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愛のある嘘をつこう。しっぽを振り続けよう。#『さくら』西加奈子との後日談付き

先週書いた、随分と心を込めて書いた『さくら』の感想文は、最後に読めるようにしました。
タイミングミスの多い人生です。

🌸

人間は、嘘をつく生き物だ。

たとえば、子どもの時。遅刻した理由や、宿題を忘れた理由に、わかりやすい嘘をついた。

しかし、歳を経るに連れて、嘘の質は変わる。

泣きたい気持ちを隠してあえて笑ったり、好きなのに「さようなら」と逆のことを告げたり。大人になってつく嘘は、少し雰囲気が違う。「逃げちゃえ!」というずるい感情が全くなく、逆に痛みが伴う。

それは、どうしてだろう?



20歳の時に、実家を出た。

みんなと同じような上京ではなく、ほとんど通勤距離圏内くらいの場所に引っ越した。家族が崩壊してしまったのだ。そして、ぽっきりと心が折れて、どうしようもなくなってしまい、ひとりになることを選んだ。

「実家から通える距離じゃない?」と言われるたび、今でも胸は痛む。

「私だって、実家で家族と一緒に住みたいんです」

この一言を、何度、飲み込んできたんだろう。

「バスとか乗り継ぐと三時間くらいかかるので」という嘘の定型文は、無理やり三年もかけて作り上げたものだ。


大人になってつく嘘は、本当の心が隠れている。
その胸の傷を、他人に見えないようにする努力を怠らない。それは、これ以上傷ついたら立ち直れないほどに、悲しいからだ。

でも、もっと本来の理由がある。
大事な人を傷つけたくないということだ。

もし私が「家族の心がバラバラになったから、一人で家を出たんです」と正直に言ったならば、みんなこう言ったり、思ったりするだろう。

「ご両親はどうしてるの?」
「あなたは悪くないよ。」
「かわいそう。気の毒に。」


これは、私の家族を責めているのと同義の言葉だ。私は家族を愛しているから、いつも嘘をつく。

嘘をつくときは、あんたらも、愛のある嘘をつきなさい。騙してやろうとか、そんな嘘やなしに、自分も苦しい、愛のある嘘をつきなさいね。

私が『さくら』の中から好きな一節を選ぶとしたら、この言葉は一位か二位を争う。『さくら』は、全員がこの「愛のある嘘」をついている。でも、その愛があまりに深すぎて、真実なんじゃないかと思わせてしまう。

嘘そのものは道徳的に、善くない。
でも、誰かを守る言葉なら、全てゆるされる美しい嘘だ。『さくら』を読めば、私もつかの間、自分をゆるすことができる。


『さくら』は家族物語である、とよく目にする。しかし、なんだかそれだけでは括ることができない、と思ってしまう。恋愛もあれば、友情もある。性的な面もあれば、一瞬にして、死の物語にもなる。たまたま、それらが、長谷川家に起きているだけなのだ。そして、たまたま私たちは、その一部始終を目撃しただけなのだ。

その”たまたま”という平凡さは、白地の表紙からも滲み出ている。

その平凡な家族に貫かれている数々の嘘によって、物語は呆気なく惨劇になる。それなのに、この物語が、桜の花びらのような美しさで終わるのは、長谷川家の一人一人が背負った嘘が、誰かを守り、待ち望み、慕い続ける愛に集約しているからだ。

妹の美貴が、あってはならない恋心を抱いてしまったこと。その相手が、血のつながる兄・一(はじめ)だったこと。恋慕ゆえに、遠回しに兄・一を、死に追いやってしまったこと。父の昭夫が、息子の死に耐えられずに黙って家を出たこと。母の空元気。次男・薫の上京。挙げたら切りのない数々の悲劇は、とどのつまり、愛の重みに耐えられなかった末の人間の行動だ。


でも、たった一人、嘘をつかない存在が登場する。
題名でもあり、一家の中心にもいる、長谷川家の飼い犬・さくらだ。

さくらは、決して嘘をつかない。嬉しい時にはブンブンと、悲しい時にはゆたっと、しっぽを振り続ける。
家族が抱く喜怒哀楽、家族に生じるすべての悲劇に、善悪をつけない。

ボール!あの軽やかな跳ね!

どんな悪送球が飛んできても、この物語に散らばる愛を拾い続けてくれているから、結末は恐ろしいほどにあたたかいのだ。

私が、この物語を好きな理由に、さくらに似たような犬を実家で飼っているということがある。
彼女もまた、しっぽをぼわんぼわんと振るわす犬だ。私の名前を空呼びすると、駅の方へ走り出すらしい。たまに、逢いに行き、帰る時に「お姉ちゃんはちょっと遠い学校へまた留学するね」なんて嘘をついてしまう。その時の「行ってらっしゃい」という彼女の顔と、舌の色と、しっぽを見ると、泣かずに電車には乗れないのだ。


嘘をつく私にも、しっぽがあれば良かったのに。─そう思って止まないが、人間には「言葉」がある。嘘もつけるけれど、本当の気持ちを表明できる口も、言葉も、表情も、ある。それを使うのが、私に託された使命だ。でもやっぱり嘘をついてしまうのも人間だ。ただ『さくら』を読んでいる間だけ、いつも本当の心は暴かれ、「やっぱり私は家族が好きだ」と口に出してしまう。

嘘をつくたびに、私の見えないしっぽは動いている。苦しさが、愛情から生じていることを知ってしまう。

哀しさは、いつも愛の隣にある。


私の心には、傷と傷でつぎはぎになった愛がある。それを、誰がなんと言おうと、恥じずに持ち続けていたい。

🌸

私には、『さくら』をめぐる後日談がある。

『さくら』は私が実家を出た日に購入した本だが、同時期に、たまたま母も購入していた本だった。それは、本当に偶然の出来事だった。だから、『さくら』は、嘘をつき続ける私と母をつなぐ大切な一冊なのだ。

この本を通して、著者・西加奈子さんを大好きになり、サイン会で手紙を渡したら、なんとお返事が届いた。

その数年後、街中で西加奈子さんに、ばったりとお会いした。
本当に奇跡はあるのか、と思った。「いつか、もしお会いできた時に感謝を伝えよう」と思い、持ち続けていたお手紙を、僭越ながらご本人に見せたら、すごく喜んでくださった。しっぽがブンブン振るえて、泣いてしまった。

その日は、ちょうど4年前、『さくら』を持って泣きながら引っ越した日だった。


西加奈子『さくら』を語るページ(6年前)

語りすぎた(映画化にあたり)

語りに語りを重ねる(映画化にあたり2)

西加奈子さんに、届くといいな。

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