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四国大戦 六番札所 安楽寺 および 七番札所 十楽寺 1

 最初に異変に気が付いたのは、牧場の牛たちであった。
 アッパーボード牧場の一人息子、光太郎は小屋の清掃を終えて箒を用具入れに立てかけたとき、牛たちが一斉に南の方向へ耳をそばだてていることに気が付いた。しかし彼はそのとき「まぁ、こんなこともあるだろう」と気にも留めず、牧場で働く下男で友人の真央と共に家の縁側で昼寝をすることしか考えていなかった。
 搾乳したての牛乳を飲み、縁側に寝そべる。八月のことだから天気はすこぶる良いどころか蒸すように暑く、二人は簾を張ってその影に寝そべった。
 光太郎と真央は同じ年、同じ月に生まれた十六歳の少年である。しかし真央の両親は、真央が幼いうちに流行り病で他界し、不憫に思った光太郎の両親が下男として引き取ったのだ。以来、この牧場に住み込みで働き、光太郎とは兄弟のように仲が良い。
 本来ならば、二人とも結婚していてもおかしくない年齢ではあるのだが、そこには微妙な理由があった。しかし今は昼寝である。
「簾から吹く涼しい風を浴びながら寝る! これ以上、素晴らしいことがあるか真央」
「ある」真央が言った。「安楽寺の温泉だ」
 四国霊場六番札所、安楽寺は寺であるにもかかわらず温泉と宿泊施設を有する福祉特化型の寺である。かつて弘法大師が、四国の公衆衛生向上と福祉の充実を図って建造したのだ。
「安楽寺の温泉はずるいやぁ」
 などと言いつつ、光太郎は「久しく行ってないから、そろそろ行ってみるか」と思いつつ腹をかいた。
「こらっ! 腹を出して寝おって!」
 そこに現れたのは光太郎の父である。
「寝てばかりいると牛になるぞ」
「もー」
 光太郎が言うと「ああ、息子が牛になった」と嘆きながら自分も光太郎の隣で横になって「もー」と鳴いた。そこへ通りがかったのが光太郎の母である。
「あらやだわぁ、もう。みんな牛になってしまったわ」
 そう言いながら父の隣に寝そべって「もー」と鳴いた。
 こうして家族全員が牛になったところで、本格的な昼寝が始まったのだが「大変よ!」と、近所に住むサトウキビ農家の少女、レンレンが二つのおさげを牛の尻尾のように振り回しながら家の庭先に駆け込んできた。このレンレンも、やはり光太郎と真央とは同い年であり、幼馴染でもあった。そして彼女こそ光太郎と真央が結婚に踏み切れない理由であった。二人とも彼女が好きなのである。しかしどちらかが結婚を申し込めば、それまでの関係が破綻することは目に見えていた。
 レンレンもそれを知ってか知らずか、自らは踏み込んでこない。それでついつい、問題を先送りしてしまう。
 どうしたものかと思いつつも、光太郎は昼寝から起き上がった。
「なんだレンレン。俺たちは今、牛になっているところなんだ」
 光太郎が文句を言うと、他の三人も「なんだなんだ」と起き出してくる。
「お寺が、お寺が歩いているの!」
「寺が歩く?」
 真央が寝ぼけ眼を擦りながら「そういう夢を見ていたような気がする」と呟くように言った。
「そりゃあれだよ、レンレンちゃん」
 光太郎の父が人差し指を立てた。
「もしかすると弘法大師の機動寺院が、いよいよ起動したのかも知れねぇ。前に安楽寺のお坊さんが言ってたんだ。四国霊場八十八カ所は、『寺の方から人に参拝する』をコンセプトに作られて、最後の寺を建てた瞬間に歩き出すんだよ」
「じゃあ、いつかうちの前にも来るかもしれないわ。そのときは牛さんも温泉に入ってもらうといいわ」
 光太郎の母は呑気に呑気なことを言った。
「それだけじゃないわ、人を手当たり次第にパクパク食べてるらしいのよ!」
「寺が人を?」
 光太郎が首を傾げると、他の三人も首を傾げた。
「仕方ない、父上、母上、俺は真央と一緒に様子を見に行ってくるよ」
「道草食わずに三時には帰って来いよ。仕事が残ってるんだから」
「わかりました」と、真央が返事する。
「じゃあ、ちょっくら行ってくるか」
 光太郎、真央、レンレンの三人は牧場のある高原を駆け下りて麓の町へ降りる。
 町は一見して、何も変わりが無かった。
 何ともなってないじゃん。
 光太郎がそう思ったのもわずかな間で、通りに入ると「わー」「きゃー」と悲鳴を上げながら走る人々に出くわした。
「何だ?」
