記憶と言葉と景色

はじめまして
お久しぶり
おはよう
こんにちは
こんばんは
Moon God Coffeeです
京都で自家焙煎珈琲屋をしています
月神と申します

過去のことや
人から言われたことを突如として
思い出すことがあります

それが

何かの行動と結びついて
思い出されます

例えば

鏡の前で
アイラインを引いている時に
東京にいった日に見た
何気ない景色を思い出したり

バイト先で
コーヒーの粉に一投目の
蒸らしのお湯を注ぐ時
一年前に言われた言葉を思い出したり

なぜその行動に
その景色や言葉が
結びついているのかわかりませんが

きっと
何かの因果関係があるのかもしれないし
ないのかもしれないし

その答えはきっと
一生出ないのだと思います


私の書く文章を読んで

[思ってたのと違う]

と思われたことや


私の話を聞いて
[その歳でまだそんなことやってるの]

と言われたことや

[本読んでるのにそんなこともわからないの。馬鹿じゃないの]

と怒鳴られたり

なんともまあ
と思います

最近はそういう場面を
次々と思い出します


場所や環境が変わると
話す人も変わりますし
周り方の目も変わります

立場で見下す人が多くいます

そして

今まですごく恵まれた環境にいたのだなと

相手が怒りでぶつかってきたら
私は戦いません
ただ聞くのみです

傍観者のような心で防衛する

それのみです

でも

心にはそういう垢みたいのが
ちゃんと溜まっているのです

思いに任せて
言ってしまって
相手を傷つけて
あとで謝っても
つけた傷は治らない

だから

言葉は怖いものなのです

だから思うのです

人を傷つけないようにしないと

でも

それはきっと不可能で

きっと人は傷つけたり
傷付いたりして

生きていくのだと

私もきっと
色んな人を傷つけてきた

私にいろいろな言葉を浴びせてきた人たちも

元を辿れば

もしかしたら
何か私が傷をつけたのかもしれない
その悲しみが
その言葉を生み出してしまったのかもしれない

しかしね
傷つけて良い理由になんてならないのです

最近
コミュニティとか
仲間作りとか
インスタ運用とか
ペルソナとか

そういうのから
逃れ逃れて
此処まできたのに

またか

同じ場所にたどり着いてしまったのではないかと

純粋に
コーヒーが好きで
一緒に飲んで
楽しくお話して
今日もおつかれさま
って
一日を終われたら
十分なのに

また学生に戻った気分です
グループとか
誰と誰が仲がいいとか

そういうのから
やっと解放されたのに

思い出すだけで
砂を噛んでいるような感覚になります


要するに
友達を作るのって
大変だなと
つくづく思います

最近気づいたのですが
近頃
私は
全員とほぼ敬語で話しています

タメ口で話したら
ちょっと変わるでしょうか

そういう相手が必要なのかもしれません

明日は休みだけれど
様々なことに
追われています
ちょっとだけ
ゆっくりしたいです



合言葉は


ごきげんよう

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