数秒で私のなかに消えた。束の間の幸福。花火みたいな果物だと思った。来年は叶えられるかな。叶えるか叶えないかは、あなた次第です。

自分のなかでひとつ大きな決断をして、動き始めた。不安とかうまくいかなかった経験とかで、頭のなかがいっぱいになったりもするけど、それで動けないのはいやだった。人生の主導権は自分で持っていたい。いい報告ができるといい。

こもれびと水

朝井リョウさんの『正欲』を読んだ。救済爆弾だった。感想を言語化することも無意味だと思ってしまうくらい、なにをどう言っても自分の正当化になってしまうと感じるくらい、根本からぐらぐらと揺らされるような小説。希望も絶望もごっっそり根こそぎすくい上げられた気がした。人生が変わるとか、価値観が変わるとか、言い古された言葉は、この本のためにあるような気がした。私の場合は「変わった」というより、暗闇にライトを当てられた、当ててもらったような感覚だった。

いい本を読むと、くやしい、と思う。思っていたことを象ってもらった、と思う瞬間、くやしくてくやしくてどうしようもなくなる。救われながらくやしい、この感覚に名前はまだない。

学生時代で小説を書くのはやめようと思っていたのに、相変わらずまだ書いている。それはまだ、伝えきれていないと感じるからだ。人生をかけて伝えたいこと、残したいこと。もう伝えきったと思える領域に、まだ達していない。いやでも、達することなんかあるんだろうか。
書き上げても書き上げても、すこし時間を置くとすぐ書きたくなる。この先、人生のステージが変わったときに、自分が何を感じてどんな小説を書くのかを知りたいと思う。明日死なないために書いていた小説が、いつしか、未来を信じる理由になっていた。

タイパが悪いといわれようが、AIの存在が説かれようが、小説に関しては、ひたすら自分の深層で、世界と向き合って書いていたい。口下手で人見知りで、それでも世界をわかりたかった、あの頃の感情が、まだ私のなかに転がっている。掃いても掃いても書いても書いても。

一見とても入りづらい純喫茶に入った。日に焼けた漫画がずらりと並んでいて、ダイヤル式の電話と灰皿が置いてあって、おばちゃんがひとりでテーブルを拭いていた。こういう店が好きだ。誰かといるときには中々入れないけれど、一人でいるときは、嬉々として入る。神妙な顔をしながら、心の中では「わーい!」と思っている。
軽い気持ちでホットサンドを頼んだら、四切れもついてきてびっくりした。ホットサンドは軽い気持ちで頼んではならないと知った。バターで揚げたくらいさくさくのパンに、マヨネーズで和えたみずみずしいきゅうりがおいしかった。テレビでは日曜の朝にふさわしい、のどかな番組が流れていた。


眼の調子が悪くて眼科に行ったら、角膜が傷ついているのでしばらくコンタクトはしないでくださいとのこと。しくしくしながら目薬をもらった。私はメガネが似合わない。寝る前しかメガネをかけないから、柄が折れたままのやつをずっと使っている。これを機に新しいのを買えということなのか。そうなのか……。
メガネが似合うかっこいい大人になりたい。なりたい。祈ったところで何も変わらないので、近々メガネを探しに行かなきゃいけない。腰が重い。似合うメガネって、自分じゃわからなくないですか。

できるだけ身軽でいたいのに、本だけはやけに増える。そんなに大人買いはしないようにしているのに、着実に本棚を圧迫している。カラーボックスに2重になっている。大掃除の序章を始めなければならない。
来年は20代の折り返し地点らしい。信じられない。私はどこへいくんだろう?私の人生のそばにあった本たちを眺めて思う。
未来はわからないから、とりあえず今は本の整理。本のいっぱい入る棚がほしい。できれば部屋もほしい。これなつかしいな、好きだったなあ…(ここで暗転、2時間が経過する)。

秋を撮った。



今週末はもう12月。街がきらめいて人はせわしなくて、時間が捲れていく。雪が積もる日も近い。





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