 何から逃げているのかと、人々が向かってくる方を見ると、そこには甲殻類に似た足を複数生やした安楽寺が、ロボットアーム『木魚』にて人を掴み、次々と人間を本堂へ放り込む姿が見えた。
「ひえっ!」
 光太郎は思わず腰を抜かした。
「どうした!」
「あ、あれ!」
 真央が助け起こそうとして、光太郎が向けた人差し指の先を見て固まる。
「寺が歩いて、人を食ってる?」
「私、そう言ったよね? 私、そう言ったよね?」
 レンレンが震えながら同じことを二回言った。
「逃げるぞ!」
 光太郎は膝を震わせながら、真央に助けてもらって何とか立ち上がり、牧場へ向かって駆けだした。
「何で寺が人を食ってるんだよ!」
 真央が言うと「知るか!」と、光太郎が叫んだ。
「どうすればいいの?」
 レンレンが言った。
「分かんねぇ、とにかく谷の方へ逃げるしかねぇ。レンレンも家族を連れて逃げるんだ!」
 レンレンと別れた光太郎は、牧場の家へ辿り着く。両親は縁側で昼寝を継続していた。
「大変だ、父上! 母上! 安楽寺が本気と書いてマジで人を食ってる! 逃げよう! 町の人もみんな逃げてるし!」
「マジか? ここまで来そうか?」
 父親が問う。
「分からないけど、とにかく逃げよう! 谷の方に!」
「牛さんたちはどうしましょう? お寺は牛さんも食べるのかしら? お母さんわからないわ」
「俺も分かんないけど、とりあえず逃げましょう」
 真央の言葉に父親は頷いて「そうだ、命あっての物種だ。とりあえず逃げるぞ!」と、アッパーボード牧場の四人は、着の身着のまま北の谷へ逃げ出した。
 谷では既にレンレンの家族がいて、他にも多くの住民たちが押し合い、へし合い、固まっている。
「菓子屋の寅じゃねぇか」光太郎の父親が知り合いを見つけた。「寺が人を食いだしたって本当か?」
菓子屋の寅は下腹の出っ張った親父だった。彼は人当たりのよさそうな眉を曇らせて「本当だ」と答えた。
「金屋のビッグ・ダニエルの息子が二人食われたらしい。参拝途中で……」
「そりゃ気の毒に……」
 光太郎が見る限り、避難してきた住民は三パターンの人間に分かれていた。
 親族が寺に食われて消沈している者、機動寺院を目にして恐怖する者、そして訳が分からず情報を求める者だ。
 わけがわからねぇ。
 光太郎は額を押さえた。
 ついさっきまで、縁側で呑気に寝てたのに何でこんなことになってんだ。俺はまだ夢でも見てるのか?
 すると悲鳴が上がった。谷の入口の方からだった。
「安楽寺が来るぞ!」
 悲鳴は次々に連鎖した。まず機動寺院の恐怖を知る者から先に、それから「本当に寺が歩くのか?」と機動寺院を見ていない、半信半疑の者たちが後ろを見ながらノロノロと続いた。光太郎の父親もその一人だった。
「父上! 早く!」
「だってよう」
 光太郎は父親の手を引きながら谷の奥へ向かった。
 やがて腹の底にズシン、ズシンという音が地響きと共に聞こえ始めた。
 ドガン、と機動寺院の足が山肌に突き刺さる。
「あ、安楽寺が」
 父親が愕然として言った。
「歩いてやがる」
 安楽寺は谷の左側の山を、木々を蹴散らしながら突き進んでいく。落石が谷へ落ちる。
「危ない! 岩が落ちてくるぞ!」
 光太郎は叫びながら、父親と共に谷の窪みへ身を寄せた。真央と母親もそれに続く。
 幸い、光太郎たちのところには、岩は落ちなかった。その代わり谷の奥へ駆ける群衆の一団に、ひときわ大きな落石が降る。思わず光太郎はきつく目をつぶった。一瞬遅れて、絶叫が谷中に響いた。
 どうか知り合いが、あの落石で死んでいませんように。
 気が付くと光太郎は両手をこすり合わせて祈っていた。普段、祈りを捧げる対象である寺が、この事態を引き起こしているという皮肉に気づく余裕は無かった。
 安楽寺はそのまま山の向こうへ去って行った。落石で死んだ人間に光太郎の知り合いはいなかった。
 落石の死者は四名。足腰の弱い祖母を背負って来た十二歳の少年と、赤子を抱いていた商人の妻である。


 牧場に戻ると、牛たちは無事であった。その代わり、牧場には機動寺院の通った後らしい踏み跡が残されている。
「何にせよ、牛が無事でよかった。寺は牛に興味がねぇみてぇだな」
 光太郎の父親は厩舎の牛を見ながら、安堵の息を漏らした。逃げるときはああは言ったが、もし牛が食われていたら明日からどう生活していけばいいのか分からない。
「柵が少し壊れていたけど、すぐに治るよ。あとは家の方だけど」
 光太郎が言うと、真央が厩舎に入って来た。
