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弥生時代にタイムスリップしてしまった

10才の時、弥生時代にタイムスリップした。


というのは、少し嘘で。夏休みの弥生時代体験なるものに参加した、というのが正しい。夏休み独特のユニークなレジャーに、自ら申し込んだ。

好きな”時代”がある人はいるだろうか?
私は、昔から「古代日本」が好きだ。そこはかとない郷愁を感じる。縄文~奈良時代だけの超・短いスパンの歴史のテストで、偏差値90をたたき出した。(美しき黒歴史)
好きな”時代”があるのはとても幸せな心地。いつでもその”時代”に心が、たゆたう。そんな、郷愁を持っている人は、言わないだけで、実は多いんじゃないかな。

そんなモチベーションから弥生時代体験に応募した。

時代は平成。と言えど、今思えばかなり忠実に再現された体験だった。本物の麻で衣服を作り、自分たちで見つけた木の枝で火をおこす。古代米を釜で炊き、石包丁で肉を切る。夜は遺跡の竪穴式住居で、麻の編物の上に寝る。(▼竪穴式住居)

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当時、携帯電話を持つ最先端な小学生が、徐々に現れ始めた時期だったが、もちろんそんな電子機器やゲームの持ち込みもダメだった。真夏だったがシャワーももちろん無く、制汗剤「8×4」「シーブリーズ」も持ち込み禁止。弥生人になることを、かなりやんわりと強いられた。

あの時の、夏の湿った風と、麻に満ちたにおいを忘れない。



弥生時代体験には、親友Yちゃんを誘った。
色白なYちゃんは弥生衣装がとても似合っていた。腰の麻紐をリボン結びにしたり、火起こしでウホウホ言ったり、平成を忘れて弥生時代をエンジョイした。

でも、日が陰り出した夕刻に事件は起こる。
Yちゃんと、急に離れ離れになったのだ。


この行事には、他校の小学生もたくさん参加していた。主宰者のおばさんが乗り気になり「ムラ生活」をさせようと、参加者を二つのグループに分け始めたのだ。そこで、Yちゃんと別のムラ人になってしまった。

弥生時代の「ムラ(=村)」とは、今でいう自治会みたいな集団。一泊と言えど、古代米を食す時間も、寝る竪穴式住居も、別。寂しい。
(▼ムラのイメージ)

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何度も抗議したが「ムラはムラ!」と聞いてもらえず、やむなくYちゃんと離れて、知らない人の中で弥生時代を過ごさなければならなくなった。この時ほど、平成に戻りたい時は無かったと思う。


でも、人は順応していく。

食事のあとには、不思議とすぐに新しいムラ人達と仲良くなれた。真っ暗な中行われた土笛演奏会の時に、ちらっとYちゃんを見ると、知らない子とニコニコしていた。

私たち二人は、違うムラで、新たな共同体に馴染んでいった。

竪穴式住居で眠る時は、ほとんど土の上だった。でも、意外にも土は柔らかいし、麻の布は涼しくて気持ちよかった。
同じ竪穴の下(?)、恋バナもした。「好きって何だろう?」と言うおませな子もいて、環境がこんなに違っても、オープンマインドさせる夜の不思議な力に驚いたりもした。肝試ししようと、隣の竪穴式住居に行こうとしたら衛士(守衛さんみたいなおじさん)に止められた。

その時、ぱっと夜空を見上げた。これでもかというくらいに星が瞬いていて、手が届きそうなほどだった。あの瞬間だけ、本当に弥生時代にタイムスリップしたんじゃないかと、今でも思う。

そこは遺跡だったから、何千年も昔の人たちが、同じ場所で、同じように、生活してたんだろうなと、幼心に感動した。きっと、恋バナしたり、夜中に隣のムラへ行ってみたり。今とたいして変わらなかったんじゃないか。

巡り巡って、また会えた人、やっと会えた人がいる。人の出会いは、そう循環してるんじゃないかと、思わずにはいられなかった。


朝になり、古代米を食べたら、そのまま解散になった。きっと私もだけど、Yちゃんは確実に「違うムラの人の顔」になっていた。


日常に戻ると、鮮やかなテレビや、ふわふわな布団があって、見事に平成だった。何事もなかったかのような一泊だったが、あんな夜空を見たのは、たった一日、あの日だけだった。

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