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2022年を振り返ってみる

年末なのでね…
2022年を振り返ってみたいと思います。

強い自責と不安定さ

1月

・昨年末に親戚で起きた不幸なできごとから
がっつりと自分と向き合うことになる。

・言葉の端々から、春から変化があることを感じとる

・放送大学入学が決まる。

・事故に遭った日を迎えて、さらに不安定になる。

2月

・がっつり自分と向き合ってふらふらな状態で
事故に遭った日を迎えてすぐにリハ科受診する。
まだちょっと拒否的反応になる。

・左上腕の痛み続く。神経障害?ありと判明。

・地元病院の整形主治医、異動になる。
後任は院長。

・訪看さんもお休みに入ることを伝えられる。

・学び直しに逃げた、と自責が強くなる。

3月

・自責が強い状態続く

・自分の謎解きが進む

・まさかの大学リハ科主治医、異動になる。

・地元病院整形主治医最後の外来では
4月以降の確認がメインだったので泣かなかったけど。
内科受診後、看護師さんと話をしていたら
診てもらっていた3年間のいろんなことを思い出して、泣く。


怖さ<やってみたさ

4月

・放送大学入学。看護の勉強会に参加する。

・左上腕の痛みは神経痛性筋萎縮症と診断される。

・3回目のワクチン接種でアレルギー発症。

・その時の対応で、コミュニケーションエラーを起こす

・でも、救外でよく知る看護師さん達が対応してくれたので大きく崩れずにいられた

・アレルギー発症したこと、副反応で点滴生活になる。

・点滴生活になったので、不足分の処方を
院長ではなく
4月から常勤で来た先生から出してもらうが
ここでもコミュニケーションエラーを起こす。

・整形外来の看護師さんから話を聞いてもらって、整理する。

・いろんなことに対応しなければならなくて
いっぱいいっぱいになって、空気が抜ける。

5月

・1回/週の新潟通いが始まる

・電車で座れず床のひとになる。
これをきっかけに、といびとさんと同じ電車で新潟に行くことになる。

・大学精神科の先生、急遽お休みという事態に1人で対応することができた。

・大学はリハ科トップの先生単独の診察になりいつもの病院では院長が主治医という体制がスタートする。

・自責、依然強い状態。

・いつもの病院内科受診後、外来の看護師さん2人に関わってもらって泣く。

6月

・自責、少し和らぐ

・リハ科受診後の揺れについて、院長にも話すことができる

・訪看さん交代する

・放送大学の学生交流会に継続参加する

・「やってみたいこと」が見えてくる

・おひとりさまカフェ活動ができるようになる

・県民会館でのコンサートに初讃歌。
以降、ゴスマニ活動を本格的に開始する

・地元病院前整形主治医に会ったので
院長にもちゃんと「言えて」るよ、と報告する。


いろんなことが見えてくる

7月

・県民会館からの帰りにご一緒したマニさんとの会話のなかで、たくさんの気づきあり。

・自責、消える。

・リハ科にて「社会的立場を変えること」への投げかけあり

・といびとさんと一緒に新潟まで行くようになる。

8月

・社会的な立場が変わる

・ボランティアを開始する

・「伝えること」について、少し考え始める

・放送大学が夏休みに入ったので、慢性期看護や
喪失へのケアについての学び直しを始める

・腹痛、血便などの症状あり、いつもの病院総診受診する

・総診でコミュニケーションエラーを起こすが
不安から強迫的になることもまた、理解する

9月

・「伝えること」について、準備を始める

・便潜血(+)だったので、CF実施。
ポリープ見つかったので切除する。

・ワクチン接種4回目でもまた、アレルギー発症して搬送される。


いろんなことができていると実感する

10月

・といびとさんとの「月いちごはんの会」が始まる。

・病理診断の結果、大腸癌と診断される。

・以前からPPI関連胃症があるのは知っていたけれど症状が激しいので、異形成のリスクあり。
消化器内科チームで共有+年1で内視鏡、と。

・大腸癌に関しても、年1で内視鏡。

・がん告知での揺れが大きいため、メイラックス内服する。(10日間)

・CRPSの受容過程で抑圧してしまったことが
問題を複雑化させた要因では?という仮説が
わたしの中にあるので、がんに関しては抑圧せず
家族のフォローも緩和ケアに依頼することにする。

・消化器内科でのがん告知の5日後に
母サマ転倒からの外傷性くも膜下出血で入院。

11月

・母サマ入院に伴い、家事負担など増えてペーシング障害を起こす。

・母サマ入院先の看護師とコミュニケーションエラーを起こす。

・いつもの病院整形外来の新しく来た看護師さんともコミュニケーションエラーを起こす。

・一旦終了したメイラックス内服を再開。(12日間)

・「辛い」「苦しい」「助けて」が言えるようになってきているので医療職者に助けを求めたり。
牧師、母サマの次兄夫婦、妹に助けを求めることができたり
母サマのかかりつけ病院、脳外科主治医にもわたしの状態を知ってもらうことができた。

12月

・リハ科受診後の揺れが少なくなってきた。

・コミュニケーションエラーを起こしているんだよね、と伝えることができるようになった。

・いつもの病院に転院して、車椅子になるまでを知っているPTが戻ってきたので(定年後の再雇用)
「今のわたし」を見てもらうことができた。

・教会での様々なことを通して
「社会生活が送れているんだな…」と感じる。

・自身の内面を言語化して伝える、ということ
コミュニケーションを図る、ということが
できているんだな、と感じたり
人と関わるのが好きなんだ、と実感する。

まだまだいくよ、どこまでもいくよ

昨年度までは
受診の他に教会へ行っていたけれど。
まだちょっと対人緊張や対人不安があったり。
週2で活動ができれば良いかな?という状態だったけど。

4月から放送大学の勉強会に出席したり
学生交流会に参加したり
交流会つながりでのイベントに参加したり
なんだかんだで月に5~6回、新潟に行っていたり。

教会でも
いろんな人と話をするようになって。

といびとさんと同じ電車に乗るようになってからは
かなり距離が縮まってきて。
「月いちごはんの会」が始まったり。

介助と配慮が必要な方のところに入るようになったり。

ゴスマニ活動を本格的に始めて
初讃歌したコンサートで
帰りのバスでご一緒したマニさんとの会話の中で
いろんな気づきがあったり。

「伝えること」について、準備を始めたり。

いろんなことができるようになってきているのかな?と。

“ゴスペラーズの2022年コンサートツアー
まだまだいくよ の円盤で
予約特典にシューレースを選んだのは
「このまま歩き続けたい」から。

どんなことがあったとしても
「まだまだいくよ」って歩き続けていたいから。

動作としての「歩くこと」を
7年ぶりに再獲得してから2年。
長期療養からの復帰に向けて
「歩き出した」ところなのでね。”

と、書いたけれど。

本当に「歩き出した」1年だったな…と。

まだまだいくよ。どこまでもいくよ。

途中で休憩挟んだりもあると思うけど。

まだまだいくよ。どこまでもいくよ。





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