「家の方は無事です」
「そうか」
 父親は二人に向き直る。
「俺は新之助さんのところに顔を出してくる」
 新之助とは上板町を取り仕切る庄屋である。
「取り合えず、今後のことを相談しないとな。うちは無事だが、その分、大変な目に遭っている連中に出来るだけのことをしたい。しなくちゃならねぇと思う。午後の仕事は頼んだぞ」
「分かった」
「はい」
 二人が頷くと、父親は厩舎を離れていった。


 父親が帰って来たのは夕方だった。彼は光太郎と真央に、相談したことを丁寧に説明してくれた。
 まず今回、寺に食われた人々の多くが、足腰の弱い老人であること。実際的な被害は家屋の倒壊が多く、田畑やその他の牧場も無事なことから、寺の狙いが破壊や略奪ではなく人間そのものにあるのではないか、ということ。今回の事件をひとまず国府に報告するために人を遣いに出したこと。今年、徴収される税に関する相談や、機動寺院に対する具体的な対処は、隣町の阿波にある国府からの報告を待って行うこと。
「今のところ、またあの寺が来るか分からねぇが、来たときはやっぱ谷の方に逃げるしかねぇわな」
「落石は?」
 真央が聞く。
「仕方ねえさ」と、父親は肩をすくめた。「あのデカブツが通れない狭い場所はあそこしかねぇんだ。大工が下に空いた窪みを広げるって話もあるが、しばらくは機動寺院が潰した家を直すのに手いっぱいだろうし」
 光太郎は険しい顔で宙を睨んだ。脳裏にあるのは、大岩が群衆に落ちる瞬間の光景だった。あんなものはもう二度と見たくない。
「ま、分かんねぇことをあれこれクヨクヨ考えても仕方ねぇ!」
 父親が光太郎と真央の肩を叩く。
「取り合えず、国府から返答があるまでいつも通り過ごすしかねぇ。ただしあまり遠くには出歩かないこと。いいな?」
 光太郎と真央は黙って頷いた。
 数日してから、国府から返答が届いた。それによると、今回の機動寺院による人食いは、少なくとも徳島の全域で発生していることが分かった。また国府は四国全土の情報収集を進めるとともに、平安京へ使いをやって。救援を求めているらしい。
「平安京には偉いお坊様がたくさんいらっしゃる。数年前の戦争じゃ、破壊僧と言う特殊部隊が大仏を撃破したって話もある。寺だってきっとなんとかしてくれる」
 父親はそう言うが、事態は進展しなかった。
 安楽寺は一ヵ月後、再び上板を襲撃した。
 今回も光太郎は家族を連れ、谷の方へ逃げ延びることとなった。
 寺の再襲撃に備えて、避難訓練を行ったことが幸いしたのか、人々はスムーズに谷へ逃れることが出来た。また、足腰の弱い老人は当番を割り当てて足腰の強い若者が背負って避難することになった。
 おかげで、寺に食われた足腰の弱い老人の数自体は少なくなったが、足腰の弱い老人を背負って逃げ足の遅くなった若者が、老人と共に寺に食われるケースが頻発することになる。
 また、この再襲撃後に町民たちは安楽寺の移動途上で干からびた死体を発見する。外見的特徴から、どうやら最初に寺に食われた人間らしい。
 しばらく息のある人間もいた。元は菓子屋の寅の、頑健な若者は老人のような姿になっていた。彼によれば、安楽寺に食われた人間はロボットアーム『木魚』の強烈な電気ショックに脅迫されながら、ただ一心に祈ることを強要されるらしい。
 疲弊した人間は、ロボットアーム『木魚』の解除によって温泉に入れられ、布団による十分な休養を与えらた後に再び祈りを強いられるのだという。
 それだけ言うと、菓子屋の息子は息絶えた。
 彼の言っていることは本当らしい。聞くところによると、福祉施設を持たない他の機動寺院の襲撃頻度は、月に一回では済まないようだった。
 平安京からの連絡を待つと言った国府からも、音沙汰は無い。
「なるべく皆さん、助け合って今回の困難を乗り切りましょう」
 上板を取り仕切る新之助はそう言ったが、助け合いの精神が続いたのも最初の三ヵ月までだった。

「機動寺院は怖くない! 若者を殺すな!」
 光太郎と真央がそのような演説を最初に町で聞いたのは、牛乳を町に卸している最中のことだった。数名の若者が『機動寺院を恐れない』というプラカードを掲げて町を行進しているのである。
「何だありゃ?」
 光太郎が荷車の上で言うと、仕入れ先のチーズ屋の店主が「デモ行進でさ」と答えた。
「最近、若い奴らが集まって何だかああいうことをしているんです」
 光太郎は牛乳を荷台から降ろす手を止めて、デモ行進の方を注視した。荷馬車の下で空の樽を転がす真央も、樽を置いて同じく様子を見守った。デモ行進は一時中断され、先頭に立つ大柄で肌の浅黒い若者が何事か大声で言っている。
「みなさん聞いて下さい! 機動寺院による死者は、数年前に起きた不作の際に発生した死者よりもずっと少ないのです! だから機動寺院は危険では無いのです!」
「何を言っているんだあいつは。機動寺院は危険に決まってるだろ」
 思わず真央が呟いた。光太郎も同意見である。
「むしろ機動寺院は、経済活動に不必要な足腰の弱い老人を優先して襲います! 足腰の弱い老人を養う手間が減って、家族は大助かりします! 機動寺院の襲撃では、大切な若者が、足腰の弱い老人を背負って逃げることで巻き添えになるケースが多発しています! みなさん! 足腰の弱い老人は置いて、機動寺院に食べさせましょう!」
「ひどいことを言い始めたぞ。足腰の弱い老人を食わせろだなんて、あいつは足腰の弱い老人に恨みでもあるのか。というか、なんであいつに人の命をとやかくいう権利があるんだ」
 光太郎は憤慨するが、しかしあの男の後ろには、数十人規模のプラカードを持ったデモ隊が存在するのだ。それなりに支持を集めているには違いない。
 寺が歩き出してからと言うものの、世の中がおかしくなっている。
「仕事をしよう」と、光太郎は真央に言う。
 二人は牛乳の入った樽をチーズ屋に卸し、空の樽を引き取って牧場へ帰った。二人で御者席に座り、真央が手綱を引いて牛に荷車を引かせた。
 途中でデモ隊とすれ違う。
「機動寺院と共生しよう!」
 デモ隊が叫んだ。
 機動寺院と共生? 馬鹿な。
 光太郎はズシン、ズシンと足音を響かせてこちらへ向かってくる安楽寺を思い返す。
 あれと共生だと? ありえない。
 ではどうしろというのだろう? 光太郎は自問する。
 弓で、槍で、剣で、立ち向かえというのか。光太郎はかぶりを振った。そうした荒事は、国府が抱えている武士の仕事だ。自分の仕事ではない。最初の襲撃から時間も経って、情報も集まっているだろう。国府の方からも対応の方針が定まって、じきに連絡が来るはずだ。
 季節は秋に移り変わろうとしていた。帰り道にひぐらしが鳴く。
「光太郎、どう思う?」
「うん?」
「あのデモ行進の連中だよ」
「ああ」
 真央は難しい顔をして「俺はあいつらのことが少し分かる気がする」と言うので、光太郎は驚いて「おい」と言った。
「勘違いしないでくれ。奴らの主張に賛同しているわけじゃない。だけど、もしこのまま機動寺院が四国を暴れ回るようなら、ああいう奴らが現れても不思議はないと思うんだ。四国の外に親類縁者や、行く当てがあるものならまだしも、ここで暮らすしかないなら機動寺院をある程度は受け入れて生きていかねばならない」
「馬鹿な! あんなものと共生など――」
「しかし、俺たちは機動寺院から逃げることしか出来ないじゃないか。正直な話、俺は武士の軍隊でも勝つのは難しいんじゃないかと思っている。あれは仏の御業だ、武士が弓や槍を持ってどうにかなるのか?」
「してもらわなければ困る」
 光太郎は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。向いた先、西の山へ日が落ちようとしている。夕日が、道の脇に茂るサトウキビ畑をオレンジ色に照らした。畑には所々、モグラ塚のように土が点々と盛り上がったように隆起している。機動寺院の通った後だ。
「かつて平安京に、大仏が進撃したという話を聞いた」
 真央が再び口を開く。その話は光太郎も知っていた。
「保元の乱か。その大仏を破壊僧が撃退したんだろう。ホラ話かと思ったが、寺が歩くんだ。大仏が歩いても不思議はねえや」
「破壊僧なら、あるいは機動寺院を破戒してくれるやもしれん」
「けっ、それじゃあ今から念仏唱えて修行でもするかい」光太郎は腕を組んだ。それから真剣な調子で「いや、俺たちは坊さんじゃない。牛飼いだ。俺たちには俺たちの出来ることがあるはずだ」
「ほう、そいつは何だ?」
 真央が感心した様子で光太郎に問いかける。
「わからん。だがいつか、やるべき事をやる時が来るかもしれん。きっと今は耐えるときなんだ。正気を失わずにな」
「正気か、失わずにいられるだろうか」
 夕焼け空に問う。返ってくるのは、ひぐらしの鳴き声ばかりだ。

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